ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

川面東勾欄彫物3

2008年12月14日 22時16分12秒 | 川面東
勾欄彫物のほとんどの人物は、手に何かしら道具?物?を持っていたようです。残念ですが現存は、ほとんどしてません。

手に持っている物が現存している彫物は、3体分で漁師=網・漁師=オール? 海女=貝か玉?あともう1体不完全ですが、海女が左手にかご、右手に何か持っていた形跡の彫物(下画像)



各持ち物にも実は物語のヒントがあるのかもしれません。
この物語が解明されて、原作に絵図があり、何を手に持っていたのかわかったら復旧したいなぁなんて思ってます。
そんなこと思うのは、私だけ?そんなことないですよね。(笑)

冒頭画像は、海女(ほんまに海女ですか?)の手には過去にあきらかに何か持っていた形跡が見られます。

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2 コメント

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アニキだけちゃうで~ (ひっそり)
2008-12-15 11:34:07
<そんなこと思うのは、私だけ?そんなことないですよね>
そんなことないで~、何でも解明していくのは、おもろいし好奇心がわくね、この間からず~とアニキのコメ読んだり写真見ててふと思ったんやけど、昔の小浜宿は海岸べりやん(小浜の由来が小さい浜)海がそこまで来てたんやから海にまつわる伝説や昔話は当然あってあたりまえやし、地車を造る時の題材になってても、おかしないよな、是非いけるとこまでの解明をお願いします。俺も多少調べよっかな!
話変わるけど、今は復活不可能?な、小浜流が作ってた酒、辛口らしいけど飲みたいよな!
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伝説 (あにき)
2008-12-15 22:16:35
ひっそりさんいつも楽しみにしてくれてありがとうございます。めちゃはげみになってます。ちょと最近がんばってるでしょ。(笑)

ちょと私は考え違いまして、小濱が昔海岸はありえないと思ってます。武庫川がもう少し広く、深く海までの海上交通が頻繁やった可能性はあるとは思いますが。
東勾欄の彫物は単純に昔のおとぎ話と思ってます。
当時の製作に関わった方(施主)がそこまで考えていたとは思えないので、大工もしくは彫師の選択であったと思います。じゃないと次々回ぐらいに登場しますが、車板の題材なんか思いつかないでしょう。他地区の地車も勾欄廻りから下は海関係の題材が一般的に多いです。

小濱地酒=復活どうでしょうか?
宮水しだいでしょう。でもうまかったら現在でも・・・のような気がします。
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