加東市光明寺 高野山真言宗 五峯山 光明寺
法道仙人の開創
観応2年(1351)、足利尊氏とその弟直義が対立した光明寺合戦は『太平記』に記載されていますし、文明17年(1485)赤松政則と山名政豊の戦いでは光明寺の3院21坊が宿坊として割り当てられており、幾多の争いの場でもあった
多聞院・遍照院・大慈院・花蔵院という塔頭が並び、山門を入ると、文殊堂・鎮守社、常行堂、さらに階段を上ると大正14年(1925)に再建された入母屋造り銅板葺きの本堂(国登録有形文化財)がある。
平安時代後期の銅造如来坐像(国の重要文化財)、一幅善導大師画像(市指定)などの文化財が残る。
光明寺本堂(金堂)トップ画像
大正14年(1925)再建 めぼしい彫刻なし。
常行堂(阿弥陀堂)
元禄14年(1701)~宝栄年間(1702)再建
彫刻・中井彫刻・丈五郎正忠に似通ってますが、年代があいません。君音より前の代ですね?後付け?
それとも幻の君音前、先代?
文殊堂
天和2年(1682)再建
正面唐破風向拝は、昭和57年新調
彫刻は、昭和57年 飾磨彫刻(推定)
花蔵院
詳細不詳
これは、浪花彫刻ですね。(彫師不詳)しかも良作
大慈院
詳細不詳
新井彫刻かなぁとも推定しますが・・・
人物は、似てますが、獅子は少し違うような?はっきりしませんね。
御影堂
詳細不詳
はっきりしませんね・・・・京彫か?
平成12年12月撮影
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