あすか塾 66
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
◎ 野木桃花主宰十月号「新涼」から
この影はステゴサウルス夏木立
繁った樹木の影が、恐竜のステゴサウルスに見えたのですね。子供心を失わない、しなやかな俳人ならではですね。
花火師の潮の匂ひをもち帰る
「花火師の」の「の」は散文では「が」に当りますが、俳句独得の助詞の使い方で韻律を生み出します。花火を打ち上げた場所まで目に見えて、火薬と潮の香が匂い立つ句ですね。
やはらかき日差し鬼の子顔を出す
「鬼の子」は蓑虫の異名で、「枕草子」の「43蓑虫いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心地あらんとて」とあることに基づいています。俳句では三秋の季語の子季語ですね。他に鬼の捨子、父乞虫、みなし子、親無子、蓑虫鳴く、木樵虫があります。
この句では暖かくなって蓑から顔を出している表現で、可愛らしいですね。
参考までに、蓑虫の名句に次があります。
蓑虫の音を聞に来よ草の庵 芭蕉「続虚栗」
みのむしや秋ひだるしと鳴くなめり 蕪村「夜半叟句集」
蓑蟲や足袋穿けば子もはきたがり 渡辺水巴「水巴句集」
◎ 「風韻集」十月号から 感銘秀句
鮮血の走る静脈秋思かな 矢野忠男
自分の体内を巡る血流を普段は意識しませんが、病気をしたときなど、ベッドに横になっているとき、それを生きていることの証のように、確かに感じます。
自然洞つかふ村バス蝸牛 山尾かづひろ
自然にできたトンネルを整備してバス道にしている、珍しい景の句ですね。鄙びた田舎を感じる表現で、下五を「蝸牛」にしたことで、そのゆったりとした速度も感じますね。
父の日や納屋に掛けある菅の笠 吉野糸子
俳句全体から立ち上がるノスタルジーを感じる表現ですね。菅の笠は昔ながらの労働の景によく合いますね。
川石を文鎮として餓鬼忌かな 安齋文則
「餓鬼忌」は七月二四日の芥川龍之介の忌日「河童忌」の子季語ですね。河童忌とすると上五の「川石」と近すぎるので避けたのでしょうか。拾ってきた川石を文鎮にして書をしたためている、という景に詩情がありますね。
川音の膨らむ朝雨蛙 磯部のり子
「川音」が「膨らむ」とした表現が詩的ですね、雨蛙の声がそれに一層、趣を添えています。
子に譲る夏の箸置き涼しげに 大木典子
作者の愛用の箸置きを子供に譲ったというだけの表現ですが、下五の「涼しげに」で、特別な仕様の高価なもので、使わずに大切にとってあった物だということが伝わりますね。
青田風課外授業の小学生 大澤游子
田植が終ったばかりの田を吹き渡るすがすがすがしい景が浮かびます。課外授業の内容は色々想像されますが、最初に思いつくのは、みんなで田植をした景ですね。手足、顔に泥をつけた元気な姿も浮かびます。
三々五々渡御の出を待つ男衆 大木 尚
しっかり昔ながらの祭の意義と伝統を大切にしてる人達の姿が浮かびます。「渡御」とは神輿渡御、「神輿で練り歩くこと」で、神さまが神輿にのって街を練り歩き、大きな力を振りまいて人々の「災い」を清めるという意味があり、だから神輿を激しく揺さぶり、神さまの力を高めて豊作や大漁を願う理由があるのですね。この句では男衆が神輿担ぎの出番を待っている場面で、そんな伝統を守っている町の雰囲気も伝わりますね。
占ひは信ぜず七夕祭かな 風見照夫
一見、占いと七夕祭は無関係のようですが、双方とも人間が考え出した非現実的なものである、という共通点がありますね。その一方はあまりいいことではなく、一方には抵抗がないという違いの不思議を詠んだ句ですね。
藁屋根に一叢の草南風(みなみ)吹く 金井玲子
藁葺屋根に生きている草が生えるまでには、それなりの時間の経過を必要とするでしょう。その落ち着いた風情を「南風」と季節感の中で表現して詩情がありますね。
夢の世や茅花流しの只中に 近藤悦子
