博く学びて篤く志し
顔淵(ガンエン)、仁を問う。
子 日わく、
己に克(カ)ちて礼に復(カエ)るを仁と為す。
一日(イチジツ)己に克ちて礼に復れば、
天下仁に帰(キ)す。
仁を為すは己に由(ヨ)る。
而(シコウ)して人に由(ヨ)らんや。
(中略)
顔淵日わく、回、不敏なりと雖(イエド)も、
講(コ)う、斯(コ)の語を事(コト)とせん。
現代語訳
顔淵が仁について お尋ねした。
先生は 答えられた。
「私利私欲に打ち勝って、礼に立ち戻ることが仁である。
わずか一日でも己に克って 礼に帰れば、
人々も自ずから 仁になる。
仁を行うのは自らの意志によるべきで、
他人の助けを求めてはいけない。」
(中略)
顔淵は 言った。
「自分は至らぬ者ではありますが、
教えてくださったお言葉を一生かけて実行してまいります」
子夏(シカ) 日わく
博(ヒロ)く学びて 篤く志し、
切に問いて 近く思う。
仁 其の中(ウチ)に在(ア)り。
現代語訳
子夏が 言った。
広く学習して、熱心に取り組み、心をこめて問いかけて、
それを身近なこことして考えるならば、
仁の徳は、求めなくても、自然にそこに存在し、
獲得できることになる。
参照
子夏のこの言葉には、孔子の考えが集約されているように思います。
博学、篤志、切問、近思。
いくつになっても忘れたくない学ぶ姿勢ですね。
真剣に学んでいると、仁も育まれていく。
とても素敵なことですね。
顔淵(顔回)は、⑫ ⑲ にも 出現しています。
孔子より 30歳下です。
徳行に秀でていて、孔子の後継者と目されてたそうです。
地位や名誉を求めず、質素に暮らして
ひたすら 孔子の教えを理解しようとしていました。
同門の秀才 子貢は,顔回を
「私は一を聞いて二を知る者 顔回は一を聞いて十を知る者」
と、称賛していました。
顔回は、残念ながら 41歳で早くに亡くなったそうです。
子夏のことは、論語 ⑯⑳の時にも 出ていました。
文学に秀でてて 他の弟子が理解できなかった時は、
解説してあげてたそうです。
真面目で消極的な性格から、
{過ぎたるは猶及ばざるがごとし}のモデルです。