3月に上演されました音楽劇・千本桜について、今更ながらに感想を書きたいと思います。
ええ、なんかどうも他の人の感想を見てもしっくりくるものが無かったので。
わたしはボカロAKB論争はどうでもいいと思ってた人間ですし、出演してる役者さんのファンとかそういうのでもないので、ほぼ純粋にストーリー面と演出其の他についての感想になるかと思います。
まず時代背景ですね。大正99年でしたっけ?
その割にはどうも状況設定が…明らかに昭和初期ですよね、これ。
鬼龍院中佐の提唱する大正維新の思想は史実上で皇道派の提唱した昭和維新思想に酷似してますし、劇中で起こる叛乱部隊の蹶起は明らかに二・ニ六事件がモチーフでしょう。
なんか地方では農業恐慌っぽい状況も現出しているようですし、下手に年代を近年に設定するよりそれこそ大正20年とか30年くらい(=昭和初期と同年代)に設定した方が良かったんじゃないかな、とは思いました。
で、ストーリー面での感想。
音楽劇千本桜のストーリー軸をざっと書くとこんなところでしょうか。
・80年ほど前、枯れた千本桜を再び咲かせるための実験がドクターにより行われる。ドクターの妻小春を千本桜に取り込ませることにより千本桜は再び咲くが、そこから小春を救う研究に着手しようとした直後、千本桜は軍の管理下に移され、ドクターは連れ去られる。
・時は流れて80年
・﨧音海斗准佐(主人公)、鬼龍院曾良中佐に大正維新蹶起への参加を求められるも拒絶。
←「血塗られた平和は真の平和ではない」
・鬼龍院中佐、海斗の排除を決意。海斗の部下である陸にその使命を託す。
・陸、海斗の暗殺に失敗。逃亡の過程でドクターに薬を打たれ、影憑きと化す。
・影憑きとなった陸、海斗らを襲う。副隊長の鳴子を倒された海斗は陸を倒す。
・海斗、陸を殺したことについて悩む。
・鬼龍院中佐はかつて自らに国家変革の意志を語った皇族・蛤乃宮の元に出向き血判状を渡そうとするが、「それは酒席上の事。なんだこんなもの」と愚弄され、激昂して蛤乃宮を殺害。即時蹶起を決意する。
蛇足ですが、ここで「皇族殺し」が出てくるのは結構衝撃的でした。あまり話題にしてる人はいませんでしたけど。
・刺されて臥せっていた鳴子の夢の話を海斗が聞く。「千本桜の下で貴方と私が酒を酌み交わす。気が付くと周りにはたくさんの人がいて、千本桜からはたくさんの花びらが舞い降りて、大勢の人が笑ったり歌ったり踊ったり…」。自分たちはこの平和を守るために力を持ったのだと話す。そこに鬼龍院中佐のクーデターの一報が。「夢を! 私の夢を正夢にしてください!」という鳴子の言葉に、海斗は「ああ!」と答える。
・鬼龍院中佐率いる蹶起部隊が千本桜付近を占拠。そこに海斗が現われ鬼龍院中佐と闘い、その蹶起を挫折させる。海斗は鬼龍院中佐に生きて罪を償ってほしいと言うが、鬼龍院中佐は生きて恥をさらすことは出来ないと自決する。
・鬼龍院中佐の自決により精神的ショックを受けた海斗は、ドクターの注射した薬により影憑きと化す。ドクターは影憑きと化した海斗に千本桜を切り倒させようとする。蹶起部隊兵士らは海斗を倒そうとするが、敵わない。
・しかし、鈴に小春が憑依し、海斗を止める。ドクターは80年前の姿となり、小春と共に旅立っていく。
・千本桜は枯れてしまうが、鳴子が千本桜の苗木を持って現れる。この苗木はドクターが千本桜を斬り倒した後の代替品として育てていたものである。
・大団円。
この劇の感想はただ一つ、「海斗くん駄目すぎる」という点に尽きます。
だってそうでしょう。鬼龍院中佐はその是非はともかくあくまで国家全体の為を思って行動したという事が出来ますし、海斗を排除しようとしたのも計画が外部に漏れることを防ごうとした結果であるといえます。海斗を最初に引き込もうとしたのは中佐の思想への共鳴を表明し、また育ての親・子のような関係であった海斗は賛同するだろうという考えからでしょう。しかし海斗はそうしなかった。その根拠となるのは「血塗られた平和は真の平和ではない」という「正論」です。
で、影憑きとなった陸を斬ってうじうじと悩む海斗。もう軍人として駄目ですね、これ。
しかしここでうじうじ悩む海斗くんの姿以上に重要なのは、ここで陸の存在意義が変質しているという事です。
東北、陸奥の出身である陸の存在は、この作品の中で地方の存在を感じさせる貴重な存在です。彼は劇の冒頭、「帝都と地方は全然違う」と未來に話します。長年続く冷害や旱魃による農業恐慌、農業を捨てて出稼ぎに出て来ても街は失業者にあふれており仕事にはありつけない。その状況に対して政府は何ら有効な対策を講じ得ていない…という現状が彼によって語られる訳です。ここから鬼龍院中佐の思想の必然性、大正維新の前提が出てくる。
