岡本太郎とメキシコとの出会いを調べ直した
灯台元暗し・・・彼がパリ在住の頃 メキシコ文化との出会いがあった
1933(S08)年 22歳
彼はアプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会に最年少で参加
そのメンバーで親しかったクルト・セリグマンから写真を見せられる
当時新たに発見されたメキシコの古代遺跡のピラミッドや神像の数々
それらを写した写真だった
初めて見る中南米の古代美術 その圧倒的な存在感に太郎惚れ込む
"美醜、巧拙などを超えた不思議な形をして なぜこんな形を作ったのか
そう思えば思うほど強烈に惹きつけられ 吸い込まれた
私は自分のうちに 異様な階調に共鳴する深みを自己発見した”
太郎は昨日書いた1963(S38)年に、メキシコ旅行し遺跡を見た
彼が驚嘆した神像は「コアトリクエ」~古代アステカ神話の地母神だ
「蛇の淑女」と呼ばれるコアトリクエ石像 右はそのイラスト(拡大無し)
神像を見た太郎はこう書く
”化け物か動物か人間かわからないが 私の最も好きなものの一つ
端正さなど微塵もない どっかり重く執拗に不気味に無限に繰り返される
しかしダ・ヴィンチやミケランジェリの傑作より はるかに圧倒的な
人間的・芸術的共感で迫って来る"
岡本太郎美術館の常設展のPV映像でもチラとコアトリクエが出て来る
メキシコのピラミッド遺跡の映像
太郎はモダンな西欧中心の美術史に疑問を抱き 古代芸術に惹かれてゆく
それが縄文の美 呪術と芸術が混淆した古代文化への発見と繋がる
というわけだが そろそろ最初の疑問本題に移ろう
メキシコでなぜ巨大壁画「明日の神話」を作ることになったのか?
1966(S41)年 太郎55歳
メキシコ市の実業家マニュエル・スワレスは国を代表するホテル建設を構想
芸術家のパトロンでもある彼は そのロビーを壁画で飾りたいと考えていた
1967(S42)年 太郎56歳
スワレスはビジネス仲間の造園業者から 面白い絵描きが日本にいると聞く
名前は岡本太郎 メキシコにも関心があるという
即断・即決のスワレスは日本に飛び 岡本太郎を訪ねる
スワレスと太郎は意気投合する
が 太郎は'70年万博のテーマ館展示プロデューサーに就任したての忙しさ
しかし 周囲の心配をよそに彼はスワレスの仕事を引き受ける
このあと太郎はTVドキュメンタリー「岡本太郎の探る中南米大陸」撮影で
2か月ほど中南米を旅行~その映像を探したが見つからず
1968(S43)年 太郎57歳
完成した壁画「明日の神話」の下絵を携え 太郎はメキシコを訪れる
長さ30mの中央に原爆で燃える骸骨人間・・・明らかに反核・非核の壁画だ
スワレス事業の重要顧客・米国にとっても挑発的な絵柄だった
絵を黙って見ていたスワレスが言う
"大きなスーパーを造る予定だ そこに君のアトリエを建てて提供しよう"
こうして万博広場と掛け持ち 太郎は合間を見てメキシコへ通い続ける
スワレスは「明日の神話」を「ヒロシマナガサキ」と呼んで周囲に紹介した
余談だが 太郎はメキシコの酒テキーラが大好きだった
マリアッチの音楽も 酒場で歌い踊る明るく陽気な人たちも
今日の終わりに1曲 太郎がいたら一緒に踊り出すかもしれない
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]