武士道が儒学と融合され、精神性の高い哲学として大成したのは、江戸時代末期と言われています。
哲学とは、何を美しいと感じるか、という感性であるそうな。
武士道とは「いかに美しく死ぬか」という道であり、それはつまり、「いかに美しく生きるか」ということ。
【武士道とは死ぬこととみつけたり】とは、【武士道とは生きることとみつけたり】と同義なのです。
この映画の主人公河井継之助は、この「武士道」に準じた典型的な人物として描かれています。これはおそらく、小泉監督思うところの「理想の武士」像であり、「理想の男性」像なのでしょう。小泉監督はこの河井継之助という男に、己の理想を仮託したのだね。
広く世界を見る目を持ちながらも、あくまで長岡藩家老としての「立場」を遵守し、いくさを回避する道を模索しながらも、いざいくさとなった時の準備万端怠りなく、当時最新の兵器ガトリング銃=マシンガンを装備する周到さ。
ある意味、「今」の時代にこそ必要な在り方だなと思いながら、観させていただきました。
ただ映画としてはねえ、ちょっと盛り上がりに欠けるというか、平板に過ぎるんだな。
河井継之助は確かに理想の武士かも知れないが、正直喋り過ぎ。それもやたらと格言めいたことばかりをべらべら喋る。役所広司さんが演じているからまだ観られるけど、役所さんでなかったら、うんざりしますよ。
戦闘シ―ンはなんだか30年~40年くらい前のテレビ時代劇みたいで、今どきこんな演出で観客が納得すると思っているのか甚だ疑問。
河井継之助の将としての有能さもほとんど描かれておらず、司馬遼太郎の原作では、敵将山県有朋との駆け引きがスリリングに描かれており、原作のファンはそのシ―ンが観たかったに違いない。
しかし映画ではまったく描かれていないんだな、これが。
原作ファンの期待を見事に裏切った。恨まれますよこれは。
監督が思い描く「理想の武士」像は描けたかも知れませんが、映画としては甚だ盛り上がりに欠けるし、幕末史の複雑さと相まって、なかなか一般受けはし難いかなという印象。
映画のラスト、継之助が妻に宛た手紙に記されていたという、古今和歌集の一首。
【かたちこそ深山がくれの朽木なれ心は花になさばなりなむ】
河井継之助が、小泉監督が理想とする武士像が、この歌に凝縮されている
ということでしょうか。
最後に
継之助の父親役の田中泯さんが良かったですねえ。
隠居の身とはいえ、まるで古武士のような威厳、一本芯の通った強さ。
やっぱり、田中泯しか勝たん!