スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

ローラースルーゴーゴー

2011年01月31日 | インチョの酒
今の家から横浜駅までの通勤。

バスだと15分でドア TO ドア。

でも、長年の診療所直結の生活から、通勤がきつくなっていて、
朝のラッシュなバスは苦手。

よし。と思い 自転車。 駐輪場が無い。

車。駐車場がない。

折りたたみ自転車。う~ 微妙に大きいし、重い。エレベーターで運べるサイズは、、、

おし。ジェイスルーゴーゴー!! 

キックボードにペダルが付いているもの。後ろ足で漕ぐ。折るとエレベーターにもOK

二輪で、ペダルが付いてブレーキがついているものだから 自転車と同じだろうと
通勤用に買いました。


今日 帰り道に乗ってみると、、楽しい・・・・・・40分かかったけど。

タイヤが硬いのと、車輪が小さいので 地面のデコボコをもろに拾い、
音が ガーーーーーっとうるさいのですが
通勤にウォーキングは全く考えていなかったので ヨカヨカ。

上手くペダルを漕ぐと 走るくらいの速さが出るので ヨカヨカ。

これで ダイエットになってくれると うれしいなあ。



シャルとうとう。

2011年01月31日 | インチョの酒
横浜駅西口のシャルと東急ホテル合体。
高層ビルができるようで、いよいよ始動という感じ。

うちの新診療所のビルから真横なので
どういう具合に壊され、再開発されるのかを
ずーっと見ていくのだなと 感慨深いです。

人の流れもどう変わるのだろう???

小学校から通学で利用していた横浜。
地下道は迷宮のようで、使い慣れていてもちょっと迷う時があり
どういう風にすっきりするのかなあ。と興味津々。

ダイヤモンド地下街も契約が切れて閉店するお店が多くなっている。
ゴーストタウンみたいにはならないで欲しいなw

朝はシャルの1F アンデルセンでパンを買い、スープストックでエビのビスクを買って
スタバで キャラメルマキアート。

帰りはシャルの地下で食材(特に鮮魚。)を買って夕食に、、、生活スタイルも変わり、

これからは 高島屋まで足をのばすのかなあ。。。。


医療の提供

2011年01月30日 | インチョの酒
患者のたらいまわし。医療崩壊。

センセーショナルな書き方で部数を伸ばしたいのでしょうけれど
どうしてそうなるのかを徹底して お。上等な記事だなと思うような
ものを書く人は殆どいません。
かといって自分もかけないので人のことを言えませんが、
医療人側からの気持ちを書きます。ほぼ 愚痴です。

まず大前提に、医者も人間です。神様ではありませんし、全ての病気や人に
カンペキなる治療法や、完治はありえません。

神業はあったとしても、命の保証はありえませんし、患者さんの生命力やら
生活習慣やら 医療側がコントロールできない事の方が多いくらいです。

人間の体は機械とは違います。部品を替えれば正常に動くものでもありません。
マスコミなどの弊害なのですが、スーパードクターとか偶像を作り上げ
理想化するような傾向があります。ドラマでは死にそうな人が助かったりすると
感動したりわくわくしたりするでしょうけれど、医療の現場では
日常の光景として、「無理なものは無理。」という観念を医療関係者は覚悟しています。

患者さん側にしたら病気や事故などは滅多に起きない衝撃的な出来事なのでしょうけれど
本来医療機関はそういう人たちが来る場所なので日常なのです。
そして 受診を必要とする重症な人たちも沢山いるのです。

病気一つとっても例えば「重度の糖尿病ですね」と言われて患者さんは当事者として
衝撃を受けるのはわかりますが、 医者は毎日何十人とそういう人に接するので
一人ひとりの衝撃を受け止める事は正直に言って無理ですし、
その度に医者自身も患者さんと同じようにショックを受けていては仕事になりません。
気持ちを理解する事はできても、共感して共に悲しむということは
医者がするべき仕事ではないと思います。医者の仕事は診断と加療です。
それはとてもドライに切り離すべきことだとも思います。

メンタル的なケアなどは本来家族がするべきことなのではないでしょうか。


そのあたりを患者さんは身を預けるといいつつ依存の精神が生まれてしまうと
医者の言動一つ一つに過剰に敏感になりすぎたり、
自分だけを診てくれていると勘違いして居た時に、ドライな態度をとられると
信頼していたのに!と 攻撃する側に回ったりします。
可愛さ余って憎さ百倍の状態です。

ドクターハラスメント等の話題も一時期よりは下火になりましたが
自分が病気になったときに人は弱気になったり些細な一言で傷ついたりしまが
あらかじめどれが自分を傷つける言葉なのだというのは
誰にもわかりませんし、同じ事を違う先生が言った時の受け取り方もちがいます。

それは相性としか言えません。

医療の現場でするべきことは病気、怪我への治療が一番で、
メンタル的な救済は専門のカウンセラーがフォローできる体制が整うといいんですが。
人件費やら育成のもんだいもはらんでくるんですよね。。。






