スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

リサイクラー

2009年05月28日 | リスペクト
やっと やっと
生ごみ処理機 リサイクラーを 買いました。

ずっと環境のことについて気になっていて
(自分の台所の生活環境も) 

冷蔵庫の中の物を 恐る恐る投入。

約2時間で 炒めたまねぎのような香りになりパラパラなチップに変身。
あれほど 腐りかけてたものが いい香り。

量も1/5くらいに減って パリパリに乾燥しているので汚くない。
庭の土に撒いて おしまい。

こまめに生ごみを入れられるし、ごみとして出す事もほとんどなくなりました。
できた乾燥くずは 肥料にもなるし 燃えるごみとしても出せる。

裏のおばさんに話したら「私もほしかったのよ~」って早速 翌日に
買ってきていました。共同で使いませんか?って言ったのだけれど
家にほしかったからって。

これは本当に便利だと思います。生ごみを排水口に流すプロセッサー式もあるのだけれど、生のままで流すのは環境に対して負担がおおきすぎるかなと。
土に帰せば肥料になるから お花を育ててる身としては助かる。

もっともっと普及すれば良いのにと思いました。

彷徨う魂

2009年05月22日 | スピリチュアル
時々、向こう側からの意識が入ってきます。
追体験のような。。。

昔 まだ日本人が蓑を着ているような時代。
山奥の山小屋で夫婦が暮らしていました。

ある日 隣の(とはいってもかなり離れている)
人柄は良いけど少し頭の不自由な男の人がその家に しとめたウサギを持ってきた。「これあげるだ。」 ただそれだけだった。

奥さんが2階(蚕小屋のようなつくり)から降りてきて
対応しているときに だんなさんが起きて 二人のしゃべり声を聞き、

「何しに来た!? 二人 できてるのか?」と銃をもって降りてきた。

奥さんは「誤解だよ。ウサギもってきてくれただよ」と説明しても
だんなの怒りは収まらず、 男もしどろもどろ。

そして 銃をもっただんなの姿におびえていた奥さんが
何かの拍子に 足がつまづき 「ギャ」っと声を上げたとたん
だんなが男を撃ち殺してしまった。

小屋から急いで飛び出て、雪の積もる中、長い長い時間 木戸を二人で
泣いて震えながら押さえつづけていたという姿が見えた。

その男の老いた母親が心配になり 尋ねてきても 知らないと嘘をついてしまったと。。。
途中ウチに寄って山に狩りに行くって言ってたから、、道に迷ったのかもしれないと付け加えて。

そして、二人とも頭を垂れながら、自分達はあの世にいけるんだろうか。。と
こんな事してしまって、と涙ながらに 話しています。
もうすでに死んでいるのに。 おそらく100年は経っているでしょう。

こちらもその話を聞いて、「もうすでに亡くなって100年以上は経っている。
殺人事件でも日本では刑期100年はないでしょう。 だから
このことを肝に銘じて。すでにこの世で彷徨い続けながら悩み苦しんだでしょう。」というと、 二人とも「聞いてもらえて、ありがとうございます」と
深々と丁寧にお辞儀をしてす~~っと光って消えて行きました。

心情を他人に吐露する事だけでも あちらへ行くスタートになるんだと
そして こういう事を起こしてしまった人たちは
何百年経っても その場で同じ気持ちでまるでビデオの再生 巻き戻しを
繰り返すように 彷徨いつづけるのだと 知りました。

ご冥福を祈ります。合掌。


ワイドショー

2009年05月22日 | スピリチュアル
昼休み、ご飯食べながらワイドショーを見ています。

そんな時、事件があると時々こちらが意識を向けなくても
受動的に情報が入ってくるときがあります。

このまえ、自転車屋さんをしていたおじさんが息子を殺してバラバラにして
瀬戸内海に捨てたというようなものがあったとき、

パ~ンと 家庭内暴力でお父さんが悩み苦しんでいた姿が見えました。
本当に、男手で防ごうとしているし、、けれど
生活の大変さ+息子からの暴力によって 出口のない闇にすすんでしまったと。
本当に優しい人柄のいい父親だったから、自分でなんとかしようとしてしまったんだろうと感じました。

