吾が道は一以て之を貫く
子 日わく、
参や、吾が道は 一以て 之を貫く。
曽子 日わく、
唯。
子 出ず。
門人問うて 日わく、何の謂ぞや。
曽子 日わく、
夫子の道は 忠恕のみ。
シ ノタマワク、
シンヤ、ワガミチハ イツモッテ コレヲツラヌク。
ソウシ イワク、
イ。
シ イズ。
モンジントウテ イワク、ナンノイイゾヤ。
ソウシ イワク、
フウシノミチハ チュウジョノミ。
現代語訳
先生は おっしゃった。
「曽参よ、わが道は一筋の道で貫かれている」
曽子は「はい」と答えた。
先生が出ていかれ、弟子の一人が
「あれはどういう意味ですか」と尋ねると
曽子が 答えた。
「先生の貫く道は 忠恕(真心のこもった思いやりのこころ)
だけなのだ。
参照
生きていく上で大切な、ただ一つのものとは何でしょう。
それは真心、人を思いやるこころです。
いかなる時にも誠実に、自分のことと同じくらい
他人のことを考えられる人でありたいと孔子は考え、
実践してきました。
「唯」と即答できた 曽子も見事ですね。
子 日わく、
人の己を 知らざるを患えず。
人を 知らざるを患うるなり。
シ ノタマワク、
ヒトノオノレヲ シラザルヲウレエズ。
ヒトヲ シラザルヲウレウルナリ。
現代語訳
先生は おっしゃった。
人が自分を理解してくれないことを嘆くことはない。
他人の実力を自分が見極められないことこそ、心配するべきだ。
参照
人から理解されない、正しく評価されない、
そんな思いに 人はとらわれがちです。
でも 本当に大切なことは、
自分が人を見極める目を持っているかどうかということです。
正しく公平に 人物を見ることは、
とても 難しいことです。
孔子ほどの人でも
大きな人生の課題だったのかもしれませんね。
曽子は、48歳も若い 優秀な弟子だったそうです。
孔子の孫 子思は曽子に師事したそうです。
人に誤解されたり、理解されなかったことって ありますよね。
口惜しかったり、腹立たしかったり、情けなかったり・・・
でも、そんな時って・・・自分を中心に考えてますよね。
凡人の私は、なかなか 相手のことまでは考えられなくて・・・。
たしかに 人を見極められる目があれば、多少のことは
納得出来たり 思いやったりするかもしれません。
人を見極める目を持つのは、なかなか 難しいですね。