(3)
約2時間の食事を終えて、すっかりいい気分だ。9時。いよいよ楽しみの時間がやってきた。
談話室へ行くには、ロビーをぬけて外に通じるドアをあけ、夏の夜の庭へ出る。ここからは、離れの棟だ。アジアンリゾートのヴィラのように、庭の中に離れが9室、障子から灯りが漏れている。
「外廊下には、角、角にゾウの置物を置いていますので、こちらのまっすぐの道を辿っていくと談話室。左手にいかれて、ゾウの置物を辿っていかれますと浴場でございます」と教わったとおりに、レンガのゾウを4体ほど辿っていくと、レンガ造りの建物が現れる。
扉を外にひくと、2階建ての本のギャラリー(談話室)なのだ。
目をひくのは、昭和10年製の「蓄音機(キング)。
そして、背の高いハシゴ付きの書庫。レパートリーが圧巻である。新刊など一冊たりともない。ヨーロッパやアメリカ、日本の往年の作家たちの初版がズラリとある。まるで作家の書斎のように。珈琲・紅茶は自由にいただけるようになっていた。
そう、ここは大人の談話室なのだ。
「お好きな曲をリクエストなさってください」人のよさそうなホテルの方がニコニコ笑っていう。
流れていたのは、リストのラ・カンパネラ。続いてショパンのボロネーズ変ホ短調OP26−2
電気式にはない、くぐもった強い音質。これが蓄音器の音。遠い過去からふってくるような語りかける音色だ。デジタルの金属音にはない、やわらかい繊細さがあった。1曲終われば、1曲を裏返して聴くSP盤。また1曲終われば、新しいレコード針のビニールを破って、新針をわざわざ取り出してかけてくれた。
私はまず、ドビッシーのアラベスク第1番、第2番をリクエストした。
うちで聞くCDとは別格の、歌いあげるような昭和なドビッシーが流れていた。
次は、レストランで会った眼鏡をかけた男女のご夫婦が、ヘンデルの「ラルゴ」をリクエスト。う、うんという咳払い。
浴衣姿の客人をよく見ると、レストランでお見かけした二組。赤い眼鏡をかけた教師風の女性は40歳半ばくらいだろう。ご主人も眼鏡をかけ地方教授のよう、同じ空気を纏って、浴衣の裾から出た下駄の脚でリズムをとっていらした。もう一人は、中央の応接椅子に堂々とした貫禄で座る中年紳士。レストランでは赤ワインをボトルで注文されていて、おとなしそうな妻をリードする健啖家だろう、と想像を膨らませて遠くからみた。
音があれだけ響いているのに、静けさがあった。本物の古典(クラシック)を聴いている。
プッチーニの「ある晴れた日に」「浄く死せよ」(蝶々夫人)をリクエストしたら、窓ガラスが割れそうな甲高いソプラノ、迫力がすごい。
バッハの無伴奏チェロ 組曲 第3番ハ長調。クライスラーの「ウィーン奇相曲」と続く。くぐもった強い音。遠い過去から降ってくる旋律だ。
「最後の曲です」との呼びかけに宿の主人の推薦曲を、と私と娘はリクエストした。
長いタメのあと、レコード針を今度は〝竹針〟に替えて、バッハの「無演奏チェロ組曲、第3番ハ長調」が溢れ出した。またひとつ音の原風景に近づく。
余韻が談話室に波となって響きわたり、ふるさとにかえってきたような安らぎが私の中に陰翳を刻んでいく。忘れ得ない時間。
本と音楽だけに包まれた時間だった。
高い三角屋根の天井の窓ガラスには由布岳がのぞいている。
このあと、まっすぐ部屋には行かないで、お風呂に。浸かった由布院の湯もやさしい。外と内が区分だれていないので、セミが風呂場に迷い込んできてジージーといいながら湯の近くで、水を飲みに来たのだろか。いつまでも浸かっていられる軽い泉質。
11時半に部屋に戻り、そのまま日記も書かずに白いリネンにくるまって休んだ。
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