善通寺 時宗
永禄年間(1558~69)覚阿上人の開基と伝えている。総本山遊行寺の末寺ですが、宗祖一遍上人の遊行の地として尼崎は深く関わりがあり。当寺は、時宗四条派大本山金蓮寺末三大寺の一寺としてたびたび法主を出した由緒ある寺院。本堂は宝永3年(1706)の大修理を受けていますが、移築当時の様式をそのまま伝えているようです。
寺内には秦武文(はたのたけふみ、右衛門府の下官)の碑が建てられています。「後醍醐天皇」の皇子、「尊良親王」は土佐国(とさこく:高知県)の幡多(はた)郡へ配流されたとき、秦武文がお供をしました。妃を土佐に迎える途中尼崎で海賊のために奪われ、ついに自決した南朝方の忠臣悲話(太平記、「金ヶ崎恋物語」)が伝えられています。(尼崎市教育委員会)
本堂・彫物なし
山門
おはようございます。
基本は、防腐防蟻処理なんでしょうね・・・・・
この山門は垂木小口にも塗ってますので見た目のバランスで塗っているような感じもしますが・・・・・どうですか・・・・
彫物好きにとっては、金網しかり残念ですね。