詳細が語られる前に助手さんに、家庭内暴力ですよ。。このお父さん可哀想
と 言ったら、それと同じことをリポーターの方が言い始めました。


最近では 子殺し、親殺しが見る側、聞く側にとって日常の
普通の感覚に変わりつつあるのが怖い。。。

でも、やはり そこには全くレベルの違いが明らかにあって
虐待などで小さな子供を殺してしまう 虫ケラ以下の存在から
よそ様に迷惑かけないよう、しかし自分もやられ続けどうしようもないと
考えあぐねた挙句、自ら決着をつけてしまったという人たちでは
事情が違いすぎる。 だから 情状酌量というものがあるのだけれど。

昔 辛過ぎると思ったのが、
48くらいの男性が 殺された事件で、家族総出で殺したと。
中には80近い 足の不自由なおばあさんまでもが 
はいずって棒で殴ったと。
ソコまでに至るには 金の無心で暴力を振るいまくった男の姿が見えるのですが
力の弱いひとたちが 怯えながら、反撃したという姿に
涙が出てきます。おばあさんの必死な形相を見ると 胸が締め付けられる思いです。どんなに どんなに辛い思いを長年していたのかと思うと
ただの人殺しと片付けるには 言葉が軽すぎるような、
これこそ生き地獄だったのだろうと ギュッと痛くなります。
執拗に殴り続けたのも 恐怖からでしょう。


人殺しはいけません。暴力も反対です。

ただ、こういう事態を見ると、
やはり理由には段階があるし、表面だけで放送されていることよりも
もっともっと事情があるんだと 本当に悲しくなります。

だからこそ 裁判員制度は あった方がいいと思います。



凄い面子

2009年05月21日 | インチョの酒
Mちゃんに声かけてもらって 先日 ある飲みに参加しました。

そこでは(もちろんMちゃんも凄いのですが)
コユーイ面子が勢ぞろいww
パワーが半端無い人たちばかりで、おそらくこれからの日本で
いろいろと活動されるひとたちなんだろうと 気持ちのよい混沌さでした。

ウィキに名前載ってるしw。

開いてる人たちばかりだったので、初対面ではあまり私は不思議な
話の中でもディープな部分は触れないのですが
皆さん @そうだよね  的に おそらく根本的に理解が進んでいるんだろうと
思う人たちで 凄く気楽でした。

前世なども見せてもらったのですが、ほとんどの人が
結構古い魂から持ち合わせている人たちで
そのときの性質というか、行動を見て お伝えすると
やはり今現在もそれにまつわるような行動をしている。

前世や、見えることを伝えると
「そうそう。そういう事してた」って自分の前世も知ってる人もいて
面白いメンバーでした。

こういう人たちがすこしづつ状況を変えていくんだろうと頼もしくなりました。

Mちゃん誘ってくれてありがとうね。




生活保護制度について

2009年05月21日 | 憂国
もうね、、以前から イライラする話です。

医療関係者の間では生保の人って本当に生保が必要な人ばかりなのか?
という事は昔からお題にのぼる話題だったのですが
最近 2ちゃんねるなんかでは 結構詳しくやってるので
本当のマスコミよりも 真実を言ってるんじゃない?って思うことも
多々あります。
医療費無料なので 結構言いたい放題だったり要求が普通以上なこともしばしば。
普通の患者さんの方がよほどしっかりしてる。

2ちゃんねるは玉石混合だけど、かなり的確な事も話題になる事も多いし。
ただ 人の批判とか悪口とか根も葉もないうわさなんかは
やりすぎ感はありますが。

さておき、 生活保護ってば、出所は私たちの税金であるのに
一旦 国庫に収まった金は 議員やら担当者が懐から配っているとでも勘違いしているのか、国民の総意からは離れて活用されているようにしか思えないですし
こういう事こそ フレキシブルに変更があってしかるべきだと思います。

