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ここは宿というより別荘であった。
朝5時に起きて、部屋の朝風呂。旅先には、「悲しき酒場の唄」カーソン・マッカラーズの本を持参。風呂のなかで1ページから読み始める。これでは家と同じだと、ひとり苦笑、すぐ着替えて朝の散歩へ出かける(Nは寝ている)。
茅葺きの門を出ると、庭を竹箒で掃いている作務衣を着た若い男性と出くわす。亀の井別荘の人だ。「この木は樹齢何年ですか」と部屋から見えるイチョウが気になってつい聞いてしまった。
「120年です。こちらの二股に分かれているのは杉。夫婦杉いいます。それでこちらの杉はほら、折れてしまいましたが、かなり樹齢が古いです。神社にありそうな木々が多いでしょう? 昔ここら天祖神社の境内でした」と教えてくれた。それで! わたしは昨晩の蓄音器演奏会といい、食事の時といい、紗に包まれるような安らぎがあったのか、と思い出していた。
由布院はほんの数十年前まで田んぼだらけの片田舎に過ぎなかった。繁盛しているのは別府温泉ばかり。それで滞在型保養地に改革したらどうだろうと考えたキーパーソンが、亀の井別荘の中谷健太朗(会長)ということらしい。
宿の名前の由来は?と問うと、「別府温泉の夏の別荘として由布院がスタートしたので、亀の井別荘にしたそうです」という答えだった。
裏手の湖まで散歩に出る。由布岳の麓とちょうど反対側になる金鱗湖から水が湧いてぽこぽこと泡を吹き出している場所があった。鯉が口をあけて湖の水面際までうきあがってきて餌を探している。
朝ごはんの時間だね。山の正面から少し左手側の街道から、まっすぐ上に視線をあげると白い煙がたなびき、空におびをひろげている。
湖を超えて、街道沿いまで歩こうとすると、昨日にはいなかった、アヒルが湖の渕にある小屋から出て、湖のほうを眺めていた。ぴくりとも動かない。アヒルさん、湖に面した狭い草原の道(約60センチ)でのんびり散歩か。ああ、人間さまは立ち往生だ。
私の前を歩いていた5歳くらいの息子と母が「あひるさん、後ろを通りますね〜」とやさしく声かけしたら、聞こえたのか、ちょっと前に出て道を譲り、またジーとしていた。私も、なるほど! と息子と母と同じように、「後ろを通りますね、はい、ごめんなさい」といい、あひるの後ろ側の道を歩かせていただく。あひるは池と由布岳の自然、散策中の観光客たちと共生していた。
美しい光景。神さまがそばにいらっしゃるみたい。清い秩序のなかで、自然も人も、守られていた。
ここらのセミは、兵庫のうちの近くに生息するセミのように大げさに泣いたりはしない。静かに、透明な声で、夏の終わりを告げていた。
由布岳と金鱗湖の和音(調和)をたのしみ、喜んでいるように。同じセミに生まれても、どこの土地に生まれて育ち、どこの木に止まって鳴くかは、セミも一生にとって大きく違うのかもしれない。環境は大切だ、と思う。
宿に戻り、また話す。「アヒルがいました。湖を見ていました」「ええ、毎朝います。ここらでは有名なアヒルです」。アヒルを地元の人が見守っているのだ。
部屋に戻り、ふたたび湯に浸かった。