今日は12月25日。乃木大将、お誕生日おめでとうございます。
え? 聖☆おにいさんのロン毛の方? 知らんなあ。
まあ一般的にはクリスマスな訳ですが、そんなイエスさんの誕生日にかこつけて産経新聞の一面コラム「産経抄」がみょうちくりんな事を書いています。
昨日の1面で曽野綾子さんが書いていたように、12月25日のキリストの誕生日には異論が多い。聖書によれば、近くで野宿していた羊飼いたちが真っ先に天使からその知らせを聞いたという。だが12月のベツレヘム辺りは寒くて野宿などできない、というのも一例だ。
▼曽野さんに言わせればそんなことはどうでもいい。生誕の背景に思いを寄せることの方がずっと大切なのだ。実際、世界中のキリスト教徒たちはその誕生日が正確にいつなのかにかかわりなく、2千年間、キリストへの信仰を守ってきたのである。
▼そのことで思い出したのが日本の天皇陵の治定(じじょう)の問題だ。奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳の発掘調査で、37代斉明天皇のお墓であることが確実になった。宮内庁が定める斉明天皇陵は別の場所にあり、調査結果に従い変更すべきだとの声が強まっている。
▼しかし古代の天皇陵に疑問が残る例はいくらでもある。例えば奈良時代の47代淳仁天皇陵は淡路島にある大きな古墳状の小山がそれとされる。先代天皇や天皇の座を狙ったという僧・道鏡との確執からこの島に流され、自死もしくは暗殺されたといわれる天皇だ。
▼奈良期に大きな古墳が造られることはほとんどないから、この治定は間違いと指摘する学者は多い。島にはほかにも、本当のお墓ではないかという場所があるという。だがそのこととは関係なく、地元の人々のこの「悲運の天皇」への崇敬の念は厚い。
▼冬になると「天皇さま寒かろう」と、埋葬地とされる神社に菰(こも)をささげる風習もあるそうだ。歴史を科学的に解明することは大切である。しかしそればかり強調して、素朴な信仰心や敬慕の念まで失わせては、元も子もなくなる。
…という感じで、どうも強引に天皇陵治定の問題に絡ませたような感じに。
大体、明らかに違うものを強引に「こっちが天皇陵なんだ!」といい続けるのはどう考えてもおかしいでしょう。「陵」に埋葬されてる人にも斉明天皇にも失礼な話ですよ。
それから後半の方で淳仁天皇陵と地元の人々との心温まる話を描いてますけど、この話、実は重大な落とし穴があるんですよ。
一度でも天皇陵へ参陵したことのある人なら分かると思うんですけど、天皇陵に治定されてる場所って周りに柵が廻らしてあって中に入れないんですよ。
じゃあどうやって「天皇さま寒かろう」と菰を捧げるのか?
答えは単純。地元の人々が菰を捧げているのは、宮内庁による治定とは別の場所だからです。
淡路島には、淳仁天皇をお祀りした「大炊神社」という神社があります。そしてこの神社の拝殿に隣接した「天皇塚」こそが、この文中に出てくる「埋葬地とされる神社」。治定された天皇陵でもなければ陵墓参考地に指定されているわけでもない、言ってしまえばただの塚です。
この場所に対する「崇敬の念」は、純粋に地元の伝承によっている訳です。それは多分単に天皇陵の治定が変わったからといって変わるような類のものではないと思います。
毎回同じようなことを言ってますが、伝統を守るのと単なる守旧は別です。
産経新聞はもっとほかにやるべき事がたくさんあるでしょう。そっちをがんばってくださいよ。
え? 聖☆おにいさんのロン毛の方? 知らんなあ。
まあ一般的にはクリスマスな訳ですが、そんなイエスさんの誕生日にかこつけて産経新聞の一面コラム「産経抄」がみょうちくりんな事を書いています。
昨日の1面で曽野綾子さんが書いていたように、12月25日のキリストの誕生日には異論が多い。聖書によれば、近くで野宿していた羊飼いたちが真っ先に天使からその知らせを聞いたという。だが12月のベツレヘム辺りは寒くて野宿などできない、というのも一例だ。
▼曽野さんに言わせればそんなことはどうでもいい。生誕の背景に思いを寄せることの方がずっと大切なのだ。実際、世界中のキリスト教徒たちはその誕生日が正確にいつなのかにかかわりなく、2千年間、キリストへの信仰を守ってきたのである。
▼そのことで思い出したのが日本の天皇陵の治定(じじょう)の問題だ。奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳の発掘調査で、37代斉明天皇のお墓であることが確実になった。宮内庁が定める斉明天皇陵は別の場所にあり、調査結果に従い変更すべきだとの声が強まっている。
▼しかし古代の天皇陵に疑問が残る例はいくらでもある。例えば奈良時代の47代淳仁天皇陵は淡路島にある大きな古墳状の小山がそれとされる。先代天皇や天皇の座を狙ったという僧・道鏡との確執からこの島に流され、自死もしくは暗殺されたといわれる天皇だ。
▼奈良期に大きな古墳が造られることはほとんどないから、この治定は間違いと指摘する学者は多い。島にはほかにも、本当のお墓ではないかという場所があるという。だがそのこととは関係なく、地元の人々のこの「悲運の天皇」への崇敬の念は厚い。
▼冬になると「天皇さま寒かろう」と、埋葬地とされる神社に菰(こも)をささげる風習もあるそうだ。歴史を科学的に解明することは大切である。しかしそればかり強調して、素朴な信仰心や敬慕の念まで失わせては、元も子もなくなる。
…という感じで、どうも強引に天皇陵治定の問題に絡ませたような感じに。
大体、明らかに違うものを強引に「こっちが天皇陵なんだ!」といい続けるのはどう考えてもおかしいでしょう。「陵」に埋葬されてる人にも斉明天皇にも失礼な話ですよ。
それから後半の方で淳仁天皇陵と地元の人々との心温まる話を描いてますけど、この話、実は重大な落とし穴があるんですよ。
一度でも天皇陵へ参陵したことのある人なら分かると思うんですけど、天皇陵に治定されてる場所って周りに柵が廻らしてあって中に入れないんですよ。
じゃあどうやって「天皇さま寒かろう」と菰を捧げるのか?
答えは単純。地元の人々が菰を捧げているのは、宮内庁による治定とは別の場所だからです。
淡路島には、淳仁天皇をお祀りした「大炊神社」という神社があります。そしてこの神社の拝殿に隣接した「天皇塚」こそが、この文中に出てくる「埋葬地とされる神社」。治定された天皇陵でもなければ陵墓参考地に指定されているわけでもない、言ってしまえばただの塚です。
この場所に対する「崇敬の念」は、純粋に地元の伝承によっている訳です。それは多分単に天皇陵の治定が変わったからといって変わるような類のものではないと思います。
毎回同じようなことを言ってますが、伝統を守るのと単なる守旧は別です。
産経新聞はもっとほかにやるべき事がたくさんあるでしょう。そっちをがんばってくださいよ。
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