お金に絡むことには必ず 必ず 裏をかいて利を得ようとするやからがいるわけで
そういう人たちに ダダ漏れなお金をつぎ込むという事は
国の将来のお金も減るし 彼らは何の生産もしないわけだから
国家の収入としても見込めない面倒みなきゃいけない人口なわけだし 
ひいては 将来の私たちの子どもたちなどへも ツケが回るという事なのに
こういう事に関して あまり 深く考えない(ようにしている)人たちが
多すぎると思う。

だから 考えてみた。
これは2ちゃんでもよく書かれている事だけれど

☆第三セクターの失敗した保養所などを収容所にして
生活保護(保護ですから)の人たちをまとめて そこで暮らしてもらう。

☆現金は渡さない
☆使用明細がわかるカードを渡す。

こういうとき 人権じんけんって騒ぐ団体がありますが、
保護を受けるという事は それだけハードルが高いのだという事を
キモに命じさせろと思う。

何もせずによそ様から保護を受けられるという事は
それなりの義務をおう責任があるという事。

おにぎり食べたいって亡くなった人がいるという事は大々的に取り上げて
もっと基準を下げろと声高に言うが その何万倍もいるであろう
裏で暗躍する ゴロツキに関しては スルー。

市役所や区役所に行くと 時々 大声で主張されてる 人が居たりしますが
面白くて聞いてると 内容も面白い。 ばっかじゃねーのと思う内容で
どうすれば そういう理論が思い浮かぶんだろうねと その方が面白いです。

さておき、 こういうゴロがいるわけだから 1役所に最低1人は警察官置いていいと思うんです。 民事不介入とはいえ、大声上げる人は尋常じゃないでしょ。
恫喝ですわ。

けど、これもご他聞にもれず 「そんな、可哀想」と同情する声もあるということで、

じゃさ、 募金制にすればいいじゃん。と思うのです。

どうせ国民の税金から一律頂いてるので それを役所通さずに自力で
よそ様からお金を頂戴するという事くらい できるでしょ。
募金箱もって。 

昔私の小さい頃には 右や左のだんな様。。っておわん置いた
いかにもな人って 道にいた。そんな時に おばあちゃんに
@可哀想だからお金あげようよ。。って言ったら
「ああいう人は 本当に困ってる人じゃない場合があるよ。そういうのも
見抜きなさい」って言われました。

おばあちゃんは女手ひとつで5人の子供を育て上げた人。
戦時中の一番日本が大変であったろう中で男手も借りず
がんばってがんばった人。だからこそ働く事、
よそ様からお金を頂くことの大変さや辛さも知ってる人。

私が保育園に居たとき、送り迎えをしてくれたおばあちゃんと公園で
遊んでいたとき、身なりの良くないおばあさんがいつもその公園にいました。
うちのおばあちゃんと話をすると、「ウチでご飯たべさせてもらえない」って
言っていたので、女同士、苦しい時代を知っているおばあちゃんは
「タイヤキでも買って食べてね」ってお金を渡しました。 
すると、次の日からもずっと「食べさせてもらえない」って
訴えてくるのです。 いい加減おばあちゃんも

「あなたも大変だろうけど、もう少しなんとかなさい」と言うと

「うるさい。おおきなお世話だよ」と。。。。

そのやりとりを小さいながらに横で見ていて 人の心ってどうしてこうなのだろうと心に残ったエピソードです。

外国でも いかにも貧乏な格好して、道端に子供を抱っこして座って
泣きながら お金を乞う女の人かなんかがいるけど、
周囲は冷ややかだし、地元の人が言うには そういうグループで
彼らは働かないでお金をもらおうとしてる。子供をだしにつかって
嫌な奴らだという意見が大半だった。