「茅花流し」は初夏の季語で、茅花の花穂を吹き渡る、雨の気配を含んだ南風ですね。自分の人生という夢のような時間を、その風の只中に置いた詩的な表現ですね。
研ぎ味をトマトに試す朝曇 坂本美千子
刃物の具合を日本語では「味」という言葉で表現しますね。この句の「研ぎ味」そしてその「切れ味」というふうに。それをトマトで試している景ですね。下五の「朝曇」で、刃物の鋭利さが少し曇って感じられているという繊細な表現ですね。
青嵐石の天使の翼しなう 鴫原さき子
石の天使の彫像の翼まで、風に撓っているようだ、という表現ですね。とはいっても、青嵐は初夏の、青葉を揺すって吹き渡るやや強め風という程度の強さですから、翼がまるで飛翔しているようだ、という句意に主眼がある表現ですね。
潮騒の中なるランチ冷し蕎麦 摂待信子
海の香のするレストランのランチといえば、洋食を思い浮かべますが、「冷し蕎麦」だという表現ですね。冷し中華のことかとも思いますが、やはりここは和の蕎麦の意外性がいいですね。
春蟬とワーグナー聴く庭テラス 高橋光友
ワーグナーと言えば壮大な交響曲の響を思い浮かべてしまいますが、春蟬との響演ならば、室内楽ほどの心地よい小曲かもしれませんね。
積石に秋重ねゆく生家かな 高橋みどり
積石には和風建築の分厚い塀、または建物の柱の下に置く土台、礎があります。この句は後者の方を思い浮かべますね。その「重ね」と季節を重ねて、詩情がある表現の句ですね。間接的に両親と、そこで育った自分の過去の歴史に対する慈しみが感じられますね。
何気なく腰を弄る芝の栗 服部一燈子
普通名詞的には「芝栗」という品種を指す言葉を、「芝の栗」と、間に「の」を入れて山野に自生する野性の栗であることを表現した句ですね。野性の目立たないようすを「何気なく腰を弄る」としたのが効果的ですね。
ひと粒づつ物種を蒔く胸に母 宮坂市子
「物種(ものだね)」は穀物・野菜・草花などの種のことですね。「ものざね」とも読み、他に「ものごとの、おおもとになるもの」という意味もあります。その語感を踏まえて、種蒔きをしているとき、母の代からもそうしてきた、という思いを抱きしめる表現にして味わい深いですね。
もう起きて歩いてみるか熱帯夜 村田ひとみ
熱帯夜で眠れない思いをした方は、今年の猛暑では誰もがした経験でしょう。作者はついに起き上がって、少しは涼しい外気の中を歩こう、と決心したようです。
歌舞伎座の列に香水並びくる 柳沢初子
誤読かもしれませんが、わたしはそこに一つの迷惑行為的なことを感じて暗に批判しているような作者の思いを感じました。そんな人が隣りの席にいたら、気が散って、観劇どころの気分ではなくなりますよね。
◎ 「あすか集」十月号から 感銘好句
うらうらと紅葉かつ散る日の床几 紺野英子
「床几」は移動用の折り畳み式簡易腰掛けで、脚をⅩ状に組み合わせ、上端に革や布を張ったものですね。これに座って屋外の紅葉を鑑賞している景が浮かびますね。
紅花の刺まだ柔きひと抱へ 齋藤保子
紅花の茎の刺は早朝は柔らかいですが、日中は固くなって刺されると痛いようです。そのことを知っている栽培家のような実感のこもる表現ですね。
異論などある筈もなく西瓜食ぶ 笹原孝子
もちろん、西瓜を食べることに誰も異論はないでしょう。その言い切りのユーモラスなことに加えて、他の議論まで断ち切ってしまうような爽快さがありますね。
猫じゃらし午後は品薄直売所 須賀美代子
上五の路傍の草「猫じゃらし」で、その直売所がある場所まで想像できますね。農作物は朝出しが普通ですから、午後、何か残っていたら幸運ですね。売れ残りものですが。
煮炊きして命の伸びる梅雨晴間 須貝一青
作者は愛妻を亡くされ、独り暮らしで、自炊が億劫に感じられている日々なのでしよう。だからこの句は「久ぶりに」が省略されたものと読むと、共感される人が多いのではないでしょうか。
踊の輪くの字の爺のしなやかに 鈴木 稔
賑やかな祭の踊りの中で、一際目を引くご高齢の方のようです。腰は曲がっていても、年期の入った所作が見事だったのですね。高齢者への敬意とやさしさを感じる句ですね。
