雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

とても変人な兄のこと

2020-02-16 23:13:23 | 日記

ヒマだし、姉のことを書いたついでに兄のことも。

私の兄はとーっても変人。かなりおかしい人だ。義姉も苦労するよね。

昨日皆で食事して義兄が先に帰り4人でお茶した後、姉が服が買いたい、何を着ればいいのか分からない

どんなものを買えばいいのか分からない・・・と言い、その言葉にも私は胸をつかれたのだけれど・・・。

あのお姉さんがそんなこと言うなんて・・・と。義兄や娘は何しているんだと。買い物位付いて行ってやれよと。

まあ、お洒落する気にもならないのだろうけれど。

 

で、義姉と私とで一緒に見に行こうかってことになった時、兄が『オレはバスの時間があるからここで別れるわ』と。

はあ?と言う私に義姉は、『Yさん(兄)、70歳になって市バスやメトロに50円で乗れるの。それに乗って帰るって

いう訳よ。』

私は思わず意味分からんわ・・・と。電車代にいくらかかるのよ。何でわざわざ1時間に1本しかないバスに乗って

帰ると?義姉は『そう言うのが好きな人だってこと知ってるでしょ?』

うん、知っているけど、ホント変わった人だ。

義姉曰く『この間も、DAISO(百均)であるものを買うのに、2日ほど悩んでた』と。私はもう呆れて開いた口が

塞がらない。

 

昨日の食事代は勿論兄が全部出してくれている。日本料理のコースで結構高かったと思うよ。

私がたま~に、普段お世話になっているお礼にと思って兄夫婦を食事に誘っても、絶対に私には出させない。

なのに、百均で2日も悩む。バスが50円だと喜ぶ。おかしな人だ。

前にも書いたが、博多で安くて美味しい寿司屋を見つけたと言って、飛行機で食べに行く。それだけが目的で。

兄にとっては、高くて旨いは当たり前。安くて旨い!が大事なんだそうだが、やっていることが矛盾している。

海外にもしょっちゅう行くが、泊まるところはサイテーと思うような場末のきったない宿に泊まったかと思えば

翌日は、超高級ホテルに泊まったりする。義姉はアジアには絶対付いて行かない。きれいなところにだけ付いて行く。

あの人の感覚は一体何なんだろう?とすごく不思議に思う。ケチなのか気前がいいのか全く分からない。

これが良し!とする境目は?そしてその論理は?

 

母がまだ健在の時、滅多に人のことを言わない人なのに、1度だけ義姉の愚痴を私に言ったことがあった。

勿論兄に対してのことで。扱いがどーのこーのだったと思う。

私は母に『おにーさんが文句言ってないんだったら、お母さんは何も言うことないよ。あんな面倒くさい息子、

義姉さんに熨斗付けて返しますわ言われたら、お母さんどーするの?お兄さんの面倒又みなアカンのよ。

出来る?もう一度?その歳で?2人仲良お機嫌良おしてるんだったら、周りがとやかく言うこと無いでしょ。

放っておけば?』と。母はそうねと納得した様子だった。

私は義姉が好きで、義姉の味方だ。よくもあんな変わり者の兄に良くしてくれていると思っているし、彼女の

お陰で、兄も世の中の常識ってものが少しは解ったんじゃないかな?と思う。

義姉は、血の気が多くて喧嘩っ早い兄に、どれほど難儀しただろう。勿論義姉に手を上げる訳じゃない。

他人に怒っている兄をなだめるのにだ。

30何回だか40何回だかのお見合いの末に、やっと気に入った人に巡り合えたんだものね。義姉に対しては

髪の毛振り乱して家事なんかして要らない。いつもきれいで居てくれることの方が大事だったんだものね。

彼女の穏やかな性格のお陰で少しずつまともな人になって来たと思う。兄も元々根は悪い人じゃないし。

真面目で不器用で面白い人だ。そして異常なほどきれい好きだ。

 

