古の学者は己の為にし
子 日わく
古(イニシエ)の学者は 己の為にし、
今の学者は 人の為にす。
現代語訳
先生は おっしゃった。
昔の学ぶ者は、自分の修養のために学んだが、
現代の学ぶ者は人に知られようとばかりして学んでいる。
参照
孔子の生きた戦乱の世では、学問をして、
地位や名誉を得ようとした者がいたのでしょう。
あるいは評価してもらいたいと
思った人も多かったのかもしれません。
学問はあくまでも
自分の修養のためでなければなりません。
とても二千五百年前の言葉とは思えませんね。
子、子夏(シカ)に謂(イ)いて日(ノタマ)わく、
女(ナンジ)、君子の儒(ジユ)と為(ナ)れ、
小人(ショウジン)の儒と為(ナ)る無かれ。
現代語訳
先生は 子夏におっしゃった。
君は(人格の立派な)君子の学者になりなさい。
(人格の劣った)小人の学者にならないように。
参照
どんな人になりたいか、
たえず理想を持って学ぶことが大切です。
ただ多くのことを知っているだけでは君子とはいえません。
儒とは 学者のことです。
「君子の儒」となれと、孔子は子夏を激励しています。
四十四歳も年下の若い弟子に、
大いに期待をかけていたのでしょう。
ただの 物知りではダメ。
そこに思いやりや美しい情緒もなくてはいけないのです。
ご無沙汰しています・・・お盆休みと思っていたのですが・・・
論語を見てたら・・・弟子の人物像にも興味が沸いて・・・。
もちろん、上っ面だけの評なのですが(詳しくは私では無理!?)
で、・・・ブログにも アップしたくなりました(´∀`*)ウフフ
子夏は論語⑯にも登場してましたよね・・・。
44歳も離れてると、可愛かったのでしょうね。
で・・・子夏のこと サラっと調べてみました。
孔子には、3,000人の弟子がいたそうですが・・・
極めて 優秀だったとされる10人が 「孔門十哲」 といわれるそうです。
子夏はその中の一人で 文学に秀でたそうです。
真面目で 消極的な 性格だったようです。
有名な {過ぎたるは猶及ばざるが如し} は、
弟子の 子夏と子張が 元になったそうです。
この句は 論語㉙に改めてアップいたします。
この句の「過」に評価されたのが、子張(シチョウ)だそうです。
子張は、10哲に入ってないのですが、子路・子貢に次いで、
論語には 出現回数の多い、極めて重要な弟子だったそうです・
※ 孔子とは、子張は48歳も離れており、44歳差の子夏とは 同年代!。
お互い 切磋琢磨してたのだと思いませんか(笑)。
ちょこっと、人物像を知ると、・・・二千五百年も前なのに、
人間って変わんないなぁ~って、なんか、親近感を覚えます・・・。
また、追々 人物像は 簡単に紹介したいと思っています。