雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

今月の食事会はカニでした

2020-02-09 16:31:22 | 日記

一番小さい孫に頼まれたバレンタインのチョコを7人分買い(娘がリンツにすると)、夕方月イチの食事会6人会へ。

待ち合わせ場所に行くと1人骨折したから来られないと。

どこを?なんで?と私たちは連絡受けた子に聞く。何でも、朝ベッドから降りた時に足の卸し方が悪かったのか

ぐねったみたいで、捻挫かしらん?と思っていたら剥離骨折?だったとか。

その骨折した子も骨粗しょう症よ。初めての骨折じゃない。私も2回骨折している。私も骨粗しょう症だ。

20年ほど前に大腿骨頸部の骨折をしている。しかし昔で良かったよと思う。大腿骨頸部骨折なんて、今なら

動けない⇒寝たきり⇒ボケるのパターンになってたかもだ。

もう一度は家の中でJと鬼ごっこをしていて、走っている最中に足の指を引っかけコケた。

右足の薬指と小指(根っこで繋がっているらしい)を骨折。この時は入院はせず、松生杖ついて仕事に通った。

 

それで、友だちと面白い話になった。

”コケる時って、私スローモーションになる”と言うと、ある友が”私もそうなるよ”と。

コケて倒れる時、自分の身体がスローモーションになり、自分がどう対処したら良いか判断出来る時間があるのだ。

若い時、自転車のハンドルを乗り越えて身体が飛んだ時があった。その時はスーパーマンみたいに飛んでいる自分は

スローモーションだった。自転車の前にピタッと前向きに両足で着地出来、全くの無傷だった。

会社の階段を上から下まで転げ落ちた時は、踊り場から”アっ!”と足を滑らせ身体が浮いた瞬間はスローだったが

ドンガラガッチャン!と滑り落ちると言うか転げ落ちると言う状態の時は、為す術はなかった。

それでも血まみれの脚で客先へ行き(誰も代わりに行ってくれる人が居なくて)、骨折はしなかった代わりにその夜、

打ち身の痛さで眠れず、翌朝はあざと腫れがハンパなかった。

Jと遊んでてコケた時も、体が宙に浮いている瞬間はスローで、体をひねってこっち向きに倒れようと言う意識が

働いた。

友だちの話を聞いて、自分だけじゃないのね、皆そんな風に見えるのねと思ったことよ。すんごくスローになって

考える時間があるんだわ。一瞬の出来事なのに何でだろう?って不思議だけど。

 

昨日はいつもより早目に集合し、兵庫県までカニを食べに行った。今月、フグにするかカニにするか迷ったんだけど

今回はカニ。刺身で食べて良し鍋にしても良しのきれいな透き通った美味しい身。鍋にもサッとしか入れない。

みんな静かやで(笑)。

焼きガニも頼み、カニグラタンも追加し、最後に雑炊。

あー美味しかったぁ~。満足ぅ~。冷たい風に吹かれて帰ったよ。

大阪まで戻ってお茶。その時の話で、私より猛者が居たことが判明。ヒートテック今年は要らんかったの話から

私の長Tどころか、冬でも下着はランニングと言うのが居たのだ。首もタートルネックは暑くてアカンと。

何と彼女!昨日もVネックじゃなかった?肌見えてまっせ。私は首は寒いわ。

ただ、私は夏でも冬でも年がら年中足は素足なのだが、その子は最近冬はソックス履くかもねと。私は足首から下は

家の中では一切何も要らない。いや、スリッパは履くけれど。

甲状腺の亢進症だったり橋本病だったり、皆それぞれ色々あるんだけれど、それは関係ないのかな?

それと、皆”足がつる”と言うのだ。私は足の甲、又は指が2本位硬直することはある。それも本当に思い出した様に

たま~にだ。でも聞くと友の範囲は広いのだ。足全体とかお腹の辺までとか。お腹まで来たら、それは”足”つるとは

言わないんじゃ?頻度にも差があるようだ。

私、骨は安物だけど、もしかしたら筋肉が上物なのかも。腰・膝の痛みがそれほど無いと言うのは。筋肉

(もしかしたら筋肉ではなく、ただのぜい肉かも知れないが)に守られているのかもね。

毎日結構歩いているのも関係はあるかもだ。大体7000歩~1万歩。平均すると1日8000歩位。

 

今年は皆69歳になる年だ。いや、まだ67歳が居るわ。3月生まれ居るので。

とにかく、そこそこでいいから皆元気で居てよ。食事会に出て来るの楽しみなんだから、誰も欠けないように

頑張ろね。

来月は少し暖かくなってるかな。


又ババ馬鹿話。Jのこと

2020-02-09 15:10:51 | 日記

昨日お医者様に寄る前に下の娘んちに食材を届けにと書いたが、娘が『おかーさん、先生に間に合わなかったらいけないし

J(孫)が帰って来てるから下まで取りに行かせるよ』と言ってくれた。

娘んちのマンションに行く最後の信号のところでJを発見。ニコニコしてこっちを見ている。それで私は昔を思い出した。

ここからは又ババ馬鹿の話になるから、興味の無い人はスルーして下さいね。

 

Jが小さい頃、私はしょっちゅう仕事帰りに娘んちに寄った。1時間以上かかる結構遠い道のりだったが・・。

それは娘が”しんどい・・・”だったり”Jをお風呂に入れてぇ”だったりしたのだが、仕事帰りのしんどさよりも、

Jの顔を見る嬉しさと、娘の心身が心配だったのとで、あれだけ通えたんだろうと思う。私は娘と違い

心身ともに”鋼”と言われているから。しかしもう、いくら鋼の私でも、今なら無理かもね。もう体が付いて行かない。

 

鍵は持っていたがとりあえずはピンポン!と鳴らし、ガチャっとドアを開けると、そこにはいつもJが居た。

ニコニコっと笑っているJが居た。

ハイハイの頃は四つん這いのままだったり、ちょこんと座ったりで、私の顔を見上げている。可愛いっ!