昨日は昔話で『姉貴、昔はきつかったよな?お前結構どつき回されてなかったか?』と言ったので、私は

”へ~えぇ・・おにーさん、覚えているんだ”とびっくりした。そうよ、その通りよ。子ども部屋のある2階で

ケンカした時なんか、私は踊り場迄引き摺って来られて、階段から突き落とされる勢いだったのを覚えている。

落とされはしなかったが。4歳半離れていて、身体の大きさも違うよね。怖かったよ・・。

それ位姉は昔はおヒス(ヒステリー)だったのだ。

しかしまあ、記憶力の悪い兄がよくもそんなこと覚えているなと感心したわ。

小さい頃は兄によく泣かされた。ってか毎日叩かれ泣かされ”又S子のサイレンが始まった”と、姉のおヒスと

共に我が家では有名だった。

ケンカばっかりしてた。でも今は夫婦して私には優しいし親切だ。いつも有難う!と思っているよ。


ねーさんのことは一安心。私も自分の身は自分で守る様頑張るよ

2020-02-16 13:57:39 | 日記

またまた昨日の続き。

昨夜甥っ子に電話したけれど繋がらなくて、今日も頃合いを見計らって電話してみた。本人出てくれた。

彼も単身赴任中だからどこに居るのか分からない。『こんにちは。久し振り。元気?今どこに居るの?忙しいとこ

ゴメンね。』

甥っ子は家に帰っているよと。週末だから妻子の元に帰っているのね。

早速懸念事項を話す。姉のことだ。甥っ子の返事は『全くもって言われる通り』だと。『僕も妹も叔父さんや叔母さんの

心配していることと全く同じ考えだよ』と。

私は、たまにしか会えなくて、何かしてあげられる訳ではないのに、外野からうるさいかも知れないけれど、私も兄も

姉のあまりの変わりように愕然としたと言うと、『僕だってショックだよ、お母さんがあんなになってしまって』と。

姉本人が、心臓の手術を受けなければ良かった、以前と比べて良くなったとは思えないと言うのが辛いと。

”心房細動”とか言う病気だと昨日も義兄から説明は受けたが、とにかく昔から身体の弱い人で、すぐに心臓がバクバクと

なる。すぐに倒れる。でも、しんどさは手術前と変わらないらしい。薬を変えたか量を増やしたかの途端、身体に震えが

来たのだ。

医者にその旨伝えると『その薬しかない』と言ったと。そんなことあるものか!と私たちは言う。医者を変えれば?と

言うのはそこよ。何の説明もない?薬がそれしか無い?

手術の前も何でセカンドオピニオン受けさせない?自宅から遠いところは義兄が嫌がった?そんなの義兄の自分の都合

じゃんね。なんで言いなりになる?姉が(妻が)大事じゃないのか?

 

薬も医学もびっくりするほどの勢いで進歩して行っているんだよ。義兄の昔の知識なんか何の役にも立たない。

『あーた(甥っ子)現役なんだから、自分の知識で主導権握ってコトを進めればどーなの?』

実は義兄もそうだったけど、甥もたまたまだけど大手製薬会社のMRだかプロパーだか知らんけど、そういう仕事。

ドクターだのどこの病院が良いだの薬だののことは、よく知っているはずだ。

甥っ子も国循(国立循環器センター)が良かったんだけど・・・と。

姉の問題は大きくは体の震えと腰の曲がりだ。背が低くなったのは仕方ないか・・・。

しもやけなんかなったことの無い人なのに手の指先がしもやけで紫になっている。それも血液の循環が良くないせい

なのではない?と思う。

甥は、先ず検査入院させるよ。有難うと。おばさんも元気で居ててよと言うから『私はすこぶる元気よ。うるさいばーさんが

まだ現役で営業の仕事しているよ。有難う。姉さんのことよろしくね』と。とりあえず安心。

 

速攻兄に報告。丁度義姉とその話をしていたところ。あれは義兄のパワハラ以外の何物でもないと2人で言っていた。

あれはひどいと。お前が甥っ子に電話しなかったら、オレがしようかと考えていたよと。

うん、まあ・・・パワハラかどうかは知らんけど、姉が可哀想ではある。しかし、他人には計り知れない夫婦の形

ってものもあるしね。

甥はとにかく、進捗状況は報告するよと言ってくれたので、あとは任せよう、様子を見ようと。それしか出来ることは

無いからねと。

 

兄は私に『〇子なんか、叩いても死にそうにない。ねーさんとえらい違いだ』などと言い、義姉にたしなめられていたが、

確かに見た目はね。私は四角いからね。頑丈だからね。しかし私だって悩みはあるよ。人に言わないだけで。

まあ口は悪いが兄は私のこと評価はしてくれている。その歳でそれだけの仕事をして稼ぐばーさんは、なかなか居ない。

お前は偉いっ!それだけでオレは尊敬しているよと。有難う。

結婚生活をしていた時は、何年経っても浮き草のような感じで、地に足が付いていない感覚がずっとあった。

何でだろう?と自分でもよく分からなくて不安でもあった。

でも今は違う。自分の足で立っている。ちゃんと根を下ろしている感覚はある。ちゃんとどころかどっしりとだ(;^_^A

自分の身は自分で守る。

勿論自分一人で生きている訳ではない。人に支えられて生きてはいる。でも私には守ってくれる人は居ない。

それはつまり、姉兄子供孫が居ても、皆が夫々に大事な人が居るのだから、私を”一番”に考えてくれる人は居ない

という意味。連れ合いが居ないんだもの仕方ない。

 

