遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

こんな人がいた~『俳人・金子兜太その6・日銀勤務時代のあれこれ』

2023年12月30日 | 読書


【結婚しようよ
1947(S22)年 金子兜太28歳
2月 敗戦・虜囚体験を経て帰国した金子兜太は日本銀行に復職した
4月 塩谷みな子※と結婚 埼玉・浦和に住む
※1925(T14)ー2006(H18) 現埼玉県長瀞町生まれ

"結婚まで余りに早いので 許嫁だった? そう考えたが違ったようだ
兜太には 昔から 好いと思ったら何も考えずに パッと飛びつく
そういう習癖?が"あったらしく 一目ぼれのみな子にパッと飛びついた
・・・なんてバッタのようなことはせず でも すぐに結婚を申し込んだ" 

 二人の結婚式の写真(再掲)


 日本銀行


【労働運動に向かう】
1948(S23) 29歳
6月 日本銀行労働組合の専従初代事務局長を務める 長男・真土誕生 

1949(S24) 30歳
日銀従業員組合の事務局長になり 組合活動に専従する
浦和から竹沢村(現・小川町)に住居を移す

1950(S25) 31歳 6月に朝鮮戦争勃発
"局長が職員を集めてこう言った「この戦争で日本の経済は立ち直る」
「他国の戦争で経済が立ち直るとは・・・」
兜太は文句を言って殴りかかろうとしたが仲間に止められた
「こんな野郎では平和は絶対に訪れない」と思った"

レッドパージとヒヤメシ
 "この年 レッドパージ(赤狩り)により労働運動が弾圧される
 兜太も巻き込まれ 白地の退職願を書かせられたという
 クビにはならなかったが 年末 福島支店に飛ばされヒヤメシが始まる"

 支店回りはさらに続き 
1953(S28) 34歳 神戸支店に転勤
1958(S33) 39歳 長崎支店に転勤
 東京本店に戻ったのは
1960(S35) 41歳 の時だった
 "本店での仕事は窓際族・・・ではなく 本人曰く「窓奥族」
 地下にある金庫を日に3度ほど開けるだけ だから俳句に打ち込めたという"

【銀行員は烏賊(いか)?】
神戸支店時代に兜太は次の句を詠んだ
「銀行員等(ら)朝より蛍光す烏賊(いか)のごとく」
 "行員が発光する烏賊? 面白いが なぜ?と思ったら兜太の体験からだった"

"「尾道で向島にある水族館を見た
烏賊が青白い光を体内に発光しながら泳ぐ様子が印象に残った
翌朝銀行へ出勤 9時から30分間ほど仕事待ちで各々新聞を読むなどする店内天井は高いが薄暗いため それぞれの前に蛍光燈がつけられる
行員らが背をまるめて新聞なごを読む姿は
深海に蛍光を発しながら泳ぐ烏賊のような状態そっくりではないか」"

 ホタルイカ~薄暗い店内で灯りをつけて仕事する行員のイメージと重なるような・・・


"兜太は「生きもの感覚」という言葉を使った
すべての生き物は原郷という感覚を持って繋がっているのではないか"
(よく分からないがニーチェの「生きんとする意思」に通じるものか?)

"また 兜太は自分の人生を支えたのは3つだったと語っている
・トラック島での戦場体験 ・日銀でのヒヤメシ ・俳壇の保守返り
俳壇については伝統的な花鳥風月を詠うことを排した
といって前衛俳句という言葉も嫌いだったらしく 社会性俳句と称した

 長崎支店時代に詠んだ句
 「彎曲し火傷し爆心地のマラソン 」

 以下にユーモアのある兜太の句を幾つか
「夏の山国母いてわれを与太(よた)と言う 」
「長寿の母うんこのようにわれを生みぬ」
「酒止めようかどの本能と遊ぼうか 」
「オットセイ百妻は一妻に如かず 」

今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]