原爆ドームを後にして行ったのは平和記念資料館です。ここでは写真撮影は禁止されています。資料館には熱風で溶けた瓦やボロボロになった衣服など、原爆の悲惨さを伝える資料が展示されていました。けれど写真はとても見ておれないくらいにショックを受けました。
平和記念資料館を出て、お隣の平和公園に向かいました。
原爆の子のモデルは佐々木偵子さんです。この像は佐々木さんの同級生らによる募金運動で作られました。
佐々木偵子さんは2歳の時に広島市に投下された原子爆弾によって、被爆地から1.7㎞の自宅で被爆しました。黒い雨にも打たれましたが、元気に成長しました。小学校6年生の秋に身体の不調が出て広島原爆病院に入院し治療を受けていましたが1年後に白血病で亡くなりました。12歳でした。
彼女は病院では千羽鶴を折れば元気になると信じて薬の包み紙のセロファンなどでツルを折りました。
この話をもとに「千羽鶴」の映画が製作され、小学校5年生&6年生の時に学校から映画館に連れて行って頂き、映画を鑑賞した事を覚えています。
もう戦争は嫌ですね。罪もない人々が一発の原子爆弾でこの世から一瞬にして消えた人もいますし、今も被爆してその後遺症に苦しんいる人もいます。
今度の広島への旅で平和のありがたさをつくづく感じました。
私も同じところを行きましたね~
去年だったかな? 一ヶ所だけ撮影OKでした。
オバマさんの折り鶴
昨日は長崎に行ったんですよ。 でもこれは遊びじゃなく お見舞いです。
広島と長崎 何事もなかったように 同じ時間が過ぎていますね。
今日もいい日でありますように・・
近隣国はその恐ろしいものをまだ手放そうとは思ってないようで
困りますね、
何度も行っていますが何時も新しい発見があります。
この写真の船に乗って、広島ドームの公園から、直接宮島に行きました。
お客さんは私達二人だけでした、貸し切りです(笑)
私の知り合いは夫婦で長崎で被爆、産んだ子供さんは皆さん障害者でした。
そして旦那さんは被爆の障害で、いろんな病気を持ってました。
もちろん奥様もね、長く被爆者と言う事を隠してましたが、
年老いて被爆者手帳の配布を受けたそうです。
原爆は本当に怖い凶器です、無くさなければいけませんね。
被爆体験の日本だけが主張できます
広島に行くと、戦争や原爆について考えざるを得ませんね。
写真を見るだけで、悲惨な状況が思い起こされます。
私は、残念ながら、まだ広島に行ったことがありません。
ぜひ行きたいと思っています。
コメントありがとうございます。
原爆の投下によって広島の住民の姿が一瞬にして
街から消えましたね。
運良く生き延びた人々も被爆の症状が、後日出て
来ています。
資料館ではオバマ大統領が折った千羽鶴も展示して
ありましたね。
長崎にも小学校の修学旅行で行きましたが、原爆資料館の
展示品は残酷なものが多かった記憶が残っています。
コメントありがとうございます。
原爆は恐ろしい兵器で一瞬にして広島の街も人も
消えてしまいました。
近隣国はこの核兵器を持つことが自分の国を守れる
ものだと主張しています。
そう言っている国の大統領が実際に広島に来て核兵器の
恐ろしさを知って欲しいです。
コメントありがとうございます。
広島へ行ったらここの原爆資料館と平和公園には
行くべきですね。
行く機会があったらまた広島へ行き平和の尊さを
再度学びたいです。
コメントありがとうございます。
原爆資料館の閉館時間に間に合わなかったのですか?
私は広島城には行かず原爆ドームと平和公園とを優先
しましたので原爆資料館に着いたのは午後5時でした。
閉館時間が午後6時までなので何とか間に合いましたね。
聞くところによると広島と長崎で二重被爆を受けた人も
いらっしゃるようです。
被爆手帳を交付して頂くには被爆当時の証人が必要だと
聞いています。
核兵器を世界からなくすには日本が先頭になって核兵器廃絶を
訴えないと地球は滅びます。