月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

高校時代の恩師の言葉に救われたという話し (備忘録)

2021-04-14 01:22:49 | コロナ禍日記 2021
 
 


 
 
 
 

2021年 3月15、16日(月、火曜日)

 

 コロナ、コロナと気遣いしている間に高齢の母が死んでしまったらどうしようという恐怖に駆られて、電車で2時間かけて、実家に帰る。娘よりも孫かわいさだ、と考え、「行くからね」と母に電話してNを同行させた。

 

 わたしの頭の中の母は、弱々しい声で話し、縁側でぼんやりとしている。悲観的なことが頭の大半をしめ、いつ死ぬのだろうかと気弱に話し、一人のごはんが不味い、とため息をついているのに。

 現実として目の前にいる母は、艶のある美しい銀髪で、頭もしっかりとしており、笑っているのだし、とても明るいのだった。ものすごい食欲で、「おいしい、おいしい」と連呼して食べる。父が他界し33年。「働きもしないのにお金の心配もなくここまでやってこられたのは、自分がやりくり上手で若い時代に節約家であったから。いろいろな苦労したからよ。見習なさいね」とNに説教を長々とするのが目の前にいる母なのだった。(父の功績はどこへ行った!)

 

 一昨年、仕事の縁で得意先から水素ガス吸入機を購入し、約1年半。本当に声に張りが出て、話す内容にも自信が感じられるまでになった。

 今日も菅総理の会見をみて、わたしとNが顔を見合わせてニヤリとしただけで、それが気になったのか、不思議そうな顔をして、「なんで、笑ったの? どこかおかしかった? ね。なぜよ」と台所で甘鯛に包丁を入れているわたしの真横までやって来て、言いつのる。講義の声だ。

 

 ふふ。なぜ菅総理に思い入れたっぷりなのだろう……! 89歳の母にして、菅さんは他人とは思えないそうである。口下手な身内に見えてくるそうだ。言われてみれば、ちょっぴりかぎ鼻のかたちといい、どこを見ているのか読みとりにくい灰色の瞳の色といい、うつむき加減から唐突に話し出すところなど、父の面影と似ていないこともない。

 もう少しユーモラスな人ではあったが。母っておもしろいなぁと思う。全く可愛い人だなぁとも。政治手腕はどうであれ、できることなら母のために解散総選挙を後に遅らせてほしいものだ。

 

 今回の連泊での収穫といえば、もうひとつ。掘り出し物のサイン帳と日記であった。二階の和室に掃除機をかけていると、

「これ、おもしろいものをみつけちゃった」とN。私の小学校5年生の頃と中学時代の日記を探り出して暗唱をし始めた。「やめなさいよ。こら!」と必死で取り返そうとするも、Nは興味津々。それはそうでしょうよ、気持ちはわかる。わかるけれど、ダメ!

 

 びっしりと綴られた日記にはは、みるのも読むのも恥ずかしいのだが、いかにも感受性のかたまりだ。例えば愛と死に関する詩や、ゲーテ風の格言、男の子の事なども切々と書いてある。中学に差し掛かってきたら「ハッピーさま」と架空の人をつくりあげて、日常の報告していた。アンネの日記(あしながおじさん?)に影響をされていたのかなと思い巡らせてみるが、いまとなってはわすれてしまった。

 

 恩師の手で書かれた、サイン帳だ。

 





   確か、世界史の先生は30代だった。 

 18歳の卒業時に自分がどれだけ心を打たれたのかはわからない。けれど、いまになって大きな勇気をもらう。書かれた先生と舎監(シスター)のあの時の声で読む。

 

 自分という存在価値を認め、希望をもって水やりし、粘り強く育ててやることも大切。よいところも、よくないところも一番自分が知っているはずだから。すくすくと自由に伸びていくよう、諦めずに見守ってやらないと。一生の付き合いなのだから(もっと自分のことを大事にしようという話しです)

  ふるさとに帰ること。もう一度、大事なことに気づいて、振り出しにもどる。また始めてみる。そうやって人生は続いていくのだ。

 

(個人的な内容でお目汚しさせてしましてすみません)備忘録

 



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