私は人に対しての想い入れが強すぎる。
その人の人柄を、その個性や人間性を、こんなにも強く想い入れてしまう癖が私にはある。
だから、失った後に、愕然とする。落胆する。
まるで自分が失恋でもしたかのように。
その人は娘の彼。娘が生まれてはじめてお付き合いした彼氏だった人です。
その話を聞いてしまった後では、砂を飲み込んだような重い気分になり、今はどうしていらっしゃるだろうか、と考えると、仕事も手につかず。
ごはんの味さえも不曖昧になり、こうしてやり切れない想いで何日も、何日も過ごしているのだ。
自分で、バカじゃないかと想う。自分の人格を、その薄っぺらさを疑う。
だけど、昨年9月からずっーと、デートから帰るたびに、彼氏とのエピソードを物語のようにして聞かせてもらうのが微笑ましく、ホッとするひとときなのだった。
10カ月間、ずっーと恋人たちの奇蹟を同じように側で辿ってきたと、思う。
娘とのパリでの一時も、片時も忘れずにその話は続いた。
最初は、今の若者ってこんな考え方をして、こんな人風に人を愛するのか、と傍観者のような心地で客観していた。
いや、それは嘘。正直に言おう。
娘が留学を決めた時に自身のイギリス留学の経験を元にカードの使い方など実質的なことを教えて頂いた時から、この人は普通の大学生とは違うな、
とある直感が走ったのだ。
まず娘を通して聞く、飾らない素朴な人柄と、
一度決めた事はがむしゃらに突っ走る所も、好感が持てた。
ひたむき、に。ただ一途に。子どものように無心に、
娘のことを24時間、考えてくれている所に、親として安堵したし、感謝した。
(おそらくライターである私は、彼の放つ光る言葉の中に、信頼を寄せていたのだと想う)。
何度かメールで往復書簡をしたし、
サークルのコンパで遅くなった時、
「私が付いていながら申し訳ございませんでした」と、私に電話もしてきた。
出掛けた時は、娘とともに家へのお土産も絶対に忘れなかった。
彼女がバイトの際には「いってらっしゃい」「お帰り」と声をかけてくれ、
早朝の時には同じように起きて、「いってらっしゃい」といい
レポートがあると深夜まで一緒に起きて励ましていただいたことも。
そして、娘と会った日には、私の車に乗るまでは、自分の責任範疇だと心配してLINEでずっと見守ってくれていた。
「帰るまでは何があるか分からないから、絶対に電車のシートで寝ないで。
寝そうになったら吊革につかまっていて。僕がLINEで相手しとくから。だから寝ちゃダメだよ」と言ったそうである。
その優しさ、その持って生まれた行儀の良さ、愛情表現の豊かさに、最近の若者も捨てたモノではないな、と。
私にとって、あまりに新鮮な事柄や心に残る一言を「○○語録」として記録してあるほどで。
何のために、とビックリする人もいるだろうが、記録せずにはいられなかったのだ。
言葉がきれいで、絶対にええかっこしない人だった。
人が人を想う、ということがこんなにも純潔なのか。改めて人生は素晴らしく、人は貴いものであると、まざまざと知ったのだ。
だからこそ、娘の交際を見守ることで、私達夫婦の関係も、もう一度、純粋に見直していきたいと、心から思ったほどである。
だから、今、娘がその人を
「こんなに子どもっぽすぎる所があったのよ。ほんまに私以外のことはいい加減で」
と話しても、びくとも心は揺れない。
だからこそ、あんなにも、娘にのめり込む事が出来たのか、と理解し、それも含めて
親以外に、娘のことを心から心配してくれた人を失ったことを嘆く私がいる。
「今度こそ、本当に好きな人と付き合ってみたいの。あなたの事は、まるで身内の1人みたいに好きだったけど、それ以上にはどうしてもなれなかった」
そういって、娘は
1人の男を紙屑のように、(いやそうじゃないかもしれないが)縁をよく断ち切れたものだと感心する。
それも、まだ2度しかデートしたことのない人の一言で。(41回の逢瀬の人より信頼をおいたのだ)
勿論、頭では分かっている。
相手の想いが強ければ強すぎるほど。そのバランスがとれていない関係だと
他者にとっては重くのしかかって、しまうことも。
自分の心に素直に生きてみたくなることも。よく理解している。
だけど、あまりに切なすぎる。
じゃあ、彼はなんのために。なんのために1年近く娘のために情熱をそそぎ、
もっと今より愛してもらうために、純情を尽くしてきたのかと。
心を開放し、自身を解放し、自分の弱さや愚かささえも娘の前に全て伝え、さらけ出すことが、それが「男の誠実」だと思っていた
人の気持ちはどこへ向かえばいいのかと。
どうしても感情移入しすぎてしまうのである。
「ほんまは、僕がどしっと構えていられたらいいんだけどね(笑)。
でも、大した人間じゃないから、かっこわるくても心狭いって思われても、せめて君だけは守りたいんよ」
あの日、あの時の言葉が、風に吹かれて舞い上がる。
彼女はなぜこんなに母である私に全てをぶちまけてくれたのだろうか。
どうしてくれよう。
切ない。人が人を想う気持ちというのは、胸が締め付けられるようで切ないのだ。
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