あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

あすか塾 野木メソッドによる「あすか」誌2024年3月号作品の鑑賞と批評 

2024-03-17 16:20:56 | あすか塾 2024年

     野木メソッドによる「あすか」誌三月号作品の鑑賞と批評 

 

 野木桃花主宰「淡雪」三月号から

被災地へ寒九の水を自衛官

「寒九の水」は晩冬の季語「寒の水」の子季語で、その冷たさ極まった様子から、神秘的な力があると信じられています。掲句は自衛隊による被災地への緊急給水支援を詠んだと思われますが、「寒九の水」と詠まれて特別な思いが籠った表現になっていますね。下五も自衛隊と複数名詞にしないで「自衛官」と、隊員の姿が浮かぶ表現になっていて心に沁みますね。

母の忌や一手間かけて煮大根

 亡母への思慕の情の籠る句ですが、「一手間かけて」にその思いのすべてが託されていますね。

寒月をしばし見上げる「SLIM」かな

 無事に着陸に成功した小型月着陸実証機「SLIM(Smart Lander for Investigating Moon)」は、その軽量化技術で将来の太陽系探査の要求に応えることができるようになったそうです。語の「寒月」で果敢にそんな最新ニュースを詠みこまれました。まさに時代が変ろうとしています。

日を宿す民話の里や木の根明く

 「日を宿す」の「日」は陽光の「日」と、歳月の「日」の両方にかかる表現ともとれますね。伝統のある牧歌的な暖かな響きを感じる句ですね。

 

 「風韻集」から 感銘秀句

木箱ごとりんご購ふ道の駅       摂待 信子

 上五、中七の内容は大家族らしい人たちの購買活動として見かける景ですが、下五の「道の駅」で別の風情が立ち上ります。きっと林檎の名産地に近い道の駅なのだろうと、その賑わいまで感じる句ですね。

 

木の葉髪ホテルに豪華な化粧室     高橋 光友

「木の葉髪」は初冬の季語で、夏の紫外線や暑さで髪が荒れて、晩秋から初冬にかけて抜け毛が多くなることを、木の葉が落ちるのにたとえた表現ですね。自分のすこし荒れた髪を、ホテルの豪華な化粧室の中に見出している対比が独創的ですね。

おもかげを拾ひ集めて初鏡       高橋みどり

初鏡は新年の季語で、子季語に初化粧、化粧初があります。新年になって初めて鏡に向かって化粧すること、またはその鏡のことですね。映している自分の容姿に、よく似た母の面影を見出しているということでしょうか。「拾ひ集めて」に独特の詩情と余韻が立ち上る表現ですね。

初詣麒麟が来ると告げる朝       服部一燈子

「麒麟」は架空の瑞獣の中の一つですね。古事記や日本書紀にも記載があり、年号にも取り込まれています。今年はいい年になって欲しいとの古代中国、日本の人々の願いが込められているのですね。特に「麒麟」は仁の心を持つ君主が生まれると姿を現す一角の霊獣とされていて、いかなる命も傷つけない瑞獣とされています。NHKの大河ドラマで「麒麟が来る」という大河ドラマがありましたね。

冴ゆる月眉に影置く観世音       丸笠芙美子

 「観世音」は世の人々の声を観じて、その苦悩から救済する菩薩で、人々の姿に応じて大慈悲を行い千変万化の相となるとされています。「眉に影置く」という表現は、観世音菩薩の弓なりの美眉の表現であると同時に、作者のどこか翳りを含んだ思いの投影でしょうか。

歯応へは無言のことば茸めし      宮坂 市子

 嚙んだときに感じる「歯応へ」に、茸の「声」ではなく、もう一歩踏み込んだ、その意味である「ことば」を聴いたという感慨を抱かれた表現で、味わいがありますね。

渡し船へママチャリ急ぐ秋夕焼     村上チヨ子
 夕焼に染まる港の、いろんな景が想像される句ですね。島か狭い海峡の港で、自転車ごと乗り込んで対岸に運んでくれる渡し船があるのでしょう。「ママチャリ」と特定したことで、買物帰りの自転車の籠の中に入っている食材の荷物まで想像されます。

渋面のゴリラごろりと秋思かな     柳沢 初子

中七の「ゴリラごろりと」の音韻が愉快ですね。しかし下五で「秋思」ときて、作者の憂いが投影されている表現に意外性がありますね。ご気楽そうなゴリラが、もの思いにふけっているかのようです。

五分粥の全粥となり七日粥       矢野 忠男

 作者は正月を挟んで年末年始を入院生活で過ごされたようです。投句されている五句にすべてその生活のさまを詠みこまれました。「七日粥」は人日の節句(毎年一月七日)の朝に今年の無病息災を願って食べるものですが、手術後の恢復の過程を詠み込んで、辿り着いた「七日」と詠まれて、読者もご恢復を祈る気持ちになります。

縄地蔵目は巻かれずに花八ツ手     山尾かづひろ

 「縄地蔵」は人々の心身の苦しみの身代わりとなるという信仰の地蔵尊のひとつで、「縄解地蔵尊」ともいいます。その信仰によって罪ある者さえ解放されたと言い伝えられています。全身を縄でぐるぐる卷にされた姿が多いのですが、作者が見た地蔵尊は「目は巻かれず」にいたのでしょうか。その土地柄が出ていますね。初冬、小さくて細かい黄白色の花を鞠状につける「花八ツ手」との取り合わせが絶妙ですね。

錦秋に映えて高々時計台        吉野 糸子

 「錦秋」は紅葉が錦の織物のように美しい秋という季語で、鮮やかな色彩を持つ季語ですね。それを高い塔で孤独にひたすら時を刻む「時計台」と取合せて、秋の深まりゆく空気感を表現しましたね。

亡き夫の渡りし影か秋の虹       磯部のりこ

 文句なしに胸にぐっと迫った句でした。その深い喪失の悲しみの永い時を経て、このような俳句を詠めるようになられたことに、逆に読者が励まされます。

思ひ出を編み直しては子のセーター   稲葉 晶子
 
「編み直し」に、素材という「もの」を大切にする日本の文化の伝統と、親子の間に共有される、過ぎ行く「時間」の「編み直し」を感じさせる表現ですね。

大冬木走り根しかと揺るぎなし     大本 典子

 大樹の「走り根」の大地をしっかり掴んだ風情が目に浮かびますね。もう一つの、

燃ゆるもの内に秘めたる冬木の芽」も印象に残る句でした。二句とも自然の命の営みの力強さを感じました。

産土は日の本の臍空つ風        大澤 游子   

日本列島の「臍」候補に名を連ねている場所は、栃木県佐野市、山梨県韮崎市、長野県辰野町、岐阜県関市、群馬県渋川市、兵庫県西脇町があります。「空つ風」で有名な場所となると、その名物のひとつとして数えられている群馬県のことでしょうか。『赤城おろし』とも呼ばれ、「かかあ天下とからつ風(女性が働き者であること、からつ風が吹くことが群馬名物)」という言葉はとても有名ですね。群馬県が作者の生れ故郷か、現在のお住まいなのでしょうか。こういう地域愛の表現もあるのですね。

大枯木広げし先にある未来       大本  尚

 落葉した枯木はその枝先に芽吹く命を育んでいます。それを枝先ということばを省略した俳句の技法で「広げし先にある未来」と詠んで、詩情がありますね。

音を編む木の葉時雨の切り通し     奥村 安代

 切り通しのそそり立つ壁面の上に葉が茂って道を覆っているような景が目に浮かびます。雨音の音響のトンネルを進んでいくような感じですね。樹々を主語にして「音を編む」と擬人化したのが効果的ですね。

師の逝きて山茶花の白際立てり     風見 照夫

 師事した尊敬する方への哀悼句ですね。自分の喪失感や悲しみなどの感慨を直接的な言葉にしないで、「山茶花」の白色に託して、これぞ俳句という詩情が立ち上りますね。

隼の瑞雲の空飛びゆけり        加藤  健

「瑞雲」とは雲が赤や緑など虹のように彩られる雲で、幸運の予兆として昔から縁起がいいものとされています。それを上五で「隼の」として、下五で「飛びゆけり」と表現して、爽やかで力強い飛翔感を感じさせますね。

餅花や大きく小さく指の跡       金井 玲子

「餅花」は日本の一部地域で正月とくに小正月に、木の小枝に小さく切ったや団子をさして飾るものですね。東日本では「繭玉」の形にする地域が多いようです。一年の五穀豊穣を祈願する予祝の意味をもつとされます。掲句は家族で作ったのでしょうか。大人と子供の指の跡が残っていることを詠んで、その景が浮かびますね。

厨ごと甘辛くして金目鯛        近藤 悦子

 必要最小限のことばによる、俳句的な省略表現ですが、物語性のある景が目に浮かぶ表現ですね。厨に立ち込める香りが感じられますね。他の「亡夫のセーター背にかけちよいと小買物」もいい句ですね。

晴か雨下駄に委ねる神の留守      坂本美千子

 下駄を足先から放って着地したときの表裏で明日の天気を占う昭和の遊びの景ですが、下五の「神の留守」と取合せたことで味わい深くなりますね。

火口湖の霧の器になる速さ       鴫原さき子

 火口湖の擂鉢状の斜面に霧が流れ込んでゆく様が目に見えるような句ですね。

 

 「あすか集」から 感銘秀句

次世代の味のずらりとお元日      小澤 民枝

 世代の違う人の手による正月料理の違いに、時代の変化をつくづく感じ入っている思いが素直に伝わる句ですね。

忘年会まんまる月と帰宅せり      柏木喜代子

 「まんまる」をひらがなにしたのがいいですね。楽しい忘年会の帰りのようです。充実感と開放感のある句ですね。

露の世や迷ひ戸惑いひ二人連れ     金子 きよ

 「迷ひ戸惑ひ」と大きな悩みと日常の小さな戸惑いをリズミカルに詠みこんで、夫婦で過ごした来し方を、充実感をもって振り返っているようですね。

納豆の箸折るるほど糸引かせ      木佐美照子

 納豆は三冬の季語で、関東が主流の糸引き納豆と、大徳寺納豆に代表される塩辛納豆(乾燥した納豆)の二種類があります。掲句はもちろん関東系の納豆ですね。強度のある箸でないと折れる場合があります。割箸ではすぐ折れてしまいます。楽し気な食卓が目に浮かびます。

夢一つ持ちて幾歳石蕗の花       城戸 妙子
 若い頃はたくさんの夢があったりしますが、掲句は最初から一つに絞り込んで生きてきた、という強い意志を感じさせる表現ですね。下五に鮮やかな黄色に一際存在感がある「石蕗の花」を置いて取合せたのがいいですね。

鵙猛る指に刺したる棘深し       齋藤 保子

「鵙猛る」は三秋の季語「鵙」の子季語ですね。掲句はその高音に、自分の指に刺さった棘の痛みを取合せて効果的ですね。別の三秋の季語「鵙の贄」の、鵙が昆虫や蛙、蛇、鼠などを捕らえて尖った木の枝や有刺鉄線などに刺して蓄える習性のことが背景に連想され、癒えない心の痛みの暗喩のようにも感じられますね。

雪嶺や太古の魚の深ねむり       須賀美代子

 二通りの鑑賞法が浮かびました。一つは雪嶺の斜面に魚の形を見出している感慨、もう一つは雪を被っている眼前の山は、海底の隆起によってできたもので、そこに何億年も前の魚の化石を抱いて眠っているのだという感慨です。どちらに解しても味わい深い句ですね。

裸木の装ひ脱ぎて仁王立ち       高野 静子

 裸木の幹の隆々たるさまが、筋骨隆々の仁王像のように見えたという直喩が力強くていいですね。

すぐそこに深き闇持つ冬夕焼      高橋富佐子

 元旦の能登震災のことを思ってしまいますが、普遍性がある表現にしたのがいいですね。

セーターのまつさらを着て空眩し    滝浦 幹一

 真っ新のセーターと空の眩しさは、本来は無関係ですが、このように俳句で表現すると、心の状態まで真っ新になったような詩情が立ち上りますね。

初冬や会話のできぬ夫と居る      忠内真須美

 幾通りかの鑑賞が可能な表現ですね。「会話のできぬ」状態の病を得られた夫と厳しい冬を過ごされている情況のようですが、突然、そうなられたのか、もう何度目かの冬をそうして乗り越えられようとしているのか。深刻な情況ながら、それを介護される作者の静かで強い意志を感じる句ですね。

寒鯉の群れて力を溜めてをり      立澤  楓

 一尾では力というものを特には感じない鯉ですが、集団となって形成される力というものがある、という感慨は一つの発見でもありますね。

亡き夫の笑顔麨に噎せおれば      丹治 キミ

 麨(麦こがし)は、季語辞典では「はったい」とひらがな表記にされていて、三夏の季語と定義されています。新麦を炒って焦がし、粉に碾いたもので、砂糖を混ぜ、水や湯を加えて練って食べます。落雁や饅頭など、和菓子の材料になります。掲句の噎せて笑ったとき、亡き夫の笑顔が浮かんだという表現が独創的で心に沁みますね。

年の瀬の黒豆だけはマイペース     千田アヤメ

 お正月料理はどれも手間暇のかかるものですが、特に黒豆は時間のかかる食べ物でしょうか。そのことに自分の生き方を投影して許している感じがいいですね。

ロボットの手も借り神社の煤払     中坪さち子

 神社の煤払にまでロボットが働く時代になったのですね。どんなアームとハタキが付いているのか、違和感を通り越して愉快です。

熱燗や夫婦無口になるばかり      成田 眞啓

 仲が悪いための無口ではなく、お互い気の置けない、すべてを許し合った熟年夫婦の雰囲気を感じる温かい句ですね。

船乗りの祖父はセーター編んだと言ふ  西島しず子

 航海に時間のかかる遠洋船の船員だったのでしょうか。船員は持て余すほどの時間を使ってセーターを編んだのでしょう。

ひそと咲き花とも見えぬ寒葵      沼倉 新二 

寒葵は茎が短く地面に這うような植物ですね。花期は秋季で地面に接して咲きますが、花のように見えるのは花弁ではなく三枚の萼片なのですね。小さい筒型で地味な黄色です。作者はその目立たない姿に逆に趣を感じ魅かれているようです。

枯園に寂と響ける鹿おどし       乗松トシ子

 掲句の鹿おどしは、カンと響きわたるような音ではなく、水を含んだ竹筒の鈍い音を立てている、古い歴史のあるものでしょうね。それを「寂と響ける」と表現して趣がありますね。

バス終点冬日を浴びし雀瓜       浜野 杏  

雀瓜は原野や水辺などに生え、果実は球形または卵形で、はじめは緑色ですが、熟すと灰白色になりますね。果実がカラスウリより小さいことからとか、果実をスズメの卵に見立てたことからとか言われていますね。掲句は鄙びた田舎のバス終点の、何かに絡んでいるような景で、詩情がありますね。

新春や違いわからず辰と龍       林  和子

 辰と龍の違いは辰が干支上での言葉で、それ以外の一般的な呼称が龍ですね。漢字表記の世界だけの違いですが、今年は何年? というとき以外はあまり気にしていないですね。まさに新春の想いなのですね。

ひよつとこは淋しがり屋か初神楽    平野 信士

 神楽は神様に奉納するために行う舞や歌で、それに登場して道化役として踊ったのがひょっとこのはじまりと考えられています。左右の目の大きさが違ったり、頬被りをしていたりします。名前の語源は、竃の火を竹筒で吹く「火男」がなまったという説や、口が徳利のようなので「非徳利」からきているという説があります。掲句はその道化師の孤独な内面に踏み込んで味わいがありますね。

ほこほこと靴底やさし落葉道      曲尾 初生

 落葉踏みの俳句で、靴底に伝わるやさしい感覚を詠んだ句にはじめて出会いました。視点が独創的ですね。

球根の花咲く頃は米寿かな       幕田 涼代

 球根植物は毎年繰り返し花を咲かせる多年草の一種で、植えっぱなしで冬越しできる品種は宿根草と言います。掲句はその花が咲くのが米寿、つまり八十八歳を迎えることを詠んでいるようで、現在はその一つ前の八十七歳ということでしょうか。ちなみに六十歳の「還暦」や七十歳の「古希」は中国から伝わりましたが、七十七歳の「喜寿」以降のお祝いは日本発祥と言われています。これからは日本式祝い歳を迎える年齢になられたということですね。

猫老いて縄張り縮小冬に入る      増田 綾子

 猫の世界にも実際にあることなのでしょうね。それを俳句で詠むと、まるで人の世の反映のような味わいが出ますね。

小正月耕人の腰鎌光る         水村 礼子

 旧暦では春ですが実質的には耕地の吹く風はまだ冷たいはずです。でも農作業をしている人がいて、その腰に刺した鎌の金属の光で、寒気を表現したのが味わい深いですね。

聴秋閣屋根に紅葉の二三枚       緑川みどり

 聴秋閣は横浜市中区の三渓園内にある建築物で、二層の楼閣風で、三渓園では臨春閣と並んで著名な建造物ですね。周りに紅葉の大樹があって、たしかに屋根に紅葉が散っていましたから、実景を素直に詠んだ句ですが「二三枚」と結んで風情がありますね。

十二月八日郵便受けに厚き文      村田ひとみ

 十二月八日はただの日付ではなく、歴史的背景を持つ特別な日でもあります。代表的なものは、やはり太宰治が小説「十二月八日」で描いたように、日本海軍の戦闘機による真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争勃発でしょう。この作品は「主婦の日記」の形式で記したもので、日記の筆者のモデルは美知子夫人。美知子は本作品について次のように述べています。

《長女が生まれた昭和十六年(一九四一)の十二月八日に太平洋戦争が始まった。その朝、真珠湾奇襲のニュースを聞いて大多数の国民は、昭和のはじめから中国で一向はっきりしない○○事件とか○○事変というのが続いていて、じりじりする思いだったのが、これでカラリとした、解決への道がついた、と無知というか無邪気というか、そしてまたじつに気の短い愚かしい感想を抱いたのではないだろうか。その点では太宰も大衆の中の一人であったように思う。》 

 太宰治のみならず、大方の当時の日本人が抱いた感覚だったでしょう。それが悲惨な結末を迎える誤った道であることを見通すことは困難なのですね。

 掲句の「郵便受けに厚き文」は未開封の書状の束で、何かを訴えているような表現になっていて、味わいがありますね。

短日や欅は拳振り上げる        望月 都子

 落葉して裸木になった大欅の太い枝がまるで拳を振り上げているように感じられたようですね。それはつまり作者の心情の投影なのでしょう。何か叫びたいような理不尽なことが胸に蟠っているのでしょうか。

少年の自転車に揺れ注連飾       保田  栄

 少年が自発的な買物として、注連縄を買うことはあまりないと思いますので、買ってきてと頼まれたのでしょうか。家族の様子まで想像される温かみを感じる句ですね。

冬夕焼負けじとコキア朱をまして    安蔵けい子

 コキアの和名は、乾燥した茎を箒に使うので「ホウキギ」ですね。茎は枝分かれして球形になり、最初は緑色で後に赤くなります。掲句はそれを「冬夕焼」に負けまいとして朱になったと表現して詩的ですね。

上出来の甘夏ジャムや寒緩ぶ      内城 邦彦

 自前の甘夏ジャムつくりに挑戦されたようです。うまくできたようですね。その達成感を「寒緩ぶ」で表現して味わいがありますね。

無人駅一人降りゆく吹雪中       大谷  巌

 真冬の吹雪の厳しさを、「無人駅」「一人降りゆく」という孤独感で表現したのが効果的ですね。

冬紅葉残る一葉に宿る思慮       大竹 久子

 よくある景ですが、その残った一枚にそのように「思慮」を感じ取っているのは作者の豊な感性そのものですね。

名木の爆ぜるかに飛ぶ寒雀       小川たか子

 意外性のある表現にして、楽しませてもらえる句ですね。読者は「名木の爆ぜるかに飛ぶ」までは、名木がどうして爆ぜるのだろうと読んできます。ところが下五の「寒雀」で、たくさんの雀たちが一斉に枝から飛び立ったという、動的な景に瞬間で転換します。切れのある鮮やかな表現が効果的ですね。

 

 その他、心に残った句

初電話友はすつかり長崎弁       小澤 民枝

冬夕焼便りの絶えし友一人       城戸 妙子

味噌作り豆蒸す匂い寒の内       久住よね子

焼芋屋声と煙のコラボかな       斉藤  勲

横浜が終の住居に実万両        須貝 一青

アメ横で出し汁一椀飲む師走      鈴木ヒサ子

早足の若き僧くる年賀かな       鈴木  稔

終電へ二人疾走師走かな        砂川ハルエ

元旦や「津波にげて」に犬を抱く    関澤満喜枝

団欒の真中にありし丸火鉢       高橋富佐子

年の瀬や激しき声のひよの群      坪井久美子

 

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