毎年5月1日から5月5日にかけて、岩手県平泉町で行われる、「春の藤原まつり」。
この祭事のハイライトは、3日に行われる「源義経公東下り行列」です。
征夷大将軍源頼朝から追われる身となった義経公は、少年時代に身を寄せていた奥州平泉に還ります。
奥州王・藤原秀衡はそんな義経公を平泉に暖かく迎え入れます。
その史実を再現した「義経公東下り行列」、毎年若手俳優が義経役となって馬上にあり、平泉の街中を練り歩く。去年、源義経公を務めたのは伊藤健太郎氏。
2022年の様子
まずは毛越寺の池上にて龍頭鷁首の船に乗り、秀衡公と義経公との再会の場を再現。その後白馬にまたがり、町内を練り歩き、中尊寺へと向かう。
これは義経公の御霊を安んずるためのまつりなのかもしれない、などと、個人的には思ったりしていますが
それはともかく
今年の義経公役はまだ発表がないみたいです。まあ、近日には発表があることでしょう。
去年の大河で義経公を演じた、「あの方」だったら面白いけどねえ。
ところで
義経公は平泉では死なず、大陸に渡ってジンギスカンになった!
とする説があります。
通常は「トンデモ説」として一笑に付されて終わりですが、これを事実だと断言している学者さんがおられる。
以前紹介した、東北大学名誉教授の田中英道氏です。
田中先生は、伝えられている伝承や残されている形象を、実に「素直」に見つめる方なのだと思う。
見えてくるもの、見えているものを素直に受け止め、そこから論理的考察を通して、一つの結論を導きだす。
結果、源義経公がジンギスカンとなったのは
事実。
田中先生によれば、「ジンギスカン」の名は「源義経」の読み方を変えただけだと言います。
「源」を「ジン」と読み、「義」が「ギ」で「経」が「カン」。
合わせて「ジンギスカン」ええーっ!?
いや、馬鹿にしているのではなくて、あまりに素直な解釈すぎて、正直とまどってしまうということなのです。
私などは、長年の「垢」が付きまくっておりますので、ついつい「常識」とかいう奴にとらわれやすい。だからこの説にしても、私としては100%受け入れることはできない。
でも、一つのロマンとして、可能性をゼロにはしたくないな、とも思う今日この頃。
義経公は大陸に渡り、ジンギスカンになった、かもしれない。
その可能性は
「0」ではない。
かもしれない…。

日本で発掘されたこの埴輪は、ユダヤ人を表している。というのもまた、田中先生の唱える説であり。これも実に素直な解釈。
確かに、画像左側のユダヤのラビと、右側の埴輪はそっくりです。
私はこれは慧眼だと思う。まさしく古代日本に、ユダヤ人は来ていた。
そして日本の穏やかな環境が、日本人の穏やかな気質が
ユダヤ人を日本に「同化」させた。
これは本当に、そうなのでしょうね。
学問の定説は大概覆される。これは歴史の定説も同じこと。
学問とは、常に「流動」しているもの、古い説は新しい説によって否定される。
歴史の定説もまた、いつか覆される可能性は常にある。
人類発祥の地は、アフリカではなく日本、とか
織田信長は本能寺で死んでおらず、明智光秀は天海僧正となり、とか
上杉謙信はじつは女性。そうして源義経は
ジンギスカンになった。
なんていう風に、定説が覆される日がくるかもしれません。
歴史はロマン、歴史は最高のエンタテインメント。
可能性は常に、「0」ではない。
そう考えると、楽しいよね。