保険証の使い方

2011年01月30日 | インチョの酒
医療関係の仕事をし始めてから 十数年。
自分も経営や 社会保障の仕組みなんぞに関してはド素人なのだけれど

皆が意外に知らないのが 保険証の使いかた。医療機関へのかかりかた。

半分以上は愚痴になりそうなので書きたくは無いのだけれど
患者さんは知らないで医療機関にかかって窓口でもめる事が結構あるので
これを見ていただいた人たちは そういうものなのだと一読してもらっていた方が
余計なストレスをお互いに感じずに済むと思うので書きます。

まず。日本は 相互扶助(お互いに助け合う)という思想を基準に
保険証を発行します。必ず保険料を徴収されている人には保険証があります。
この保険証を医療機関で提示すれば治療費の1割~3割で医療を受ける事ができます。
窓口では1~3割を支払って、医療機関は月々の明細を基金に提出し、9~7割分を
あとでもらいます。
この後でもらう分は 国民が払っている保険料からまかなわれています。

中には「月々の保険料が高いから」と言って保険料を納めずに保険証がない人がいます。
日本に生まれたから自動的に1~3割の負担で病院にかかる権利をもらっているわけではなく
保険料を納めないと その権利は受けられないのです。

保険証は本人の身分証明にもなりますし、きちっと料金を医療機関が基金に請求しても
料金を支払ってもらえるかどうかのチェック機能なので
毎月 保険証のチェックが必要です。
患者さんの中には(特に歯科は継続が多いから。。。)一度見せたらずーーっと
保険証のチェックを受けずにいてもいいと思っている方も多く、
「毎月チェックですよ」と言うと @メンドクサイ。と言われます。
保険証のルールなので 国へ提言してください。窓口で一番多い軽度な問題です。

それに、初診(再初診)のときに「保険証無いんだけど」といわれる方も多いです。
保険証が無いということはその人が保険料を納めているか、有効な保険証を持っているのか
が わかりません。
仮に1~3割分を窓口で頂いても、9~7割分は支払ってもらえない可能性があるのです。
なのでその場では10割頂いて、後に保険証提示して清算という手順になったりします。

個人、法人の医療機関は民営なので公務員ではありません。
国からお給料をもらって仕事をしているのではなく、
自分の本来全額いただくべき報酬を一時的に
国に握られて後から査定され支払われているだけです。

しかし、国の規定に従って細かいルールや法律が沢山ありますし、
全ての医療機関が本来一律に守らないといけない最低限のルールがあります。
医療機関が独自に(患者さんからの要求もあったりして)なあなあで 
ルールを守らないと、「前の病院ではこうだった」とか 不当な要求をされることも
多いので、最低限のことは医療機関側も患者さんへ説明するべきだと思っています。

改定の時にルールはさらに複雑になり
本当に全てのルールを把握している人なんて存在しないんではないかというくらいに
医療機関側や患者さんへの周知徹底は殆ど無いです。

医療問題で、沢山のイリョウジャーナリストみたいな人たちは存在しますが
医療現場で本腰入れて働いて数年、数十年しないとわからない事が多い世界なので
経済学者が一流の経営者になっていないことと同じように
周囲であーだこーだ言うことは 簡単です。

ジャーナリストが不安を書きたてる前に、本来の医療機関へのかかり方の
根本をもっと周知徹底しておいたほうがよろしいのかと思います。

どんな人も 医療機関にかかることというのは生活に密接していますから。


無料慣れ

2011年01月30日 | お金の話
世の中 右を向いても左を向いても 無料。サービス。タダ。

昔の人は良く言った。タダほど怖いものはない。

人がお金を稼ぐ時には 自分の時間や体力や労働力や知力を切り売りして
対価としてお金をもらう。

店に来た一見さんの客(客見込み)に対して店側が
「無料ですよ!」というのは 何かしら裏があったりするもんだ。と
小さい頃には教わった気がする。

どこかしらに プラスになる経済がなければ
無料、料金を越えるサービスなんてありえない。
そう思うことに対しての警戒感に 最近の人たちは 鈍感になりすぎてると思う。

そして結果として嫌な思いをしたとして、店を恨んだり社会を恨んだりする。
本当は危機感を持たなかった自分が愚かだったのに。

私の苦手な人種は ”サービスを要求する”とっても 無粋な人。

店に入り、周囲の様子をぼーっと見ていると
自分だけが得したい 亡者のような様相な人たちが 頻繁に居る。
レジの周囲で もめていたりすると大抵こういう人種。

敵を作りながら生きていきたいのか?と聞きたくなるほど攻撃的だし。

店は、どんな所でもボランティアでやっているなんてありえない。
NPO法人だったり 国の施設だったりしない限り 民営では
対価としてお金を頂く仕事をする事が 大きな目的であって
お客さんを喜ばす事は 大事だけれど 本業を圧迫するような
大々的なサービスや、一部のお客(私としては迷惑者と変換したい)による
過剰なサービスの要求に応える事は余興や余剰な部分でまかなわれるものだと思っている。

