子どもがいじめに遭っているお母さんの話を聞く機会がありました。
その方のお話を聞いていて、誰かを加害者にさせないためにも、まずは、自分の子どもを被害者にさせてはいけないな、と感じました。
お話を聞いたケースは、 確信犯的な悪意によるいじめというよりも、悪ふざけから始まった印象でした。
でも、悪ふざけも、ストッパーが効かないとエスカレートすることがあるという事です。
それでは、ストッパーになるのは何か。
大人の目
やる側の自制と分別、つまり成熟さ
この二つがない場合、(多くのいじめは、この二つが機能しない場合にエスカレートしたもの)、
ストッパーになる唯一のものは、
やられる側の、本気の、
やめろー!
そんなことするなー!
しかありません。
悪ふざけと、やられたくないことの間にある自分なりの境界線をしっかり自覚し、宣言する強さです。
子どもの心にその強さを育てるには、 親がまず自分の嫌なこと、やられたくないこと、をわかっている必要があります。それを宣言できるかどうか、ということも含めて。
例えば、自分の子どもが、いじめられているかもしれない事実を目の当たりにした時、行動を起こせるかどうか。
先生にモンペアって言われたくない
ママ友との関係を壊したくない
言ったところで解決できないかもしれない
これくらいのことは子どもの時にはよくあることに違いない
事実がどうか定かでかないのに騒いで恥をかきたくない
なんらかの建設的な考えがあって、あえて行動しない、という選択をする場合は、それでいいのだと思います。
でも、そうではないのに行動できない場合、この思考にブレーキをかけられているかもしれません。
この種の思考は、誰にも少なからずありますが、この思考を聞きすぎていないか、という点が重要です。
その影で、体の中で小さくなった私が泣いていないか。嫌なことをされて嫌だと思っている私が。嫌なことをやめて、と本当は言いたい私が。
私の本当の声を、聞いてみる努力が大切なんです。
私の子に、やめてよ
私の子に、そんなことするな
私や私の子を粗末に扱うな
そんな風に言ってませんかね、私の声。
それに応えたくなりませんか。
それを、もっと外に出したくありませんか。
もちろん、そのまま言った時には、
モンペア扱いかも知れません
ママ友との関係にヒビが入るかもしれません
誰かが即解決に動いてくれるわけではないかもしれません
でも、
ほらね、言わない方が良かったわ、じゃないんですよ。
表現を変えたり、オブラートに包んだり、アサーティブな態度であったり、時と場合によってはこのままダイレクトでも、ちゃんと表現する必要があります。
だって、
これはね、この宣言は、
まずは、
自分に対して言うんですよ。
お母さんなら、自分と自分の子どもに対して言うんですよ。
この言葉を一番近くで聞いているのは、自分なんですもの。わが子なんですもの。
やめて欲しい事をやめて、という。
嫌な事を、嫌という。
いじめられるのは嫌、やめてっていう。
私が、私に宣言しているってことが、大事なんです。泣いていた私を私が救うことに意味があります。
この声を自分が拾わなかったら、誰がこの声を拾うんだろう、
ってことですね。
他者は、二の次です。
自分の中で響き渡った声は、パワーを生み、行動を促し、必ず聞きとってくれる人を呼び込みます。もちろん、響かない他者を相手にする必要はありません。
モンペアと言われるリスク、嫌われるリスクを避けるために、自分の声を蔑ろにしないこと。
最悪、モンペアと言われても、嫌われても、うるさい人と言われても、自分を無視するよりは、ずっといい。
親がそうしたスタンスでいる時、子どもも、きっと自分の本当の声を聞き、表現できるようになります。
相手にとってはただの悪ふざけも、自分にとって違うなら、そう口にすることができます。
嫌なことをする人と関わらないようになります。自分を大切にするとは、どんなことなのか、自分を大切にしてくれる友人とは、どんな人なのかを学びます。
そして、これが、いじめの最大のストッパーになるのだと思うのです。
🔸🔸🔸
ちなみに、これは、以前の私や冒頭のお母さんを含めて、声をあげるのが苦手な方、行動のブレーキが強い方、自分よりも他者の事情を慮る方に向けて書いています。
すでに声の大きい方、即行動主義の方、モンペア扱いされてる方は、そのままで大丈夫ですので。(笑)
その方のお話を聞いていて、誰かを加害者にさせないためにも、まずは、自分の子どもを被害者にさせてはいけないな、と感じました。
お話を聞いたケースは、 確信犯的な悪意によるいじめというよりも、悪ふざけから始まった印象でした。
でも、悪ふざけも、ストッパーが効かないとエスカレートすることがあるという事です。
それでは、ストッパーになるのは何か。
大人の目
やる側の自制と分別、つまり成熟さ
この二つがない場合、(多くのいじめは、この二つが機能しない場合にエスカレートしたもの)、
ストッパーになる唯一のものは、
やられる側の、本気の、
やめろー!
