昼休み、ご飯食べながらワイドショーを見ています。
そんな時、事件があると時々こちらが意識を向けなくても
受動的に情報が入ってくるときがあります。
このまえ、自転車屋さんをしていたおじさんが息子を殺してバラバラにして
瀬戸内海に捨てたというようなものがあったとき、
パ~ンと 家庭内暴力でお父さんが悩み苦しんでいた姿が見えました。
本当に、男手で防ごうとしているし、、けれど
生活の大変さ+息子からの暴力によって 出口のない闇にすすんでしまったと。
本当に優しい人柄のいい父親だったから、自分でなんとかしようとしてしまったんだろうと感じました。
詳細が語られる前に助手さんに、家庭内暴力ですよ。。このお父さん可哀想
と 言ったら、それと同じことをリポーターの方が言い始めました。
最近では 子殺し、親殺しが見る側、聞く側にとって日常の
普通の感覚に変わりつつあるのが怖い。。。
でも、やはり そこには全くレベルの違いが明らかにあって
虐待などで小さな子供を殺してしまう 虫ケラ以下の存在から
よそ様に迷惑かけないよう、しかし自分もやられ続けどうしようもないと
考えあぐねた挙句、自ら決着をつけてしまったという人たちでは
事情が違いすぎる。 だから 情状酌量というものがあるのだけれど。
昔 辛過ぎると思ったのが、
48くらいの男性が 殺された事件で、家族総出で殺したと。
中には80近い 足の不自由なおばあさんまでもが
はいずって棒で殴ったと。
ソコまでに至るには 金の無心で暴力を振るいまくった男の姿が見えるのですが
力の弱いひとたちが 怯えながら、反撃したという姿に
涙が出てきます。おばあさんの必死な形相を見ると 胸が締め付けられる思いです。どんなに どんなに辛い思いを長年していたのかと思うと
ただの人殺しと片付けるには 言葉が軽すぎるような、
これこそ生き地獄だったのだろうと ギュッと痛くなります。
執拗に殴り続けたのも 恐怖からでしょう。
人殺しはいけません。暴力も反対です。
ただ、こういう事態を見ると、
やはり理由には段階があるし、表面だけで放送されていることよりも
もっともっと事情があるんだと 本当に悲しくなります。
だからこそ 裁判員制度は あった方がいいと思います。
そんな時、事件があると時々こちらが意識を向けなくても
受動的に情報が入ってくるときがあります。
このまえ、自転車屋さんをしていたおじさんが息子を殺してバラバラにして
瀬戸内海に捨てたというようなものがあったとき、
パ~ンと 家庭内暴力でお父さんが悩み苦しんでいた姿が見えました。
本当に、男手で防ごうとしているし、、けれど
生活の大変さ+息子からの暴力によって 出口のない闇にすすんでしまったと。
本当に優しい人柄のいい父親だったから、自分でなんとかしようとしてしまったんだろうと感じました。
詳細が語られる前に助手さんに、家庭内暴力ですよ。。このお父さん可哀想
と 言ったら、それと同じことをリポーターの方が言い始めました。
最近では 子殺し、親殺しが見る側、聞く側にとって日常の
普通の感覚に変わりつつあるのが怖い。。。
でも、やはり そこには全くレベルの違いが明らかにあって
虐待などで小さな子供を殺してしまう 虫ケラ以下の存在から
よそ様に迷惑かけないよう、しかし自分もやられ続けどうしようもないと
考えあぐねた挙句、自ら決着をつけてしまったという人たちでは
事情が違いすぎる。 だから 情状酌量というものがあるのだけれど。
昔 辛過ぎると思ったのが、
48くらいの男性が 殺された事件で、家族総出で殺したと。
中には80近い 足の不自由なおばあさんまでもが
はいずって棒で殴ったと。
ソコまでに至るには 金の無心で暴力を振るいまくった男の姿が見えるのですが
力の弱いひとたちが 怯えながら、反撃したという姿に
涙が出てきます。おばあさんの必死な形相を見ると 胸が締め付けられる思いです。どんなに どんなに辛い思いを長年していたのかと思うと
ただの人殺しと片付けるには 言葉が軽すぎるような、
これこそ生き地獄だったのだろうと ギュッと痛くなります。
執拗に殴り続けたのも 恐怖からでしょう。
人殺しはいけません。暴力も反対です。
ただ、こういう事態を見ると、
やはり理由には段階があるし、表面だけで放送されていることよりも
もっともっと事情があるんだと 本当に悲しくなります。
だからこそ 裁判員制度は あった方がいいと思います。