【パリからの帰国と従軍】 ""内は岡本太郎の著書等からの超々要約記述
1940(S15年) 29歳
ナチ独軍がフランスに侵攻 岡本太郎は日本へ帰国
1941(S16年) 30歳
徴兵検査を受け 翌年 戦争画記録の報道班員ではなく初年兵として出兵
自動車中隊に所属し、中国大陸の戦地を転戦
”軍隊での上官による鉄拳制裁を太郎は観察する
制裁の1人、2人目は上官の気分も乗らない 3人目くらいから調子が出て
4人目がもっとも手酷い目に合う その後は上官も飽き?てお座なりになる
それを知った太郎は 必ず4人目に自ら名乗り出た
誰かを庇うためでなく 理不尽な出来事に屈しない自分を見出したいからだ
それが新しい創造 新しい芸術を目指す覚悟であり流儀でもあった"
1944(S20年) 34歳
敗戦 太郎は長安で捕虜生活を送り 翌年日本に帰国
"青山の家も作品も空襲で焼失 人生でもっとも残酷で辛い時代 だった"
上記に述べた戦争体験が 新生岡本太郎を生んだきっかけとなる
太郎は自分の作品を決して売ろうとしなかった
収集家や好事家の収蔵=死蔵 芸術は人々の生活の中にこそ必要だから
ラジオ放送・テレビ出演・講演・著作・絵画・壁画・陶芸・写真・建築物・・・
彼があらゆるメディアを使ったのも 芸術を生活の中へ普及させたいから
封建制の打破など 諸々の社会課題解決こそ太郎の目指す芸術である
パブリック・アートもここから生まれて来る
・・・と力説しても力不足 やはり太郎の作品に語ってもらおう
中央が原爆で焼かれる人 左下はビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸
建造から70年の第5福竜丸
「明日の神話」がメキシコで描かれたことは先日紹介した
高さ5.5m 長さ30mの超巨大な反戦壁画である
その真ん中には 核の火に焼かれて骸骨になった人間が描かれている
そんな壁画をなぜメキシコで?
それには興味深い逸話があるのだが 明日紹介する
今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]