ただ、小頭症の人がコップもってウロウロしていたときだけは
結構皆さんお金あげてた。 私も小銭を出した。

今の日本は平和ボケやら 豊かな生活ボケによって
助けなくていい人を 手厚く助けすぎたり
本当は声も上げられなくて 遠慮する人ほど行き渡らない現実が多すぎ。

募金で賄えば 可哀想といってる人の一瞬の安息にもなるんじゃないでしょうか。
そして 自分の懐から現金を出せば いかにゆたかボケしている国民でも
その行き先が気になるでしょうし、どう使われているかを考えたりする
いい機会にもなるでしょうし、彼らも自分たちの立ち位置がどういう立場なのかを
きちっと体得するでしょう。

最近では 「コーヒーも喫茶店で飲めない」とか
生活保護受けて感謝こそなく、相手にくってかかるような行動をする
なんとも情け無い要求をする人たちが生保を受けてるのが多い。
そういうのを後ろで援護しているのも、怪しい。

他人を楽させるために税金を納めてるわけじゃないんですけど!!!!

人権無視だという声が上がるなら、勝手に税金をだだ漏れされている日本国民の
権利はどうなのでしょうかと思います。

裁判員制度について

2009年05月21日 | 憂国
裁判員制度がスタートしますね。
賛否両論あるんだろうけど、私は賛成です。

人を裁く事がオモシロそうなのではなくて
裁判員制度って、他人を裁くとかの意味以前に
こうこうこういう事件があります。被害者と加害者の立場はこうです
あなたはどう思いますか?って 国民ほぼ全員が当事者の立場に立って
真剣に考えたり、自分の周囲でどういう事が起きているのかを真剣に
見聞きする事の機会のある場だとおもうから。

やりたいやりたくないの議論しかない不毛なものではないし
ワイドショー感覚で対岸の火事的に事件を見ることより
もっと身近に、自分の身を置き換えて考えることが主目的だとおもってる。

こういう事しなければ 日本国民は事なかれ主義だからくさいものに
ふたをしろだし
元中学教師が記者会見ひらいて 人を裁くなんてやりたくありません。
みたいなことをいったとかどうだとかあるけど、

嫌だからしません。って。ガキの使いじゃないでしょ。

そういう重大な責任をとりたくありません。って。

私も前に ふらっと東京高裁に傍聴に行ったことがあるのだけれど
あれは 経験としていくべきだとおもう。
入り口で 刑事と民事のその日の裁判の予定があるノートがあって、
時間に法廷に行くのだけれど、
大きな事件は傍聴に人気があるから抽選になる。
私のときには 織原ジョージのルーシーさん事件の公判があったときだった。
織田ム●ーの土地に絡む公判もしてたので それは観れた。
本人を間近でみて TVと同じだなとおもった。
舞台が法廷w。

今のマスコミでは情報操作ばかりが目につくし
報道されたくない部分はかなりカットされているので
実際国民が カットされない部分を知れば もっと日本の治安や
人間の性質について 知る事と 考える事をするようになるだろう。

精神的なトラウマになるとかいうのも、
もちろん重要な問題なのだけれど 

誰かがやるだろう っていう 他人任せな感情が多すぎると思う。





火に油を注ぐ

2009年05月20日 | 憂国
日本人の同情病ってどうしてこんなに酷くなってきたんだろうと思う。

同情はある程度は美しいし、すばらしいけれど
意味ない 中心がぶれてる同情ほど おかしな行為は無いと思う。

簡単な例
テストで低い点数をとった子がいる。周囲が
大丈夫だよ~。先生きつすぎだよね。って言ったってその子の点数が上がるわけでも変わるわけでもない。その子が言われる度にIQが上がるわけでもない。
今度はがんばろうぜ! でいいんじゃないの。

EX2)
子供が落ち込んでる。原因はいろいろありそうだ。
親が一緒になって @酷いね。そんな事するなんて。●●ちゃん可哀想。。。
子供が心配なのはわかる。けど、余計広がる。親はもっとドーンと構えて
次行ってみよう!自分がされた事で嫌なことは他の子にはしないようにしなね。
で いいんじゃないすか??


