前回の続きです。
山鹿灯籠の由来については第十二代景行天皇が九州御巡幸の折、菊池川を遡って山鹿に上陸されようとされましたが、辺り一帯に白霧が立ち込み、天皇御一行の行手を阻んだため、山鹿の里人が炬火を持って無時天皇御一行を案内いたしました。その時以来、里人たちは行在所跡(大宮神社)に天皇を祀り、毎年灯火を献上したのが、灯籠の起こりといわれています。
山鹿では灯籠製作者のことを灯籠師と呼びます。この灯篭師は、高等な技術と熟練を要し、一人前になるには、十数年の期間が必要であるといわれています。
灯籠に使用する和紙は加藤清正の頃に朝鮮から連れてきた道慶、慶春らによって伝えられ、明治・大正頃までは、玉名郡春富村(旧三加和町)で生産されたものを使い、現在は、八女市柳瀬で漉かれた和紙を使用しています。
この灯篭ですか?
コメントありがとうございます。
山鹿灯籠祭りで踊り手が頭に乗せるのは
この灯篭よりも小さ目に作ってあるのでは
ないでしょうか?
この山鹿灯篭の方は展示用に作ってあり
ますから。
いろいろなドラマでも取り上げられており
博多に住んでいたころは行ってみたい場所の一つでしたよ。
有難うございました。 (^O^)。
不器用なベルさんは、20年かかっても無理です(笑)
展示されてるものが、朱と銀と金が有りますが、外にも色があるのでしょうか?
コメントありがとうございます。
山鹿灯籠の踊りはゆったりした動きのように
見えます。
何時もTVのニュースで見るだけで現地に行き
見たことはありません。
博多に住んでいられた時には山鹿の方に行く
チャンスが何度もあったと思います。
コメントありがとうございます。
灯籠を作る部品が展示してあるのを見たのは
初めてで興味がありました。
私も不器用なので一つの作品を作るのに何年
かかるかわかりません。
展示されていた灯籠は朱色と銀色・金色の他は
見ていません。
しょうか、綺麗なものですね、この灯篭を頭に付けて
踊るんですね。
素晴らしいです。
コメントありがとうございます。
八女の和紙で作られた山鹿灯籠の行事が
行われて事を最近まで知りませんでした。
和紙は軽くて丈夫なので灯籠を頭に乗せても
支障がないのでしょう!
コメントありがとうございます。
和紙の芸術は素晴らしいですね。
他の地方にも和紙を利用した伝統が
残っていると思います。