今の日本の政治。 もう政治なんて漢字使わせない。セイジでいい。
全くもって 誰による誰のための何のための政治なのかわからない。
30ウン年生きてもわからない。
昔は 大人になれば自動的に立派な存在になるんだろうって信じていた。
大人っていうものは知識も経験も沢山あって 尊敬すべき存在なんだろうって。
空転し続けている国会、
議論するべきをせずに 国会開催期間だけ仕事した振りすれば給料もらえるからいいや。的な議員たち。
さまざまな質問をするマスコミのレベルも下がったが それ以上に
受け答えする議員たちの態度や見解、見識も常識を疑うのが激増した。
いい年した人間、それもヒトに選ばれたヒトがいう事ではないだろうって
おもわせるような事や態度。
この世の中、下手にマスコミがセイジ・セイキョクを放送しようなんて思わずに
議員の机ひとつひとつに ネットカメラをつけて
自分の選んだ政党の議員の姿を国会開催中好きなときにチェックできるように
することだってできるでしょう。
ネット配信かケーブルテレビかなにかで配信。
そうすれば地元から選ばれた方々がどういう発言をし、どういう態度で
国会に参加し、どういう思想でどう努力したか 誰の目にもあきらかになるでしょ。
選挙民は自分が選んだヒトがどういう事をしているのかどう仕事しているのかを
きちっと判断する責任もあると思う。
投票するべき政党がない。どの政治家も信用できないと言う前に
そういう土壌をつくってしまった国民も責任はあると思う。
透明性の高い国会中継。それこそ良い選挙活動にもなるでしょうし
カネモノヒトジカンをかけて選挙活動だけ活発化するような
方向間違えているヒトかどうかもすぐに判明する。
ナチス管理下におかれる前のドイツの牧師さんの言葉だったか。。。
「ナチスが共産主義者を弾圧した時、共産主義者でない自分は行動しなかった。ナチスは次に社会主義者を弾圧した。社会主義者でない自分は抗議しなかった。ナチスは、学生やユダヤ人に弾圧の輪を広げ、最後に教会を弾圧した。牧師の自分は立ち上がった。時すでに遅かった。『抗議するには誰のためではない、自分のためだ』」=ヒトラーに抗議し、収容所に送られたドイツの牧師マルティン・ニーメラーの言葉(04年8月8日付『朝日新聞』-「風 ロンドンから-外岡秀俊」から)。
他人事だよ。って言ってるうちに自分へも火の粉がふりかかってくるときには
時すでに遅しだったよ・って事。
どんなことにも 通じるとおもう。
せめて もっと もっと 世の中を知るように努力するべきだと強く思った。
全くもって 誰による誰のための何のための政治なのかわからない。
30ウン年生きてもわからない。
昔は 大人になれば自動的に立派な存在になるんだろうって信じていた。
大人っていうものは知識も経験も沢山あって 尊敬すべき存在なんだろうって。
空転し続けている国会、
議論するべきをせずに 国会開催期間だけ仕事した振りすれば給料もらえるからいいや。的な議員たち。
さまざまな質問をするマスコミのレベルも下がったが それ以上に
受け答えする議員たちの態度や見解、見識も常識を疑うのが激増した。
いい年した人間、それもヒトに選ばれたヒトがいう事ではないだろうって
おもわせるような事や態度。
この世の中、下手にマスコミがセイジ・セイキョクを放送しようなんて思わずに
議員の机ひとつひとつに ネットカメラをつけて
自分の選んだ政党の議員の姿を国会開催中好きなときにチェックできるように
することだってできるでしょう。
ネット配信かケーブルテレビかなにかで配信。
そうすれば地元から選ばれた方々がどういう発言をし、どういう態度で
国会に参加し、どういう思想でどう努力したか 誰の目にもあきらかになるでしょ。
選挙民は自分が選んだヒトがどういう事をしているのかどう仕事しているのかを
きちっと判断する責任もあると思う。
投票するべき政党がない。どの政治家も信用できないと言う前に
そういう土壌をつくってしまった国民も責任はあると思う。
透明性の高い国会中継。それこそ良い選挙活動にもなるでしょうし
カネモノヒトジカンをかけて選挙活動だけ活発化するような
方向間違えているヒトかどうかもすぐに判明する。
ナチス管理下におかれる前のドイツの牧師さんの言葉だったか。。。
「ナチスが共産主義者を弾圧した時、共産主義者でない自分は行動しなかった。ナチスは次に社会主義者を弾圧した。社会主義者でない自分は抗議しなかった。ナチスは、学生やユダヤ人に弾圧の輪を広げ、最後に教会を弾圧した。牧師の自分は立ち上がった。時すでに遅かった。『抗議するには誰のためではない、自分のためだ』」=ヒトラーに抗議し、収容所に送られたドイツの牧師マルティン・ニーメラーの言葉(04年8月8日付『朝日新聞』-「風 ロンドンから-外岡秀俊」から)。
他人事だよ。って言ってるうちに自分へも火の粉がふりかかってくるときには
時すでに遅しだったよ・って事。
どんなことにも 通じるとおもう。
せめて もっと もっと 世の中を知るように努力するべきだと強く思った。