ドラマは終わったけれど、アキちゃんとユイちゃんの人生は、これからもまだまだ続いていく。
トンネルの向こうに見える光。それは未来への希望。アキちゃんもユイちゃんも、北三陸の人々も、被災地の方々も、東北も、日本も
未来の、希望の光へ向かって
進み続ける。
あまちゃん10周年スペシャルコンサートより。大友良英スペシャルビッグバンドwithのん『暦の上ではディセンバー』
半年間楽しかった。ありがとうございました。
ドラマは終わったけれど、アキちゃんとユイちゃんの人生は、これからもまだまだ続いていく。
トンネルの向こうに見える光。それは未来への希望。アキちゃんもユイちゃんも、北三陸の人々も、被災地の方々も、東北も、日本も
未来の、希望の光へ向かって
進み続ける。
あまちゃん10周年スペシャルコンサートより。大友良英スペシャルビッグバンドwithのん『暦の上ではディセンバー』
半年間楽しかった。ありがとうございました。
かじるバターアイス。バターの味がメッチャ濃厚!
でも、メッチャ旨😋
でも、食べ過ぎには気を付けよう。
我が家のお米は「銀河のしずく」です。旨いよ😋😋
ラウド・ロックて奴かな。またこういうのが似合うんだ。
相棒は新津ちせちゃん、以前より大人っぽくなったね。子供の成長は早い。それにしても旨そうに食べるね。ていうか、「旨そう」ではなく本当に旨いんだけどね😋😋😋😋
こんなのも。
映画『Ribbon』観るべき映画。
仙台PARCOにて開催。いいね、やはりのんちゃんは東北だ(笑)
のんちゃん大活躍。
『あまちゃん』今日で終わっちゃうよ~!!( ノД`)
2000年代初め頃にはプロとして活動していたようです。陰陽座あたりとも活動をともにしていたこともあったらしい。ごめんなさい、全く知らなかった。
大阪のご出身なんですね。大阪外語大学卒で、一時期音楽活動を辞めて留学していた時期もあったようです。才媛ですな。
反戦歌ではありますが、安直な平和志向には陥っていない。戦い散っていった者たちの想いを切々と歌う。
特攻隊の将校さんが恋人に宛てた遺書を英訳朗読し、世界に発信しています。なんと尊い活動だろうか。もっともっと話題になるべきだと思うのですが、こうした活動はこの国では報道されないんですね…。
まあ、単に私が知らなかっただけかもしれませんが。
この遺書、日本語字幕が付いているからとはいえ、泣けます。
こうしてこの国を護るために散っていった多くの方々のお陰で、今の我々の生がある。哀しいことですが、ありがたいことです。
この方々の想いに報いるためにも、今我々日本人が本当に成すべきことは何なのか、このままでいいのか。
考えなきゃいけません。
この方たちの想いを、伝えていかなければいけません。
護国英霊の方々へ、心よりの感謝を。
ヘヴィ・メタルには有望な若手バンドがいない、らしい。
最近の奴はほとんど聴かないので、実態はよくわからないのですが、確かに活躍しているバンドは昔から続けているバンドとか、一度解散して再結成したバンドとか、なんかそういう人たちばかりかなあ、という感じがしてしまうのは確か。
私の個人的感想ですよ、あくまでも。
まあねえ、音楽というか業界というか、「かたち」が変わってきてますからね。今はSNSのせい(?)で、バンドというものが育ちにくい状況にあるらしい。バンドというかたちに頼らない、新たなかたちのメタルが登場でもしない限り、生き残るのは難しいのかも。
栄枯盛衰、消えゆく運命にあるものは、消えゆくしかないのか…。
なーんてね、そんなことを考えても仕方がない。私はメタルが好きだ。だからメタルを聴く。
願わくば将来にわたるメタルの繁栄を希望するけれども。それは私には如何ともし難い。
消えゆく運命にあるものを愛でるのもまた良し…って、まだ消えゆくとは決まってないけどね(笑)
というわけで、人間椅子です。
人間椅子といえば、初期のBlack Sabbath的なオドロでズルズルなサウンドというイメージですが、こういう疾走感溢れる典型的なメタル・ナンバーも書くんだね。これはこれで良い。
和嶋さんの歌は上手いとは言えないけれど、これはこれで味わいがある。
そうそう、これで良いんだよ、これで。
続けていることの尊さ。人間椅子というバンドを産んだ青森、東北という土地。我が国日本に
感謝。
否定はしませんよ。時代劇はある種のファンタジーです。ある程度のリアリティさえ保っていれば、後はなにをやっても構わない。
作る側がどこに視点を置くか、どのような内容にするかは
作り手の自由。
一口に「史実」といっても、ものによっては10年前の説と現代の説とでは大きく変わっているものだってあるようだし、複数の説が入り乱れて本当のところはよくわからないことだってある。
だから「史実」と言われるものは、”ある程度”までの事実なのだ、と、
あくまで個人的には、ですが
私はそう、思っています。
だからある程度の”史実”を掴めば、あとはそれをベースとして独自の物語を作るのは自由です。これはある意味、表現者の
「特権」だといっていい。
なので、その作品の「中身」によって、時代考証や言葉遣い、所作などの重要性は違ってくる。
『鬼平犯科帳』のようなリアル志向の強い時代劇なら、かなりかっちりとした時代考証が必要だし、言葉だって現代語でもオーケーというわけにはいかない。
一方『るろうに剣心』のような独自な世界観の中でなら、金髪を逆立てた奴が出てきても、腕にバズーカ砲(?)を付けた奴がいても構わないのです。
「リアル」ではなくても、その作品の世界観の中で「リアリティ」を感じさせれば、それで「勝ち」。
逆に「いくらなんでも、これはないだろう!?」と思わせてしまったら、それは「負け」。
そういうものではないでしょうか?
『鬼平』も『るろ剣』も、『どうする家康』にしても、その世界観なりの「リアリティ」がある。まっ、一部分「それはないだろ!?」的なところもありますが(笑)、私的には許容範囲内だなと思う。
そういう意味ではどれもこれも皆
立派な「時代劇」だ。
要は観た人それぞれが「面白い」と思うか「面白くない」と思うか。その点が一番重要。
エンタテインメントって、そういうもんでしょ?
ただこれらの「エンタテインメント時代劇」で描かれていることは、基本的に皆「フィクション」なのだということ。
だからこれらの作品を観て、歴史を学ぼうなどとは
間違っても思ってはいけない。
本気で歴史を学ぼうと思うなら、学術書を沢山読んで、勉強するしかないのです。
時代劇とか大河ドラマを観て、歴史の勉強になるなどとは、決して
思ってはいけない。
エンタテインメントはエンタテインメントなのです。
時代劇はファンタジーなのです。
楽しめば良いのです。
あくまでも個人的見解です。
さて、思いのほか前置きが長くなってしまいましたが、『首』ですか。
まあ、良くも悪くも「北野武の映画」という感じ、ですねえ。
武さん特有の「人間観」なり「歴史観」が思いっきり出ているといった感じで、武さんファンにとっては垂涎の的、なのかもね。
まあいいんじゃないですか。こういう視点もあっていい。
ただ私の趣味には合わないな。多分観ないな。
否定はしません。これはこれで、立派な時代劇でしょう。
観たい方はどうぞご自由に。存分に楽しんでいただければ
それで良し。
それにしても、武さんが秀吉って、どう見ても歳取り過ぎ!この点だけは
納得いかんなあ…。