大覚寺 律宗
建治元年(1275)に尼崎に来たと伝えられる琳海(りんかい)上人が道場を創め、同地にあった値願(ちがん)上人創建の漁民や海運業者の信仰が厚い燈炉堂も嘉暦元年(1326)には寄進されて寺容を整えました。残された絵図によれば寺内には市庭(場)が設けられ住民の公共施設としての機能も果たし、宗教だけでなく政治・経済・文化全般にわたっる中心になっていたことが分ります。
南北朝時代には両朝の将師がそれぞれ当寺を本拠とし、足利2代将軍義詮(よしあきら)などは半年にわたって在陣した。元和年間尼崎城築城にあたって旧東本町から現在地に移転。(尼崎市教育委員会)
本堂は、昭和13年関西初の桃山様式鉄筋コンクリートにて再建。
外観彫物なし
山門に彫物
境内に能舞台あり
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