皆、過去には色々あっても、別れていない限りは歳をとれば夫婦仲良く支え合って生きて行くのが美しいと思う。

それだけの歴史があるのだもの。

無い人は無いものねだりしないで元気で機嫌よく、人になるべく迷惑を掛けない生活を目指して頑張ろう!と

私は思います、はい。 頑丈な身体に生んでくれた親に感謝です。


こうも変わるものなのね、姉さん

2020-02-16 02:22:53 | 日記

さっきの続きだが、食事の後 義兄だけ先に帰った。用事があるとかで。

兄夫婦・姉・私で、まだ話がしたいねとお茶をした。

兄も義姉も私も比較的見た目若くて元気だが、姉だけはおばーちゃんだ。

腰が曲がってるし、心臓の手術をした後の薬の後遺症?とかで手が震える。それを兄が怒る。義兄が不親切だと。

73歳なんてまだまだ元気な人いっぱい居る。もっと元気出せよと。

病院が合ってない・医者が悪過ぎる・医者を変えろ・義兄の言うことを聞くな・もっと日々の生活に手を抜けetc.

本当に、姉は義兄と結婚して幸せだったのかしらねぇとちょっとは私も思ったわ。

 

小さい頃から祖母に言われて日舞を習っていた姉。おっしょさん(お師匠さん)が家に来られる。近場で習っている

他の方々も我が家に集まりお稽古が始まる。必ず座ってお稽古を見守る祖母。時には母も。さぼることは許されない。

私も6歳になったら日舞始めるんですよと言われ反発し、私はヴァイオリンがやりたいので日舞は嫌だと突っぱねた。

姉は言うことをきちんと聞くおとなしい子だった。

”舞いざらい”という発表会の時は、姉の名前を染め抜いたのれんや手ぬぐいやお弁当を見に来て下さる人に配る。

勿論子供のうちから着物はいっぱい持っていた。

父は、私が成長に合わせて大きなヴァイオリンに何度か買い替えて行っても、姉の名取を取るまでにかかった費用に

比べれば大したこと無いと言っていた。

 

私と違って背が高くスラっとして、服はいつも母と同じ洋装店で誂えで、帽子を被ってお出掛けする姉は、

モード雑誌から抜け出たようにお洒落だった。

学生時代に椎間板ヘルニアになり、激痛で手術をするしかなかった。術後の療養の為に姉が温泉に滞在することに

なり、丁度夏休みだったこともあって、商売で忙しい両親に代わり、兄と私が付き添いに行かされた。姉のお守りね。

毎日毎日することもなく、真っ黒になるまでホテルのプールで泳いでいたくらいしか覚えていない。

手術をした姉は、結婚しても子どもを産むのは難しいかもと言われ、重いものは持たないし、目の高さより上へは

手を上げ無い様にしていた。とにかく、腫れ物に触る様に、私と違って姉はお姫様の様であり、お嬢様だった。

サラリーマンの今の義兄と結婚すると言った時、”サラリーマンなんかと結婚して幸せになれると思っているのかっ!”

などと、今から思えばとんでもなく偏った考えを持つ父に猛反対された姉。私が”もう時代は違うのでは?これからは

商売人より大企業のサラリーマンの方が将来有望かもよ”と助けを出してあげたよ。

それはある意味当たってた。義兄はヘッドハンティングされるほどのモーレツサラリーマンだったし。

 

それから50年。先ず結婚してほどなく服の趣味が変わったよね。義兄の言いなりで服を買っていたんだろう。

あのセンスの良さはどこに行ったのさ!?と思ったけれど、そんなこと口に出して言える訳無い。

本人が、義兄の趣味に合わせて服を買うことを良しとしているんだもの。

いくら、お金をかけたものだと解っていても好きにはなれなかった。母も情けなかったんじゃないだろうか?

確かに良い妻良い母親だったんだとは思う。義兄の転勤にずっと家族中で付いて回った。甥も姪も何度も転校している。

義兄の言いなりに家が回って行った。そしてそれはいまだに続いている。

家の趣味から病院選びまで、何でも義兄の言いなり。義兄は勿論もう既に仕事はリタイアしているが、家事は?

掃除機はやみくもにかけるらしいが、それだけしか出来ないらしい。三度三度の食事も、少しでも時間が遅れると

怒られると言っていた。だから兄が、家事に手を抜けと言うのだ。歳を取って来たら、皆 奥さんに優しくなるんでは

無いの?

 

ちょっと、あの縮み方はアカンよね。昔のあの お洒落でちょっと高ビーだった姉のイメージは全くない。

背の縮み方もハンパなく腰が曲がっていることも併せ、椎間板ヘルニアの手術の後遺症だと言うのだけれど

本当かしらん?軟骨取っているからと。運動や日頃の生活の中でカバーは可能なんじゃないの?

心臓手術の時、甥が病院の選択に関して意見を挟むと『お前は口を出すな』と義兄が言ったらしい。

兄は私に、甥っ子に電話をするようにと。兄も姉を心配している。勿論そうするよ。

ただの一度も外で働いたことのない姉。私とはほとんどのことで対極にある人。テンポも全く合わない。

兄も義姉も私も、結構好きにやっているよ、人生。おねーさんも今の生活に満足しているなら、それでいいけど。