月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

2021年 関西の桜巡礼 醍醐寺(2)

2021-04-25 21:48:00 | コロナ禍日記 2021
 
 
 


 

 3月20日(土曜日)晴れのち雨

 

 昨日の昼は曇り、夜は大雨が降った。おかげで、今朝は晴れている。駅までマスク姿で坂道を下っていきながら、桜の蕾に光があたりマイナスイオンの湿気が顔にふれ、頭の芯がさえてくる。

 電車の中で外をみて、本を読んで2時間。着いたら京都地下鉄の醍醐駅だ。友人のYちゃんが、めがねの中からニコニコしてわたしをみていた。「お久しぶりね」この日はいつものバスに乗らず、住宅街をまっすぐぬけて歩いて、醍醐寺まで。(約15分)

 

 まだ朝の10時。花びらを開いたばかりのまだ時間の経っていない優しい色の垂れ桜が迎えてくれた。青い空とのコントラストが美しい。




 

「三宝院」は葵の間をはいり、秋草の間、表書院などをみて歩くのだが、この日は、通常は非公開になっている特別拝観が行われていて、純浄観、本堂、奥寝殿、松月亭などが拝観できる。大はしゃぎで、追加料金(500円)を支払い、いそいそとまわった。

 庭がまた美しい。ふたつみられた。

 







 純浄館は、四季を描いた襖絵が見事だ。青い芝の中に桃山の頃の紅しだれ桜が見事に花の気を漂わせていた。茜色の襖には紅葉の海。どの部屋にも畳と襖絵と床の間のしつらいがしっとりと古くて、緊張するほどに素敵だ。本堂には弥勒菩薩、弘法大師の仏などが安置されていた。

 表書院から出る庭。小さなせせらぎがあふれ、青松や石、古木の色艶の縁やひさし、床框、舞台など。佇んで、スケッチしたいくらいだ。純浄観の前の枕流亭もすばらしかった。

 

 そのまま西大門まで。ここからが醍醐味。

 五重塔、金堂、弁天堂などをぐるり。桜の木をめでながら歩ける幸せ。どこを眺めても、ピンクの花弁からあふれてくる清浄が空気に溶けて、感情に訴えかけてくるようだった。好天があとを推す。

 

 











 

 Yちゃんの提案で、上醍醐まで歩いた。薬師堂、五大堂をみて、西国十一番札所の准胝堂まで来た。

 あら。お堂の外から般若心経の読経が聞こえ漏れてくる。テープを流しているのだろうと思うけれど、声がしっかりとして腹から響く肉声として届く。期待しながらあがってみると、黄金色というかクチナシ色というか、畏怖漂う袈裟をまとった僧が12人ほど、正面中央の准胝観音、御大師さん(弘法大師像)を仰いで経を唱えておられ、厳かな雰囲気に。こちらも迷わずに頭を垂れた。

 

 すると。今度は僧たちは、すくっと立ち上がり、円(えん)をつくられて、ぐるぐるとまわりながら、祈祷をされだしたのだ。読経。たくましく太い声と袈裟の袖が僧の動きにあわせてゆれる。足をふみならす、大胆な動きに見惚れ、ここにちょうど居あわせたことを偶然だろうか、という気持ちになる。せめて、手をあわせ、心をあわせた。

 Yちゃんと御朱印に並んでいるのだが、そのこのこと自体が不謹慎に思え、詫びながら般若心経を祈り、時をともにした。

 

 外へでると、また明るい。池があった。黒い鯉が、仏の姿にみえた。准胝堂が水に映っていた。

 








 

 深い感動を覚えて それを口にして言いながらYちゃんと霊宝館へ。

 







 

そして周囲の庭を写真を撮影し、桜を何度でも愛で、取り憑かれたような顔をして、醍醐寺を後に。今度はバスへのり三条までいくところ渋滞で駅まで。ランチを予約していた「ビストロスリージェ」まで1時間、電車にゆられた。