前回の続きです。大川市の昇開橋を見た帰りに地元が生んだ作曲家、古賀政男記念館に立ち寄りました。しかし記念館は博物館なので写真撮影は禁止されていましたが隣接されている生家は自由に撮影ができました。
古賀政男は明治37年に福岡県三潴郡田口村(現・大川市)に生まれました。7歳で父親が亡くなったので家族と共に田口村を離れ朝鮮に渡り感情起伏の少年時代を過ごしました。最初は仁川に、その後京城で暮らしたそうです。
古賀政男が初めてマンドリンを手にしたのは中学三年(京城善隣商業学校)の時で、一番仲の良かった兄からマンドリンを送られました。またこの時期に朝鮮にいた事により、伝統音楽を聴く機会も多く、後の「古賀メロディ」は朝鮮音楽の影響があったと主張する人物も一部います。
商業学校を出て大阪の商店に勤めた後、1923年に明治大学予科に入学し、明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画しました。明治大学商業卒業後の1931年、日本コロンビア専属となり、当時東京音楽学校在籍時の藤山一郎と出会った事が古賀政男の人生を大きく変える事になりました。藤山一郎の歌唱表現が古賀政男の才能を開花させたのです。
湘南さんは知っていたかな
今の歌についていけない昭和人です(笑)
マンドリンの音色は、心地良いですよね(^^♪
コメントありがとうございます。
古賀政男さんは明治大学でマンドリンクラブを
作った人です。
湘南ジージさんは明治大学での後輩なのですか?
コメントありがとうございます。
古賀政男さんの歌は誰でも親しめる
良い作品が多いですね。
私も時には口ずさむ歌があります。
最近の歌には付いていけない一人です。
昔の歌は良いですねラジオから耳から入った
歌、曲はいまでも覚えてます、最近の曲はさっぱりです(笑)
コメントありがとうございます。
古賀政男さんは、名曲をたくさん世に
残しましたね。
歌詞は忘れていてもラジオから流れて
来るメロディーは心に染みました。
最近の曲は、さっぱり分からないです。
大川市には見るところがありますね。
古賀政男さんは知っていますが、歌謡曲が好きになったのは西郷輝彦さんなどの御三家からです。
懐メロとして聞いていましたね。
それから最近の歌は、これは新しすぎて全く歌えません(笑)。
コメントありがとうございます。
大川市は古賀政男記念館・昇開橋と
いろいろありますね。
それに家具の街で家具に関するお店が
たくさんあります。
古賀政男さんの事は小学校の高学年に
なって知りました。
歌を聞くのは好きですが音痴で歌えません。
最近の歌は何を伝えようとしているのか全く
分からないものばかりです。
子供の頃から映画やのど自慢、大晦日には沢山歌われましたね。
明大マンドリンクラブを有名にしていますね。
コメントありがとうございます。
古賀政男さんの歌はラジオやTVから流れる
メロディーをよく聞いていました。
特にNHK素人のど自慢でよく歌われていました。
明大のマンドリンクラブを作った事は有名ですね。