なんだか、物事の中心を見ずに 周囲だけ見て
そして 同情(同情する自分って優しいと思いたい、思われたいだけ)の
振りをして、 恨みつらみごとを作り出してる事にも気づかない人が多すぎ。

可哀想可哀想って言われ続けたら、被害者意識じゃん。

そうしたら 自分って可哀想なんだ。。って落ち込むか
周囲がいけないんだ!って 怒りや反発になるでしょ。

それで奮起する子ならいいけど、今の日本そんな気概のある子供も親も少ない。

子供が転んだら、、否 転ばすこともしない親。
そしたら上手く転べなくなるよと 危機感にも似た思いがいつもつきまとう。

木登りでも落ちる。最初は。でも落ちて登って すばらしい景色を見たり
登るコツを体得する。
でもブレてる親は危ないからって登らせないし 怪我でもしようものなら
木を訴えるくらいの勢い。
そして 何も体得しない子を育て上げ、そのこが思春期になったとき、
初めて子供に自我が生まれたときに 子供がいう事聞かないっておろおろする。

自分が可哀想、被害者なんだって意識を植え付けられた子供たちが
どうしてそこから 相手を恨むとか 相手を憎むとかそういう感情を
消す事ができるでしょうか。親や自分の人生にすら恨み節ですわ。
そういう根本からくる事件も ほんとうに 多すぎる。

一緒になってわめきちらして 子供が上向くより下向かせる親。

火に油注ぎすぎ。 キャンプファイヤーですがな。






待てない人多すぎ

2009年05月20日 | 憂国
時代がそうなんだろうと思うのですが
どうも時間を待てなくてあせる人が多すぎ。

治療のことじゃなく(とはいえ、治療で重症でもあと●回で治せとか言われるので
かなりイラッとします。体は部品換えて直る車じゃないですから。)

なんでもスピーディーに物事が進む時代になって
特にニホンなんてインフラがものすごく整備されているが故に
何事も 急いで急いでって 意味もなくあせってテンパッってる人多すぎ。

人生の事でもそうですが、子供の成長を見守れない親。
自分の仕事で早く軌道に乗せたがり過ぎる人。(気持ちはわかる)
他人の気持ちや感情が自分の思い通りにならないと アリかナシかすぐに判断したがる人。

人生の中でも かかる時間ってあるでしょ。
東京から大阪まで どんなに急いたって30分じゃいけないでしょう。
これから技術が発達して瞬間移動できるとしても
人の心のスピードのほうが 発達していないから おかしなことになってる。

一言でいうと 心の余裕。

テンパッてる人ほど 周囲にも急いて嫌な思いをさせたり
自分勝手な行動で逆に時間かかったり遠回りしたりしてる。
冷静になれば、一呼吸おけば もっと ベターな考えが浮かぶかもしれないのに。

そういう人迷惑。



心配しすぎだよ。

2009年05月20日 | スピリチュアル
先日、相談を受けていて、
後ろにやや初老の女性がひっついていましたw。

えっと、お母さんかな。。(年齢的に母親が初老でもおかしくない感じだったので)
●●●って言ってますよ。って言うと
それおばあちゃんですw!って。

ああ。いろいろ観ると、どうもあちらにいらっしゃる
近いご先祖って自分が元気な姿ででてきたり、特に着物着てると
年代がわかりづらい事も多々あります。
洋服だと流行によって多少の時代感はあるので 古い死んでる人だなとか
最近死んだ人なんだろうなとか 読み取れるのだけれど

着物はね。むつかしいですww。

もっともっと前のたとえば十二単みたいなものなら 完璧に死人なわけで。
今の時代にゃ生きてはいないだろとわかるのですが
お母さんが大体初老の頃になっていたり おばあちゃんが元気なときの姿で
現れていたりした場合、 こっちはその人の家族知らないわけですから
聞いて答えてくれればいいけど、姿かたちで判断する場合
おばあちゃんなのかお母さんなのか(まあ最近のお母さんは着物着ないか。)
わかりまへん。

その人の相談内容と、おばあちゃんが心配しすぎてることがとっても一致して
おまけに おばあちゃん こっちが見えてるとわかると こっちと話し始める始末。
とってもチャーミングなおばあちゃんでした。

@あんた歯医者でしょ?歯医者の男の先生でいい人いないかね???@

ははは!!! いたら私が結婚してますっ!

