江戸時代の身分制度として、士農工商が言われていますが
これはさほどに明確なものでも、厳格なものでもなかったようです。
縦一列にきっちりと分けられていたわけではなく、結構流動的なもの、だったらしい。
武家では家を継ぐのは基本、長男と決まっていたので、次男以下の男子は他家の養子になることがほとんどのパターンだったわけです。
この、養子に行く先というのは、必ずしも同じ武家とは限らなかった。
豊かな財を成した商家に婿入りする、などということもあったのです。
その逆もまたしかり、商家の娘さんが武家に嫁入りするなどということもあり、身分差というものは必ずしも絶対的なものではなかったわけです。
横一列だったというわけではないですよ。もちろん一番偉いのは武家でした。しかし上に挙げた例のように、結構流動的なものではあったわけで、これはつまり
縦一列というよりは
役割分担型の社会だった、ということが言えそうなのです。
経世家、農政家として歴史に名を遺す偉人、二宮尊徳は農民の出ですが、その才覚が認められ士分に取り立てられています。
一昨年の大河ドラマ『青天を衝け!』の主人公・渋沢栄一も、農民から士分に取り立てられ、最後の将軍徳川慶喜の家臣になっています。才覚さえあれば、こういうこともあり得た。
また、士分は金で売り買いもされていたようで、裕福な商家などが士分を金で買い、帯刀していた、なんてこともあった。
武家がトップであったことは間違いない。しかしその身分は、必ずしも生まれですべて決まってしまうわけではなかった。
江戸時代には各地で新田開発や特産品の開発が大いに奨励されており、農民たちの中には農業以外の、副業を行う者たちもおりました。
農民身分の中では「水呑」などと称されるような最下層の者が、酒屋や運送業、水運業などの副業で大いに稼ぎ、裕福な暮らしをしている者たちもいた。
身分差がなかったわけじゃない。しかしその身分に必ずしも雁字搦めに縛られていたわけでもない。
割と、割とですけど
自由な部分があったということは、言えるわけです。
これ、「暗黒」ですかね?
もちろん、まったく問題がなかったわけじゃない。江戸時代がユートピアであったなんて言うつもりはないし、言えるわけもない。
どんな時代、どんな社会であろうと、プラスの面があると同時に、マイナスの面だってある。
それは現代も同じこと。
江戸時代の庶民は、とりたてて「暗黒」世界に苦しんでいたわけではない。ということだけは
確実に言えますな。