早々に雨戸繰る庭五月闇 砂川ハルエ
「五月闇」は陰暦五月の、梅雨時の夜の暗さのことですね。この句で、未明に雨戸を開けたのは、おりからの猛暑のせいだということが想像されますね。
窓広き路面電車の街涼し 関澤満喜枝
最近の電車は冷暖房完備で窓は開けないことが多いですね。この句ではそんな路面電車の大きい窓の車内を涼しい、といわず、「街涼し」としたのがいいですね。
手はどこと探すや葛が蔓伸ばす 高野静子
誰が誰の手の在処を問うているのか不明の表現ですね。わたしは旺盛に蔓を伸ばす蔦が、まるで触手のように何かを弄っているようすを読み取りました。
風鈴の風なき夜にチリと鳴る 高橋富佐子
無風の蒸し暑い夜の景が浮かびますね。風鈴の音色はふつう涼を感じるものですが、「チリ」とだけ一音聞こえたという表現で、暑さが際立つ効果をあげていますね。
屋根上に気位高き花南瓜 滝浦幹一
南瓜はふつう露地や棚がけ栽培ですが、この句では蔓が屋根まで延びて花を咲かせているようです。それを「気位高き」と表現して詩情がありますね。
猛暑日や猫は尾っぽで生返事 立澤 楓
飼猫の横着なまでの、ちょっとしたしぐさを切り取って、この暑さだもの、と笑っている作者のやさしいまなざしを感じる表現ですね。
風船の夏空めざし塔を越ゆ 千田アヤメ
ただ風船が空へ上っていくと表現せず、目に見えるような「塔を越ゆ」としたのが効果的ですね。塔のある街並みも見えますね。
引越すも表札そのまま梅雨湿り 坪井久美子
梅雨湿りの最中、引っ越し作業が終わったばかりでしょうか。取り急ぎ、旧居から持ってきた表札を玄関に掛けたのでしょう。当座の間に合わせか、愛着あるものだったのでしょうか。
尾根道を点す紫葛の花 中坪さち子
まるで紫色の葛の花が、道先案内のように「点」っているという表現に詩情がありますね。尾根道、とありますから、登山の場面が想像されます。
大花火遠音にひびく宵の風 成田眞啓
下五を「宵の風」としたのが効果的ですね。その風に乗って、遠花火の音が運ばれてきたかのようです。
父の日やモールス符号打つてたネ 西島しず子
いろんな場面が想像される句ですね。父上が昔、無線士だったので、居間にいても無意識に家族の前で、モールス符号のリズムを刻んでいた、というような景を思い浮かべました。この符号を音や光で信号にするのがモールス信号なのてすね。モールスは発明者の名ですね。
家ごもりごろりごろごろ大暑かな 沼倉新二
大胆に擬態語の畳句で一句を成立させ、そのようすまで目に見えるような表現で、おもわず笑ってしまいました。
一幅の幽霊の絵や夏の寺 乗松トシ子
たぶん高名な日本画家の筆になる幽霊画なのでしょう。少し黄ばんでいるでしょうが、その鬼気迫る雰囲気が伝わりますね。
山百合の咲けど香れど人の無き 浜野 杏
「咲けど香れど」のたたみかけが効果的ですね。こんなに綺麗に咲き、香り立っているのに、という作者の思いが溢れる表現ですね。
蟬さえも声をひそめて夕を待つ 林 和子
今年は猛暑のせいか蟬の声をあまり耳にしませんでした。ニュースでもそのようなことが報道されていましたね。このまま異常気象が続けば、季語の「蝉時雨」が絶滅遺産になるかもしれませんね。
貝殻を砕きて鶏に秋の朝 平野信士
自家製の餌で鶏を育てている方でなけれぱ詠めない句ですね。定期的にそんなカルシウム分を含んだ餌を与えないと、外殻のない甘皮だけの卵が生まれるそうです。
今年また魔除け風鈴軒先に 曲尾初生
この風船は涼を呼ぶための澄んだ高音を立てるものではなく、古代の風鐸の流れを汲む「魔除け」的なものでしょうか。毎年、玄関先に吊るされているようです。
痛み出す腰椎側弯梅雨湿り 幕田涼代
「腰椎側弯」とは「腰椎変性側弯症」の略語で、脊柱が側方や後方に曲がってくる症状ですね。罹患経験のない人には馴染みのない医学専門語です。加齢によって激しい神経系の痛みを伴う、脊椎、手足の骨の病気にかかりやすくなるので辛いですね。
遠雷の転がる音や歯科帰り 増田綾子
