都合により、2日ほど記事を休載いたします。
どちら様もご了承の程。
これだけ激しく踊りながら、生歌だもんね。これがスタダ・アイドルの実力よ!
9人それぞれの個性を発揮しながらも、パフォーマンスはバラバラになることなくちゃんと纏まってる。安杜さんカッコイイし、みうちゃんは細かい事やってるし、しんじゅちゃんはあざといし、でも突出することがない。一定のまとまりがあるんだよねえ。
良いグループですよ、ホントに。
昨夜、久しぶりにももクロ主演映画『幕が上がる』を鑑賞しました。
良かった~!
撮影が2014年で公開が2015年ですから、ちょうど10年前に撮影された映画です。もう10年経ったんだねえ。
この10年の間に、私の映画の見方も変わってきて、一時期は夏菜子のナレーションがちょっとウザイかな、なんて思ったりもしたのですが
いやいや、そんなことはない。
あのナレーションは必須です。
百田夏菜子演じる高橋さおりの、場面ごとの複雑な心情を、観客にわかり易く伝える。特に映画の前半の部分は、さおりの心の中は揺れに揺れ動いていますので、それを観客に「わかり易く」伝えるには、ナレーションはやはり必須だなと。
まあ、「アイドル映画」だから、なんて言い方は誤解を招きそうですが、でもつまりはそういうことなんですよね。
べつに「芸術映画」を撮っているわけではないのだし、エンタテインメント映画、娯楽なのだから
変に難しくする必要はない。
そのナレーションも映画の中盤以降、さおりの中に確固たる「芯」が出来上がってから、一挙に減って、演技だけで見せるようになっていく。
それとともに、それまで動き回っていたカメラが、一か所に腰を据えて動かなくなる。さおりの心情とシンクロしているんですね。
この辺りの本広克行監督(『踊る大走査線』シリーズ)の演出、上手いなと思いますねえ。
改めて、ももクロメンバーの演技力の高さに感じ入ってしまった。百田夏菜子演じるさおりと、有安杏果演じる中西さんとの、駅のプラットフォームでのシーンなんて、今観ても泣けます。
高校演劇部の熱き青春を描いた映画。運動部ではなく演劇部ですが、そこにも青春はあったし、恋愛要素まるで無しでも、女子高生の熱き青春は十分に描ける、感動できるのです。
これまだ観ていないという方、ホント勿体ないよ。ぜえったい観るべき。感動すること
請け合い。
というわけで『Chai Maxx ZERO』です。
さおりの見る悪夢(?)の中で掛かる曲ですね。この他映画の中では『行く春来る春』や『LINK LINK』、エンディングには『走れ!』そして『青春賦』などのももクロの曲がかかる。この辺はアイドル映画ならでは、ですかね。
特にエンディングタイトルでももクロが歌い踊るのは、昔々のアイドル映画、大林宣彦監督、原田知世主演による映画『時をかける少女』へのリスペクトなんです。
これに気づいた人、案外少ないみたいで、かの岡田斗司夫氏も気づいていなかったらしい。
勝った!(笑)。
10年経っても色褪せない、素晴らしき青春映画、『幕が上がる』。
是非ご覧あれ。
ももクロの歩んだ歴史の中の、重要な「節目」の一つ。
今回は女性たちの「戦い」です。ネタバレあり。ご注意。
二階堂ふみ演じる落葉の方(淀殿がモデル)は、織田信長をモデルにした人物の娘という設定。で、その父を殺したのが、アンナ・サワイ演じる鞠子の父・明智某というわけです。
二人は幼い頃大変仲が良かった。
落葉の方は何故、太閤の側室となったか?それは太閤の世継ぎを産むことで自身の地位を上げ
吉井虎永(真田広之)を斃すため。
一方の鞠子にもまた、父より受け継いだ、生きる「目的」があるようです。
戦国時代、戦っていたのは男どもだけではない。女性たちもまた
「戦って」いたのだ。
ハリウッドが描くこれまでの日本女性は、男性に従属的で、あまり自分の意思を持たないかのようなえがかれかたをされることが多かった。でも今回は違う。
登場する女性たちは、遊女にいたるまで豊かな知性と教養を持ち、強い意志を持つ。
確かに男性に比べれば、その地位は低かっただろう。しかしその状況のなかでも、女性たちは必死に生きて、強く逞しく「戦って」いた。
二階堂ふみさん良いね!落葉の方は虎永の単なる敵、悪女ではないんです。自身の過去を回想しているときのちょっと哀し気な表情に
この女性の歩んだ、人生の深さ重さを感じます。
どうやらこのドラマ、必ずしも按針が主役というわけではないようです。
物語の中心には、常に吉井虎永がデンと鎮座している。そうしてその虎永の周りで動き続ける人々がいる、という「群像劇」の様相を呈しているようです。
物語の中心にいるのは虎永。
さて、その虎永。愈々兵をあげることを決断したようです。
時は来た!