そのお孫さんへの心配がつのりすぎて お孫さん肩こり。
だって、乗ってるもんなあ。。。。って思って
おばあちゃんに @肩に乗ると可哀想だよ。重いよ。下におりて手つなげば?って
言ったら  右側に来たので そう相談者の人に伝えたら
右側がガッチガチです。って。ww  だから~思いは重いんだって。

ひとつ感動的だったのは お孫さんの体を心配していたとおばあちゃんが話を
し始めたとき、おばあちゃんの目に涙がひかり、
同時にお孫さんもしばし 涙。。。

ああ、繋がってるなあと 私もうるっと。。

その後お孫さんは @今はケロっとしてます。なんで泣いたんだろ~?って・

そういう感じなんですよ。プチ憑依されると。(というかリンクすると)

おばあちゃんもあまりの心配にあっちにいけないわけだから、
思い切っておばあちゃんにお願いしてみたらいいんじゃないでしょうか?って
言いました。きっと二人の願望が一致していればすぐに叶うでしょう。
おばあちゃんも強力に協力するでしょうし。ただし、

おばあちゃん的いい人を探しているので あれだめこれだめ だめだしばっか。
それじゃあ逆に邪魔してるみたいだと話をするんですが、まあわかってくれたかなあ・

親や祖父母が 子供を心配するあまりにこういう事するけど、
子供だって一人の人格と人生をもってるのだから 
暖かく見守る姿勢を学ぶのも 魂的な勉強なんだと強く思いました。

あれこれ口出しすぎな親多すぎ。







何故上の人が人間ではないかと強調するか

2009年05月12日 | スピリチュアル
なぜこのブログで 教えてくれる存在を
人間ではないと強調するか・

それは、
どっかの宗教などからの教えと勘違いされては

ウルトラ超 嫌だから。

人間の世界での カルトとは 一切関係無いからです。

ご都合主義の 拝金主義とは 縁もゆかりもございませんし
興味もないからです。

自分自身で聞いた経験した事だけを書いています。

綺麗に。

2009年05月08日 | スピリチュアル
あるものを頂いてから、次々と (wホントに次々)
いろいろな方々がやってきて、

表情も恐ろしい乱れた髪や着物姿の半分妖怪化してしまっている女性。
顔もグチャグチャで歯をむき出してニターっと笑いながら
こちらを襲うふりをする。
おそらく着物の様子からして遊郭などにいた女性と思われる。

こちらに襲いかかろうとするので、
「やるなら来い。でもその前に 身綺麗にするのはどうだ?」って言ったら
虚をつかれたように、「身綺麗にだと?」というので
あちらの世的に温泉を作った。
そこへ入ってもらい、着物を正し、髪を結い上げ。

綺麗にすると、もともととても美しい女性だったとわかる。

「そんなに綺麗なのにわざわざ自分を貶めるような事をするとは何で?」と
問いかけると さめざめ泣きながら 自分の身の上と
どれだけ辛かったかを話す。
ほとんどだまされるように売られ、実際に家にはお金はほとんど渡らず
自分が売られた事によっても何の足しにもなっていなかった。と。
売られた先でも女同士の醜い争いや派閥などがあり意地悪されたり
足を引っ張られたりの腐った世界であったと。
世を儚んでほとんどおかしい状態になり、首をくくったと。

映画の中やドラマでは本当によくある話ですが、
その亡くなった後、どういう風にこういう人たちが彷徨うかまでは
さすがにやっていません。

こうです。少し気が強いくらいの人だったら 恨み節です。
そして多少見えるひとや感じる人へ 襲い掛かり
脅かすというか、怖がらせて楽しむ。いや、本気で楽しんではいないでしょう。
さらに外見も心を反映して恐ろしい姿に変化します。
あの世では心根が外見に即反映しやすいです。

だからといって このままでいいわけではないので
まず、誰かに会っても驚かれないように身綺麗にすることからはじめました。
そして美しい姿に戻るたびに 彼女が本来もっていたであろう
美しさが出てくるのです。

まともな外見になったところで、「襲ってもいいよ」と言いました。
すると、「どうしてお前は私を見て驚かない?」といいました。

だって、、、現実の世界でも見慣れてるし。あまりあなたも自分をわざと
貶めるようなことをするのも 楽しくなくなってきたでしょう。
この綺麗な姿でしばらく人間を見てみると面白いよ。
って言いました。

そして、その人はすーっと居なくなりましたが、
これはきっと成仏ではないと思います。

これからが彼女が仏の心、感謝の心を取り戻し、あちらへ行くスタートだと。

こんな感じで お話していきます。
そのときに、こちらが自分の心に嘘ついて 言いくるめようとか
素直ではなく二枚舌でおべっかつかうとか そういう事は向こうはお見通しなので
正直に感じたこと、思った事を言うということが必要です。
生きている人間はひねくれ者もいるので素直に言っても聞き取ってくれない場合がありますが、霊との交信ではテレパシーのようなものなので
ほとんど思ったとおり伝わってしまいます。

最初の姿をみて、 ギョギョギョと思えば相手もそれを見抜きます。


成仏について。

2009年05月07日 | スピリチュアル
ある依頼がありまして、
それにまつわる場所へ どうしても行こうとGW中に参りました。
そこで あるモノにお会いし、語らったのですが、

私の認識を、、上向きかけた鼻をへし折られるようなことがありました。
そして 新たに、上の方々は本当にすばらしいやり方をされるなあと
感動しました。(注;上の方々とは人間ではありません)

物事には裏の裏があるので、多方面から観ること。
そして、上のお仕事をお手伝いする身としては
常に鼻が上向かないように心がける事。

そして、成仏は他人では本当の意味で できない事。
(お手伝いと、こんがらがった糸をほぐすことはなんとかできても。)

人は個人個人の道をひたすら精進するしかないということ。

よそ様から観たら 私のしたことは普通ではできないといわれる事もありますが
だからといって、それが最善の結果であったかどうかは難しく、
私の自己満足であったかもしれないこと。
こんな事態を収めたなんて。うふふ。みたいな おごりなんだと。

よく、成仏させるとか地獄に落とすとか。

落ちたり上がったりしてないよ と さらっと言われました。

その道筋をつけることは 私たちみたいなカワリモノがしますが、
成仏とは 魂が納得し、仏の心を持ち合わせての事なので
結局はさまよう魂が修行の道へ入る道を 人間界から
「こっちでウロウロしてても だめだよ=~」って言うだけ。

そういうところを気をつけてネン♪ と。

だよなあ。おごり高ぶりなんだったんだろうなあと。

成仏なんてそんな簡単にできたら、ウロウロさまよう魂を
神様がもっと早くに救っているであろうし、
魂が私たちみたいな者に頼んで、「あっちに行かせてよ」なんて
ご都合がよろしいような事は 本当に迷っているだけな者以外には
逆に余計なお世話なんだろうなと。

だからといって、霊によって影響を受けていたりすることは
現実あることなので、そういった場合の橋渡しみたいなものなんだろうと。
ただただ、その役目をするだけ。


だけど、大概 こういう事を教えてもらった後って
許可がでる前だったりするから、 次は やはりそっちに行くんだなあと
思った次第です。


注::この 話が理解できないからって 文句書かないでくださいね。


ゲゲゲの。。。

2009年05月07日 | スピリチュアル
ゲゲゲの鬼太郎 ギョギョギョのさかなクン。
ビビビのねずみ男 そして ドロロン閻魔くん。

こういうお仕事をさせてもらっていると、
人間にも 妖怪にもなれない または
どちらの立場も考えてしまうようになってくるこれらの
キャラみたいになってしまっています。