雷鳴が転がるように鳴り響いて感じられたのでしょう。治療したばかりの歯の神経に響いたのかもしれません。
盆灯籠五百羅漢に嘆き顔 水村礼子
五百羅漢像はたくさんあり過ぎて、普段は一体一体の表情に気をとめたりしませんが、盆灯籠の灯の真下になった一つの像が、まるでスポットライトを浴びたかのように見えたのでしょうか。しかも作者の心情を反映してか「嘆き顔」に見えたのですね。
あの山のあのあたりかな秋茜 緑川みどり
「秋茜」は初夏に山地へ行き、秋になると平地に群れて帰る習性があるそうです。その「帰り」を待ちわびているような表現ですね。
酷暑なり出口の見えないことばかり 望月都子
俳句はストレートな感情表出をすると、奥行きのない、それだけの狭い表現になってしまうおそれがありますが、この句は、今年の猛暑という異常体験で、そんなこと、構ってられないほどだった、という共感させる力がありますね。
玄関の主となりて棕櫚の花 保田 栄
玄関先に植えられた棕櫚がある家なのですね。見事な花が咲き、今では主のようだ、という感慨表現ですね。他の植物ではこうはいかないですね。
幸せを詰めて赤らむさくらんぼ 安蔵けい子
上五の「幸せを詰めて」が、元気な赤ちゃんの艶々とした、膨らんでいる頬っぺたのような表現ですね。
パリ五輪壁に大判世界地図 内城邦彦
五輪に限らず、スポーツ・イベントの世界大会になると、活躍する参加選手の国の場所を知りたくなりますね。この句では大判の世界地図を用意したようすですね。ただ、五輪だけでは季語にならないので、有季俳句にするのなら、「夏季五輪」と書くべきですが、「パリ五輪」と言いたかったのでしょう。あのパリの熱気に季節感を感じましたよね。
砂浜に足跡残し夏惜しむ 大谷 巌
波が寄せる浜辺の足跡は、すぐ消えてしまう、はかないものですね。それが下五の「夏惜しむ」の季語とぴったりの表現ですね。
老い愉し塩分控へ梅漬けて 大竹久子
上五で「老い愉し」と断言されていて、どうして、と思ったら、その後が、気持ちの表明ではなく、具体的に塩分控えめにして梅を漬けている表現になっているのが、効果的で読者も元気をもらいます。
夏草や目高の墓をつつむかに 小澤民枝
「つつむかに」という下五の表現で、目高の墓まで作ってあげる作者の気持ちという「心の手」で、包んでいるようなやさしさが立ち上る表現になっていますね。
汗流し厨は主婦の戦場よ 柏木喜代子
孤独な「戦場」ですよね。共感される方が多い句でしょう。いろんな境遇も想像されます。
消灯の病室照らす梅雨の月 金子きよ
明りが付いているときは気づかなかったのでしょう。消灯と同時に、蛍光灯の市内の光とは違う、やさしい月光が病室を満たしたのですね。梅雨の時期の雲間から差す月光ですね。
白南風同じ時代を走りぬけ 神尾優子
時代を同じくして生きたのが、誰または何かということが略された、俳句的表現なので、まるで上五の白南風という季語と共に、というようにも解釈できる句ですね。変わらぬ季節の風だけど、このときの、この風は特別だったいう感慨が立ち上りますね。
曼珠沙華昔々は土饅頭 木佐美照子
今のように死後、火葬にされて整備された墓地の墓に埋葬されるようになる前、日本全国「土葬」で墓印も粗末な時代の方が永かったのでしょうね。曼珠沙華はそんな昔の景に相応しいですね。
父の日に贈りしシャツの着惜しみて 城戸妙子
わたしたちの父母の時代は倹約質素の文化が根付いていました。物を大切にする亡き父の面影がうかびます。と同時に、娘から貰った贈りものが嬉しくて、着ないで大切にとっておかれたのかもしれません。
マリネして振舞うさっぱ釣り三昧 久住よね子
マリネは、肉・魚・野菜等を酢やレモン汁などの漬け汁に漬け込む料理ですね。サッパ(この句ではひらがな書きされています)はニシン目に分類される汽水域に生息します。共通の釣りという趣味で楽しげな雰囲気が伝わる句ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます