江戸時代 、日本からの再々の要請に,中国 明の禅僧隠元は63歳の時
長崎に来航、当時衰退の兆しが見え始めていた日本の禅宗界に
強烈な刺激をあたえた。
隠元は3年で帰国するつもりであったが、引き留められ、法皇や
四代将軍徳川家綱から帰依をうけ、やがて将軍が寄進した京都 宇治の
寺領に萬福寺を開いた、これが日本の黄檗宗大本山となる。
日々の行事の時刻を知らせる 「かいぱん」
布袋坐像 布袋は10世紀初めに中国に実在した禅僧
日本では七福神のひとりとして信仰されている。
中国的な雰囲気をただよわせる回廊