祗園祭のフィナーレを飾る「後祭」に昨晩出掛けました。
今年、京都は初参戦。(信じられないけれど)。
まずは八坂神社に、昨年の「長刀鉾」「菊水鉾」をお返しにいき、それから、一度いってみたかった安井金毘羅宮に
参拝。
ドロドロの気持ちも少しばかり清められて、夏の京の宵を歩く。
だんだん愉しくなってきた。
いい調子、いい調子。
友達と、明日は土用の丑だから、鰻を食べようと誘い、
「祗園 う」へ。
店を出ると
闇は一気に広がっていた。
祭だ、祭!
夜9時、烏丸界隈は若者が引き上げた後で、すっかり大人仕様。
深い夜の海のなかに、鉾の提灯や日本美術の装飾品や絵巻が幻想的にふわり、ふんわり、と紅色に浮かび上がり。
屋台もなく、人通りもまばらな名残のお祭り。
時折、思い出したように10基の鉾から古典的な祗園囃子の楽曲が奏でられては、闇に消えいる。
風がすっーと自分を流れて過ぎる、こんな古都の風雅は、
私にとって平成の祭のようではなく(もののあわれ)感じられ、逆に心に響いてきました。
大船鉾、南観音山、北観音山、八幡山、
役行者山、黒主山、鯉山、浄妙山、と、、、ほぼ全ての鉾を間近で眺められたのもよかった。
やはり日本の彩は美しい。日本の音も心に沁みる。
団扇の古美術や町内の屏風祭も
観覧できて、男衆たちは酒を飲み交わしている。
「八幡山」のところでは、浴衣姿の子どもたちの「ローソク1本いりますか」が
聴けた。
絵巻物のような幻想的な海を歩きながらも、私の心はある人の事がずっと頭から離れなかった。
むしろ鮮明に、寄り添ってきていた。ああ不条理、切ないなぁ。
さあ、明日からいよいよ夏がスタートする。
私はおそらく、祗園囃子の生演奏に最も惹かれ、それを盛り上げていく町中会の人達の風習と、鉾のあの天をつくような勇ましさ、のような所に心惹かれるんだと思います。
昨年見られたものを今年もまた観れる、という幸せを実感した晩でした
夏の宵、五感で愉しむ味わい深い日本の美。
暗闇に浮かぶ灯りやお囃子の音は幻想的でいいものですね…
ほんとに昔の人はいいものを残してくれたと思う。
日本の侘びと寂びの精神…
新しいものがホントに優れていて本当にいいもの?なのかどうか…
この伝統がどんなに世代が変わってもずっと伝えられ、
永遠に続いていきますように…
こちらでもようやく蝉が鳴き出しました。
暑い夏のスタート、ポジティブにがんばろう!