人間だって悪い。だけど、それを利用する奴も悪い。
けど、そうしないともっと悪くなる・・・・

果てしない 堂々巡りのようです。

解決方法は お互いに敵視せず 理解しあう事なんだということです。。。

サバイバー

2009年05月03日 | スピリチュアル
むかし 少年サンデー(だったかな?
さいとうたかを の サバイバルのマンガがあって、凄く怖くて意味わからなくて
でも、なんとなく見ていた記憶があります。
それの口直しは うる星やつらでした。

ギロッポンで研修医時代の友達Sちゃんと久しぶりに飲んだとき、
「私 大災害があったら 子供つれて 夫捨ててJちゃんのところに行くよ~
絶対に生き残れそう www」って 言われたのが超うれしかったです。

どんな状況でも生き残る自信あるよ~~!!カマーン。

生活の質。 食べられれば善し。
服     着れれば善し。
住むところ 雨風しのげれば善し。

くらいのこと。人付き合いは フレキシブル。超楽観的。

旅行に行くときも異様に荷物が少ない。
人生の中で 絶対に絶対に必要なものって何?といわれると、
親友たち、。、と 最低限の生活かな。

今の生活を維持していく事で自分の精神が病むならば サヨーナラーといつでも
できる心構えはできてます。
人間関係なんか 切るの簡単。 嫌なら 近寄らない。
ほとんどの 人間関係は一般的に下心で繋がっているけど 私の友達たちは
そんな利害関係なく 一緒にいて楽しい人たちだから。
他人から変人と思われるのは カマーン。です。

何でも用意され、望む前に与えられる時代で社会だからこそ
皆さん 要らないものも 沢山持ちすぎて アップアップし
こんがらがって 精神のバランスを崩している人が多く見受けられます。

いちど いらないものを除くのも 面白いかもしれませんよ。
サバイブしましょう。




ダメだった理由

2009年05月03日 | スピリチュアル
人生の中で 無駄だと思われる(全てではないですが)事。

☆ダメだった理由にとらわれ続ける事。

ダメだった理由を分析するのは大切ですが、理由をあれこれ考え、
だからダメなんだよ。。と一生引きずるのは ナンセンス。

次 イッテミヨー^です。

ダメだった瞬間は消せないしリカバーできないなら記憶倉庫に保管するしかない。
それに、些細なダメだしって あまり大層な理由なんてなかったりする。
☆モノを頼んだら断られた
★相手がちょうどタイミングがわるかった   とかね。
☆遊ぼうと誘ったら断られた
★忙しかった   等

別段 取るに足らない理由なのがほとんど。



夜寝るときに その日にあった変な事を思い返して 悶絶する事が小学生の時にはありました。 が、 今は ほとんど無いです。
瞬間しゅんかんを 楽しく生きようと思っていますし、
人殺しとか、自分の注意不足からの事件事故など以外はあまり
過去の瞬間に生きる意味がないからです。

そうなると ダメなことというのが 失敗ではなく、成功へのエッセンスになってきます。 次にこうしないようにしようっていう 知恵。

だから 沢山 失敗する事は大切だし、それは 若いときにこそ沢山経験するべき事だと思います。 残念ながら人間には年齢があるので
歳相応の態度を見せないと みっともない 恥ずかしい人間なだけですから。

もちろん歳とってから失敗するのも本人がリカバーでき、それに執着しなければとても良いものだとは思うのですが、リカバーできずに悶々と悩み亡くなっていく姿というものは 裏寂しい気持ちになるもんです。

だから 人生の時間がたっぷり残されている若い時代に沢山の失敗を
して、自分の変なプライドや 歪んだ自信や くだらない傲慢さを
そぎ落としていく事って 生きるうえで必要だと思います。

傷ついた。。と嘆くより、 傷によって磨かれたと ポジる事のほうが
よほど健全だし、 嘆く人間を優しくいたわるような余裕のある社会ではないですから、 ただのお荷物です。(バッサリ

自分はお荷物と思われるのか?と 他人を攻撃するより
前向きな人だなあと 思われる人間が増えることを望みます。