岡本寺又は池後寺(いけじりでら)ともいう。聖徳太子臨終の遺命をうけた山背大兄王が岡本宮を寺に改め
大和と近江の田を施入して寺領としたことにはじまる。
706年建立と推定される三重塔(国宝)は、唯一現存する創建当時の建造物で、三重塔としは、日本最古、
最大で、飛鳥時代の様式を今に伝えている。
昨日(8日)の法起寺です。午後6時30分
午後6時40分
午後7時
岡本寺又は池後寺(いけじりでら)ともいう。聖徳太子臨終の遺命をうけた山背大兄王が岡本宮を寺に改め
大和と近江の田を施入して寺領としたことにはじまる。
706年建立と推定される三重塔(国宝)は、唯一現存する創建当時の建造物で、三重塔としは、日本最古、
最大で、飛鳥時代の様式を今に伝えている。
昨日(8日)の法起寺です。午後6時30分
午後6時40分
午後7時
元興寺旧境内の南東隅にある。元興寺の子院の1つとされ、地蔵尊を祀る寺として早くから
信仰を集めていた、また本堂は国宝である。
午後に訪れた為、蓮の花はかたく閉じていた。お釈迦さんが菩提樹の木の下で悟りを開いたといわれる
菩提樹が境内にあり、その花を見に1人来られていましたが、花は終わっていました。
五條は紀州街道、金剛道、西熊野街道が交差し吉野川の水運も利用出来る交通の要所であった。近世初頭の五條は、
吉野の産物を諸国に送る中継地としての役目を担い、商業活動が活発であった。また近世中頃からは熊野詣、高野山参り、
吉野名所めぐりなどで通行量も増え、宿場町としても繁栄した。五條の町並みは、江戸時代に建てられた町屋の占める割合の高い
全国屈指の町並みである。
表に価格表示なし、店構えから観ても高そうであったが、「ざるそば」が食べたかったので店に入る。
メニューを見てやれやれ。 きつねうどん350円、ざるそば450円、安い!!
「ざるそば」おいしかった・・・・ 山直のおかあさん、おばあちゃん 有難う。
行基によって創建されたといわれ、行基自身は晩年喜光寺に隠棲し749年に亡くなったといわれている。
この地は菅原道真でよく知られている菅原氏の本拠地といわれる事から、かっては菅原寺と呼ばれていた。
また行基が喜光寺の金堂を参考に、これを10倍の規模に拡大して東大寺の大仏殿の造営にあたったとの伝承から
試みの大仏殿とも呼ばれていた。現在は薬師寺の末寺となっている。
蘇我馬子が飛鳥に建立した飛鳥寺を平城京遷都に伴い、元興寺の名で新たに伽藍が建立された。
南都七大寺として広大な寺域を持つ本格的な寺院であったが、室町時代及び江戸時代の大火で
伽藍の大半が焼失した。