そんなことするなー!
しかありません。
悪ふざけと、やられたくないことの間にある自分なりの境界線をしっかり自覚し、宣言する強さです。
子どもの心にその強さを育てるには、 親がまず自分の嫌なこと、やられたくないこと、をわかっている必要があります。それを宣言できるかどうか、ということも含めて。
例えば、自分の子どもが、いじめられているかもしれない事実を目の当たりにした時、行動を起こせるかどうか。
先生にモンペアって言われたくない
ママ友との関係を壊したくない
言ったところで解決できないかもしれない
これくらいのことは子どもの時にはよくあることに違いない
事実がどうか定かでかないのに騒いで恥をかきたくない
なんらかの建設的な考えがあって、あえて行動しない、という選択をする場合は、それでいいのだと思います。
でも、そうではないのに行動できない場合、この思考にブレーキをかけられているかもしれません。
この種の思考は、誰にも少なからずありますが、この思考を聞きすぎていないか、という点が重要です。
その影で、体の中で小さくなった私が泣いていないか。嫌なことをされて嫌だと思っている私が。嫌なことをやめて、と本当は言いたい私が。
私の本当の声を、聞いてみる努力が大切なんです。
私の子に、やめてよ
私の子に、そんなことするな
私や私の子を粗末に扱うな
そんな風に言ってませんかね、私の声。
それに応えたくなりませんか。
それを、もっと外に出したくありませんか。
もちろん、そのまま言った時には、
モンペア扱いかも知れません
ママ友との関係にヒビが入るかもしれません
誰かが即解決に動いてくれるわけではないかもしれません
でも、
ほらね、言わない方が良かったわ、じゃないんですよ。
表現を変えたり、オブラートに包んだり、アサーティブな態度であったり、時と場合によってはこのままダイレクトでも、ちゃんと表現する必要があります。
だって、
これはね、この宣言は、
まずは、
自分に対して言うんですよ。
お母さんなら、自分と自分の子どもに対して言うんですよ。
この言葉を一番近くで聞いているのは、自分なんですもの。わが子なんですもの。
やめて欲しい事をやめて、という。
嫌な事を、嫌という。
いじめられるのは嫌、やめてっていう。
私が、私に宣言しているってことが、大事なんです。泣いていた私を私が救うことに意味があります。
この声を自分が拾わなかったら、誰がこの声を拾うんだろう、
ってことですね。
他者は、二の次です。
自分の中で響き渡った声は、パワーを生み、行動を促し、必ず聞きとってくれる人を呼び込みます。もちろん、響かない他者を相手にする必要はありません。
モンペアと言われるリスク、嫌われるリスクを避けるために、自分の声を蔑ろにしないこと。
最悪、モンペアと言われても、嫌われても、うるさい人と言われても、自分を無視するよりは、ずっといい。
親がそうしたスタンスでいる時、子どもも、きっと自分の本当の声を聞き、表現できるようになります。
相手にとってはただの悪ふざけも、自分にとって違うなら、そう口にすることができます。
嫌なことをする人と関わらないようになります。自分を大切にするとは、どんなことなのか、自分を大切にしてくれる友人とは、どんな人なのかを学びます。
そして、これが、いじめの最大のストッパーになるのだと思うのです。
🔸🔸🔸
ちなみに、これは、以前の私や冒頭のお母さんを含めて、声をあげるのが苦手な方、行動のブレーキが強い方、自分よりも他者の事情を慮る方に向けて書いています。
すでに声の大きい方、即行動主義の方、モンペア扱いされてる方は、そのままで大丈夫ですので。(笑)
コメントありがとうございます。
ご自身とお子様のために行動された勇気に拍手を送りたいです。
なかなか更新しないブログですが(笑)、少しでもお役に立てたなら嬉しいです。