前回よりの続き。
沖縄らしき島影が見えた時はどれほど安堵したことか・・・。
砂浜に船を寄せ足を卸し『ああ・・無事沖縄の地に着いたんだ』と、生きてたどり着いた実感。ひと仕事
終わった気分。船頭さんにお礼を言い、帰り1人だけれど気を付けて下さいねなどと言って見送る。
『ここどこだろう?』 目の前に学校があった。塀から多くの子供たちが鈴なりになってこちらを見ている。
不審者?闖入者?そんな気分だったのだろう。『ここからどうやって那覇まで行くのよ』大問題だ。
勿論路線バスなどあるはずもなく、タクシー?ある訳ない。本当に無鉄砲でお粗末な計画で、今考えれば
恥ずかしいの一言。野宿?イヤだよ・・・。
とにかく探そうよとアテもなく歩き出すと1台の乗用車発見!聞くと東京の雑誌社の人2人。取材に来ていた
らしい。事情を話し拝み倒して街まで乗せてもらうことに。しかし5人乗り乗用車に7人だ。これも見つかった
ら大目玉だよね。7人も乗った重い車が砂利道を行って、車壊れないかしら?と申し訳なく思ったものだ。
次月号の雑誌に載せても良い?と聞かれ、どーぞどーぞと何のお礼も出来ない私たちは快く了承した。
その雑誌買ったよ。確かに記事載っていたわ。
街で東大生と別れた。その日はとにかく寝て、翌日は色んなところに行った。すんごい岬(名前覚えてない)
で、海に落っこちそうな先端で写真撮ったりして、沖縄のきれいな海と空と空気を満喫。透き通ってるよ。
中が丸見えよ。海に入れば友だちがサンゴ礁で足をケガし、薬局探して大丈夫かな?ばい菌は入らないかな?
で、びっくりはその翌日。朝、黒塗りの車がユースホステルの前にお迎えに来ていた。父の知り合いの
琉球泡盛の会社から。『えっ!?何で?いいの?』みたいな感じで、場違いな汚い格好の私たちは誘惑に負け
車に乗せてもらい、足を怪我した友人は病院にまで連れて行ってもらい、何だか至れり尽くせり。
あのー私たちケチケチ旅行しているんですけれど・・・とは建前上思ってはみたが、ご厚意は受けなくては。
その日の夜は何社かの琉球泡盛の会社の社長さんたちが歓迎し料亭で一席設けて下さってお座敷であの沖縄の
踊り迄見せてもらい、こんな汚い若造相手に申し訳ない気分。翌日は会社も訪問させてもらった。
結局沖縄を離れるまで、黒塗りの乗用車のお世話になった。那覇港から鹿児島行きの船に乗る時まで、
どこへ行くにもずっと運転手さんは付いてて下さり、船が出る前には又社長さんたちお見えになって見送って
下さった。小さな緑色のバナナの房は船に持ち込めなかったわ。5月15日以前はパスポート要ったんだよね。
おとーさんさぁ、一体何を言ったの?と文句?かお礼?か分からないけれど、帰って父に言ったことは
間違いない。
大阪大学に息子さんが行っておられたある会社の社長さんは、後日大阪行くよと教えて下さって、皆で
ホテルまで会いに行ったりもした。
沖縄にも与論島にも良い思い出しかない。沖縄にはその後仕事で何度か行っているが、仕事して帰るだけ
なので、その時のような強烈な印象はない。
沖縄のコロナ感染拡大もひどいことになっている。
医療体制が本土ほど整っていない南の島で(南の島に限らないだろうが)コロナが拡がると島中が大変な
ことになる。どうぞ今以上ひどくならないようにと祈るしかない。
若い人は重症化しにくいだろう。症状が表われないもので自分たちが既に感染しているかもと言う自覚は
無いだろう。でも誰が感染しているか分からない。自分がもしかしたら持っているかもなのだ。自分が
感染源なのかもなのだ。たまにマスクをしていない・大きな声で喋る 人を見るけれど、もっと意識して
欲しいと見ていて思う。”自分は罹らないもーん”ではないのだ。”自分が移しているかも”なのだ。
国中皆で気を付けなければ。感染を拡げたくは無いが、経済も回して行かなければならない。
皆が協力努力するしか無いんだよ。コロナが1日も早く収まるよーに。