資本の暴力と言っているのだけれど、資本力のある大手が
こういうことで 周囲の小売にダメージを与え続けていることも問題だと思う。

大手は取引量も多いので価格を低く仕入れられて 低く売ることができる。

企業努力といえばそれまでだけれど、度の過ぎたものは消費者へのサービスといいつつ
削りに削りすぎていて周囲の関わる流通の時点での人たちを巻き込んで
買い叩いているようにしか見えない。それが資本の暴力。

それがめぐりめぐって 消費者自身への給料や状況へ降りかかっているのに
消費者自身が もっと安く!もっと安く!と大連呼しているから
一度、ここらへんで 目を覚まさないと 自分の足を食べてるって気づかないのかなって
思う。

スピ的になるのだけれど
お金は自分も流さないと巡ってこない。
これは今まで生きてきて 常に感じること。
お金がお金だけではなく、人間関係や お付き合い、それに新たな物事との出会いを
呼んでくれるとても 有難いものなのに、
自分が度を過ぎてケチっていて回さないとなると
必然的に自分にも回ってくるチャンスが減ると 思えば

お金を支払う場面でも、「サービスを売ってくれて有難う。●●をしてくれて有難う」
と自然に思えるんではないかなと 思うのです。

お金を節約は大切。ケチ、または他者への度を過ぎた要求はとっても
下品で みっともないことだという意識がもっと広まればいいのにと思います。



お金の話(専門じゃないけど感じること)

2011年01月30日 | お金の話
現在のこの不景気な中、
沢山の本が出ているジャンルが お金の引き寄せ方。のようなもの。

人間が生活していく上で 必要になるものなのに、お金の話をする事を良しとしない
風潮が依然日本にはあるように思う。

こんなことは常に繰り返される話題で、新し目でもなんでもないが、
お金との付き合いのバランスが崩れている人が多くなっているようにも思うし感じる。

これは時代というより思想に近いものなんだろうけれど日本では経済、
お金というものの 正体を 殆ど考えず、教えられずに育つ。

大人になったり、多少自分で自由になるお金が必要になったときに初めて
自分で勉強するか、他人に教えてもらうか、し始める。
その時のファーストコンタクトの状況によって その人の一生お金に対する
スタンスが形作られてしまうように思う。

正体不明のモノとお友達になるには
まず正体を知り、付き合い方を学ばなければならない。

お金と言われて真っ先に思いつくのが 札束や硬貨。

小さい子に 1000円札をあげるより10円玉を10個あげるほうが喜ぶって事は
一度は試してみたことがあるかもしれない。

結局は紙と金属の塊なのだけれど、国がお墨付きをあげて
これはこのくらいの価値があるのだよ。と想像で決めてるだけのもの。
だからスーパーインフレなんかになってしまうと
大八車いっぱいの札束でジャガイモ一袋しか買えないとかいう状況になる。

空腹な人は札束なんぞより食べられるジャガイモの方が価値が高いから。

それでも 貨幣が安定している国であればそんな事にはまず陥らないように
国も政策を立てるし(今の日本では機能してなさそうなのが怖い)
物価が安定しているのも貨幣の信頼性が高いから。
日本がいつまでこの状況でいられるのかが 本当に怖いんだけど。











想念からの発熱

2011年01月21日 | スピリチュアル
あ~ あ~と思っている間に 38度の発熱をしました。
疲労と神経を使うこと、休みがほとんどないことで ピークに達していたようです。

夜、看病してもらいつつ(感謝!)うとうとして 状況をサーチしてみました。

首の後ろと胸のあたりに 塊がある。

特に首の後ろは 長い髪の毛がグルグル巻きになっているような感じ。
それも一人ではない様子。

胸の辺りは 重い(思い)箱を持たされているような感じ。

首の辺りは 結構 他人の思いを引っ付けやすいように感じます。
だから 肩こりとか 首のこりからくる頭痛などを引き起こして体調不良になる。

定期的に浄化するのをサボっていたので、思いきって 抜きました。

他人の思いは、良い悪い関係なく、ひっつけ、ひっついてしまうので
たぶん皆さん心配してくれているんだろうなと思いつつ、

あまり 他人の事を心配せずに自分の生活を生きてください。と思うのです。

思いもエネルギーです。心配はマイナスのエネルギーを生み出すこともあります。

誰かを気遣い、心配するなら  「大丈夫だよ。この人なら。心配ないさ」って思っているほうが
とても 軽いと思うのです。

2011年01月16日 | スピリチュアル
昨日見た夢。

白い装束で烏帽子をかぶった男性。肩の上に小さい女の子とも小動物ともわからないような
モノが ひらひらと舞っている。

その人が、 人の人生には平地と丘がある。 平地の人は平地を見つめて
周囲を見渡すことに気づかない。

丘に登った人は遠くの山や景色や周囲の様子を見渡すことができる。
さらに丘の上で馬に乗れば遠くまで行けるし、もっと遠くまで見ること、知ることができる。

しかし、別の人からも認識されてしまうので、気をつけること。

と、言われた。

そのうち その答えがわかる日がくるのだろうな。