息子とお出かけすると、目的地までの時間は、読めません。
鳩がいると近寄って、時に追いかけては逃げられます(-。-;
花があると、撮りたがり。
こんなん見つけた、と電車の中で自慢大会。
夜、窓越しに満月を見つけると、まるで世紀の大発見をしたみたいに「来て来て!」と言って私の手を引っ張ります。
石ころとか葉っぱとかお月様とか、そこに魅了されるというのが、もう私にはよくわからない世界です。
私の頭の中には、息子のこと、夫のこと、幼稚園のこと、仕事のことなんかが絶えず占領しがちで、心はそれをひたすら受け止めている。
目の前のことなんて、正直どうでもいい、なんて感じの時が少なくありません。
息子は、私に怒られても、幼稚園で友だちと喧嘩しても、つまりどんなにイヤなことがあっても、目の前に自分を魅了する現象に遭遇すると、意識がまっすぐそちらに向かう。
切り替えの天才。
そして、今を生きる天才。
子どもは、小さければ小さいほどこの才能をもっています。
日々その様を目の当たりにすると、この才能の邪魔をしたくないなあ、この才能をできるだけ消さないで大人になってもらいたいなあとつくづく思います。
養老孟司さんは、『バカの壁』の中などでも、よく言います。
人間には、花鳥風月が大切なんだと。
いじめられて自殺した子どもの遺族の手記を読んで、そこにはまるで花鳥風月が出てこない。
雨が降っていたとか、季節とかの描写がなくて、誰に何を言われたか、そんな、ひたすら人間関係で起きたことの描写しかない。
人間関係の世界が全てになったら、それがうまいかなくなった時に、追い詰められて当然かもしれない。逃げ場がないのだから。
確か、そんな内容でした。養老氏は、虫捕りがお好きなので、そちらの世界に触れることで人としての調和をとっておられます。
子どもの頃に持っていた才能を、そのまま失わなかった方なんですね。
私は、心のことに興味が向かいすぎる傾向があります。
自分の文章を自分で読んでも、あまりに人間のことばかり、心のことばかりすぎて息が詰まることも(^^;;
花鳥風月、余白、あそび、が決定的に欠けているのを自覚します。
だから、大人になっても花鳥風月を大切にできる人にとても憧れます。
散歩中に見かけた風景や情景
旬の野菜や果物
自分で育てる植物や花
じっくりと時間をかけて淹れるコーヒーの味
たとえば、そんなささいな自然を五感で味わい愛でるだけでも、違うのかもしれません。日々の生活にも、心にもホワイトスペースは生まれるのかもしれない。
ごくごく身近に、息子という師匠がいるのですから、私もおそらくはかつてもっていた、花鳥風月に馴染んだ感覚を呼び戻したい、そんな風に思うのです。
鳩がいると近寄って、時に追いかけては逃げられます(-。-;


夜、窓越しに満月を見つけると、まるで世紀の大発見をしたみたいに「来て来て!」と言って私の手を引っ張ります。
石ころとか葉っぱとかお月様とか、そこに魅了されるというのが、もう私にはよくわからない世界です。
私の頭の中には、息子のこと、夫のこと、幼稚園のこと、仕事のことなんかが絶えず占領しがちで、心はそれをひたすら受け止めている。
目の前のことなんて、正直どうでもいい、なんて感じの時が少なくありません。
息子は、私に怒られても、幼稚園で友だちと喧嘩しても、つまりどんなにイヤなことがあっても、目の前に自分を魅了する現象に遭遇すると、意識がまっすぐそちらに向かう。
切り替えの天才。
そして、今を生きる天才。
子どもは、小さければ小さいほどこの才能をもっています。
日々その様を目の当たりにすると、この才能の邪魔をしたくないなあ、この才能をできるだけ消さないで大人になってもらいたいなあとつくづく思います。
養老孟司さんは、『バカの壁』の中などでも、よく言います。
人間には、花鳥風月が大切なんだと。
いじめられて自殺した子どもの遺族の手記を読んで、そこにはまるで花鳥風月が出てこない。
雨が降っていたとか、季節とかの描写がなくて、誰に何を言われたか、そんな、ひたすら人間関係で起きたことの描写しかない。
人間関係の世界が全てになったら、それがうまいかなくなった時に、追い詰められて当然かもしれない。逃げ場がないのだから。
確か、そんな内容でした。養老氏は、虫捕りがお好きなので、そちらの世界に触れることで人としての調和をとっておられます。
子どもの頃に持っていた才能を、そのまま失わなかった方なんですね。
私は、心のことに興味が向かいすぎる傾向があります。
自分の文章を自分で読んでも、あまりに人間のことばかり、心のことばかりすぎて息が詰まることも(^^;;
花鳥風月、余白、あそび、が決定的に欠けているのを自覚します。
だから、大人になっても花鳥風月を大切にできる人にとても憧れます。
散歩中に見かけた風景や情景
旬の野菜や果物
自分で育てる植物や花
じっくりと時間をかけて淹れるコーヒーの味
たとえば、そんなささいな自然を五感で味わい愛でるだけでも、違うのかもしれません。日々の生活にも、心にもホワイトスペースは生まれるのかもしれない。
ごくごく身近に、息子という師匠がいるのですから、私もおそらくはかつてもっていた、花鳥風月に馴染んだ感覚を呼び戻したい、そんな風に思うのです。
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