歩けるようになってからは立って待っていたことも。

ハイハイの時でも、不思議に絶対三和土には降りて来ないのね。板の上で無いとダメと自然に判っていたの

だろうか・・・?

私を見上げているJと目が合い、私の眼は勿論♡になる。うう~ん・・なんてキュートなんだろう!

疲れなんか吹っ飛ぶよ。Jと2人のお風呂は至福の時よね。髪の毛も洗いすっぴんなものだから、毎度タクシーで

帰宅していた。

Jは小さい頃からいつもニコニコしている子だった。勿論小さい頃は泣くことも ”ごんた”(大阪弁?)言うことも

あったのだけれど、それ以外はいつもニコニコ。会うといつもニコニコ。それが中学生になった今でもニコニコ。

機嫌の悪い顔を見たことが無い。もう泣かないし、”ごんた”言うこともないので、私にとってはいつもニコニコ顔のJだ。

結構珍しくない?そんなの。中学生の男の子で。声変わりしたから声だけは”おっさん”だけど(;^_^A

Jとはホント、2人で色んなところに出掛けた。大阪城とひらパーは私の担当だった。

3人の中で、一番手を掛けた孫だ。

 

ふっと我に返り、向かい合った信号で青になり、私はおいでおいでと手招きする。Jがこっち側に渡って来て、

買い物を渡し(珍しくご要望は鶏だったので、1.5kgでも牛に比べると¥は助かるわ)二言三言言葉を交わし、

上腕部を両手で撫で、別れる。Jは信号を渡り戻り、私はそこから左折してお医者様に行くのだった。

大きくなったものだ。いい子に育ったものだ。可愛いし賢いし優しいし。

悔しいけれど、娘に腹立たしいことがあっても、どんだけお金を使わされても、私は弱い。

”あの子たちを産んだことが一番の親孝行”らしい。

 


娘の誕生日と月イチのお医者様のこと

2020-02-09 13:40:48 | 日記

金曜日の朝、大阪市内のお客様(商社さん)から『急で申し訳ないけど今日会えませんか?』と連絡があり、

何のアポも無かったので”ラッキー!”と夕方出掛け打合せし、終わってからその足で上の娘と孫との待ち合わせ場所に。

うまい具合にお客様は、娘たちとの約束の場所に近かったのだ。

お誕生日に夕食奢ってよという娘に”いつまでは母は、娘の誕生日にお祝いをしなければならないのか?”という疑問が

頭をもたげる。時には食事だったりプレゼントだったり(自分で買うから現金でいいよ!の場合も勿論ある)。

世のお母様たちはどうしているのだろう・・・?

 

”パスタ”と言うので、彼女たちが初めてであろうお店で食事。

綺麗で可愛いお洒落なパスタと、ケーキが専門のお店。

スープやサラダが運ばれる度にパシャパシャと写真を撮る孫に『写真撮ってどうするの?』と聞くとSNSに載せるんだよと。

ふう~ん、私もバカだわね。そんなことするのは働く若い女性や女子大生かという凝り固まった思い込みがあったのだが、

きょうび、女子高生でもそんなことするのね。ってか、若ければ若いほど多いのかもね。

好きなケーキも選んで満足だったことでしょう。私は、ケーキを見たら大きくて!ひとつ1人で食べられそうになかったので、

パス。コーヒーだけで十分だったわ。

 

翌日土曜日は、先にデパートで下の娘に頼まれた食材を買ってから娘んちに寄ってそれを届け、それからり4週間毎の

かかりつけ医に。下の娘の家と私のかかりつけ医は近所。私の家からは結構遠い。

元は娘家族がお世話になっている今の先生にところに、娘に代わって私が孫たちを何度か連れて行って、

先生の見立ての良さに感心しているところへ持って来て、それまでかかっていたかかりつけ医の変化が原因で

かかりつけ医を変えたのだった。

以前のドクターは、自身に2mmの脳動脈瘤が見つかったと、月イチ会う度にそれに言及し(私が未破裂動脈瘤の

手術をしたことを知っておられた)、それ以降鬱っぽい言動と、聴診器も当てず血圧を測るのも忘れ、ロクに真剣に

診てくれない状態が何度か続き、極めつけは痩せたいくせに何の運動もしない私が、急激に体重が5kg減った、

おかしい!と訴えるも、何の手立ても打ってくれず、私が血液検査をしてと言ってやっと甲状腺の病気が発覚したのだった。

血液検査の結果が判明し慌てて薬を送って来られたが、もう信用出来ずにそこでキッパリ私が切った。

お医者様でもそんなことあるんだねぇ・・とちょっと意外な気がした。

 

で、かかりつけのお医者様ところに行くと、2階の受付に行く前にビルの入り口でに看護師さんらが3人がかりで

足止めをする。”ああ、新型コロナウイルスのせいね”とすぐに理解は出来た。

”熱は?変わったことは?” ”ありません”と言うと”通常の窓口に行ってね”と。

少しでもいつもと変わりのある人は、別の部屋に行かされる。3つくらいに待合が分かれていた。

先生ひとりだから大変よね。

先に採血を済ませしばらく待って診察室に。看護師長に”大変ですねぇ・・ここで新型出たことありますの?”と

聞くと”ない、ない。有る訳無い。有ったらえらいことよ。うちの患者さん全員検査しないといけないことになる”と。

ああ、そうか・・そう言うことね、良かった・・・。

診察が終わり薬も受け取って、下の娘んちに寄る。

長くなるので次に続く・・・。