3月6日(土曜日)雨
起きたら雨だった。7時に起きて瞑想、紅茶とショートブレットを食べる。午前中は原稿を書く。午後から作家の小川洋子さんに聴くZoomイベントに参加。慌ただしく大阪へ出かけた。
小川洋子さんは、デビュー当時、台所のダイニングテーブルの上にパソコンを広げて、小石をひとつづつ積み上げるように、一行一行言葉を積み上げては崩し、また積み上げてというように、赤ん坊(息子)の育児をしながら物語を書かれたという。
「最近、首の後ろ側が痛くて原因を探るためにひとまず歯の治療に行きました。けれど医師によると、どこも悪いところはないというんです」と話しをされた。
では、なぜわたしの首に鈍痛が走るのか。洋子さんはその原因をあれこれ探ってみられたそうだが、医師が興味深いことを教えてくれたと話し続ける。「一つ一つの痛み全てに原因があるとは限らない。痛みは脳がつくっている、脳とはすなわち心があなたの痛みがつくっている」と。洋子さんは仰った。
これは文学にも置き換えられるのでは?
原因と伏線でストーリーを追い、それをラストまでに回収できる物語は書いていても読んでいてもスッキリして安心はできるけれど、本来、文学はそうじゃないところにあるのではないか。「社会や人間は原因も理由もわからない、理屈で捌ききれない部分があり、そういう闇の部分を両手で掬いあげて、ありのままに書いてこそ文学」と小川さんはZoom画面を通して話される。「なぜこれを書いてしまったのかわからない。理由(原因)や伏線も放り出されてしまったものが文豪の書いた名作にも数多くある、とわたしは気づきました」と洋子さん。
次に「アウシュヴィッツは終わらない。これが人間か」イタリアのプレモ・レーヴィ著書の本を例にとって解説される。
プレモ・レーヴィは、24才の時にパルチザンとして活動中に逮捕され、1944年にアウシュヴィッツに移送、開放されるまで強制収容所で地獄のような日々を送った作家であり化学者だ。彼が送られたのはアウシュヴィッツの中の第三強制収容所モノヴィッツであった。
いつ強制収容所に送られるのか、わからない状況にありながら、徳や知を求めるのが人間である。ダンテの「神曲」を読みたいがために、語学を教えてほしいと僕(おそらくプレモ・レーヴィ)は言われた。明日、死ぬかもしれないのに、だ。
本の一節にこういうシーンがある。ある雨の日に、鍋に入れた「蕪のスープ」を僕とその人はずぶ濡れになって運びながら、ダンテの神曲の一説を暗唱する。その場面を読んだ時に、洋子さんは深く感動したと話す。これぞ真実の風景が描かれていると思った。「作家は、意味合いや理屈を超えて、ただそれを書きたくて書くのだけれど。ひとたび物語を書いた後は作者の手を離れて、読者によって物語を書かれた意味を与えられるものだ。ダンテとて、雨の日に蕪のスープを運びながら、強制収容所の中でいつ死ぬとも知れない人が、自分の詩を暗唱し、生きる意味を問うて涙を流すなど考えもしなかったに違いないのですね」。
描写はある意味、記憶の風景です。それをどう読みとるかは読者に委ねられている。作家は、なぜか書いてしまった。そういった神の声に耳を澄ますことが大事。なぜか、と問う。書いた意図など、もはや関係がないところに文学のリアルがあるのです、と話されていた。洋子さんが書きたいのは空想の物語ではない「リアリティだ。人間がアブノーマルな部分を抱え、それらをどうにか隠しながら普段の中に折り合いをつけて人はいきている、そうではありませんか。そういものをわたしは書いていきたいし、これからも読みたいです」
このあと、「密やかな結晶」「完璧な病室」「小箱」などの本を取り上げて解説してくださる。質問コーナーでは、わたしも「推敲について」洋子さんに質問させていただいた。仕事の取材なら音声データを必ずとるのだが、初心に返って必死で板書した。なぜ。など分からなくてよい、けれど書かれようとしているものを深く土の中に根を下させて、客観的に観察してみることが大事なのだなと思った。
急いで自宅に戻り、梅田のイカリスーパーで買ったお弁当を急いでお腹の中に半分だけ入れて、直ぐ別のZoomを8時半まで。終わって、お弁当の残りを食べて1時間ほど家人と雑談。それから取材原稿を1本書いて、1時に布団の中へ。寝られなくて小川洋子さんの本をもってお風呂で、「揚羽蝶の壊れる時」を読む。3時に寝る。