”文具大手のコクヨが性別欄を無くした履歴書を発売する方針である。性別欄をめぐっては、生まれた時の
体の性別と異なる性で生きるトランスジェンダーの人がカミングアウトを強いられるなどの問題があり、
当事者らが削除を求めていた。”と言う記事を読んで思ったこと。
人は人として評価されるべきであって、性別で判断されるのはおかしいと勿論思っている。
トランスジェンダーの人のことも、それは個人の特性だと思っている。
ただ雇用する側からすれば、生物学上の区別と言うのはある意味必要では?と言う気は正直する。
何故なら例えで言えば、女性は子どもを産む機能を有しており、それは男性には無いものだ。勿論出産の
有無自体は個人の自由ではあるけれど。そして出産の場合はその前後は長さの違いは有っても、誰でも
それなりの休養は必要だと思う。なので性別にも年齢にも偏りのある職場なら、作業効率というか稼働率と
いうか達成率と言うか分からないけれど、そういうことに支障を来たさないか?と思うのだ。
女性の多い職場や女性の多い部署と言うのがある。勿論個人差はあるだろうが、”おしなべて”女性の方が
向いているとされる仕事はある。一概に性別では括れないが”特性”と言うものはあると思っている。
又、家庭を持っていれば転勤してもいいのかどうかは男性女性でとらえ方も違うだろう。ましてや子ども
さんが居る家庭では尚のこと切実な問題だ。
勿論、全てのことでそういう男女間差が無くなることが望ましいのではあるが、まだ日本の社会では
そこまで行って無いのが実情だと思う。
本当は、履歴書の性別欄に自分が思うところの性を書き、面接の時に訊ねられれば堂々と自分の思いを
伝え、何が出来る何が得意と披歴して、納得の上で雇用されるのが一番良いのだと思う。
そんなことで雇ってくれない会社なんて、こっちの方が願い下げだ!くらいの気概を持って臨めばどう?
と言うのは、当事者では無いからそんなことが言えるのかもね。本当の辛さは、本人にしか分からない
だろう。
日本の社会がそんなこと気にせずに当たり前に機能してくれるようになるのが一番良いのだけれど、
まだまだそこまでは行かない。もっともっとたくさんの時間が掛かるだろう。
トランスジェンダーの人もそれを踏まえて乗り越えて行って欲しいよ。優秀な人はいっぱい居る。
男だ女だは関係ないくらいの実力を身に着けて『あなたが欲しい!』と企業側に言わせてみよう!