しかしながら海斗くんがここでうじうじ悩んだことにより、彼の存在は結局「影憑になって海斗に斬られた」という終着点に収斂してしまう訳です。
そして極めつけは鳴子の夢が海斗を納得させてしまった点。
そもそも劇の冒頭で「帝都と地方は全然違う」と語られ、地方の窮状を救うための思想として大正維新思想が出て来ているのに、この夢の話によって海斗くんの頭の中から地方の話は完全に消えてしまいます。ここで理想とされているのはあくまでも地方を捨象した「帝都の平和」であり、「自らの周囲の平和」でしかありません。結局、海斗くんはこの「帝都の平和」を守る為、地方を救う為に敢えて「帝都の平和」を犠牲にしようとした鬼龍院中佐の意志を砕くのです。
しかもその後、鬼龍院中佐に「生きて罪を償ってください」「それでも生きていてほしいのです」と語る海斗くん。もう駄目ですこれ。
実際に劇を見ていただければわかると思いますが、この場面では完全に鬼龍院中佐の方が正論を語ってるでしょう。
結局、鬼龍院中佐は生き恥を晒すことは出来ないと自ら命を絶ちます。鬼龍院中佐こそ、この劇の本当の主人公であり、悲劇のヒーローであると言えるでしょう。
え? ドクター? なんのことかなあ。
最終的にドクターは救われ、海斗は「帝都の平和」を守れた。大団円のように見えますが、それは欺瞞に過ぎません。
地方の窮状は全く救われていません。蛤乃宮に象徴されるような、腐敗した政治も全く変わっていません。
結果として、海斗は「自らの周囲の平和」という非常に私的な願望によって、「国家の救済」という鬼龍院中佐の公的悲願を砕いたのです。
これを悲劇と言わずなんというのか。
少々とりとめのない内容となりましたが、今回はこんなところで。
劇中に登場する部隊の制服や、演出面などの考察についてはまた次の機会に論じることと致しましょう。
ええ、なんかどうも他の人の感想を見てもしっくりくるものが無かったので。
わたしはボカロAKB論争はどうでもいいと思ってた人間ですし、出演してる役者さんのファンとかそういうのでもないので、ほぼ純粋にストーリー面と演出其の他についての感想になるかと思います。
まず時代背景ですね。大正99年でしたっけ?
その割にはどうも状況設定が…明らかに昭和初期ですよね、これ。
鬼龍院中佐の提唱する大正維新の思想は史実上で皇道派の提唱した昭和維新思想に酷似してますし、劇中で起こる叛乱部隊の蹶起は明らかに二・ニ六事件がモチーフでしょう。
なんか地方では農業恐慌っぽい状況も現出しているようですし、下手に年代を近年に設定するよりそれこそ大正20年とか30年くらい(=昭和初期と同年代)に設定した方が良かったんじゃないかな、とは思いました。
で、ストーリー面での感想。
音楽劇千本桜のストーリー軸をざっと書くとこんなところでしょうか。
・80年ほど前、枯れた千本桜を再び咲かせるための実験がドクターにより行われる。ドクターの妻小春を千本桜に取り込ませることにより千本桜は再び咲くが、そこから小春を救う研究に着手しようとした直後、千本桜は軍の管理下に移され、ドクターは連れ去られる。
・時は流れて80年
・﨧音海斗准佐(主人公)、鬼龍院曾良中佐に大正維新蹶起への参加を求められるも拒絶。
←「血塗られた平和は真の平和ではない」
・鬼龍院中佐、海斗の排除を決意。海斗の部下である陸にその使命を託す。
・陸、海斗の暗殺に失敗。逃亡の過程でドクターに薬を打たれ、影憑きと化す。
・影憑きとなった陸、海斗らを襲う。副隊長の鳴子を倒された海斗は陸を倒す。
・海斗、陸を殺したことについて悩む。
・鬼龍院中佐はかつて自らに国家変革の意志を語った皇族・蛤乃宮の元に出向き血判状を渡そうとするが、「それは酒席上の事。なんだこんなもの」と愚弄され、激昂して蛤乃宮を殺害。即時蹶起を決意する。
蛇足ですが、ここで「皇族殺し」が出てくるのは結構衝撃的でした。あまり話題にしてる人はいませんでしたけど。
・刺されて臥せっていた鳴子の夢の話を海斗が聞く。「千本桜の下で貴方と私が酒を酌み交わす。気が付くと周りにはたくさんの人がいて、千本桜からはたくさんの花びらが舞い降りて、大勢の人が笑ったり歌ったり踊ったり…」。自分たちはこの平和を守るために力を持ったのだと話す。そこに鬼龍院中佐のクーデターの一報が。「夢を! 私の夢を正夢にしてください!」という鳴子の言葉に、海斗は「ああ!」と答える。
・鬼龍院中佐率いる蹶起部隊が千本桜付近を占拠。そこに海斗が現われ鬼龍院中佐と闘い、その蹶起を挫折させる。海斗は鬼龍院中佐に生きて罪を償ってほしいと言うが、鬼龍院中佐は生きて恥をさらすことは出来ないと自決する。
・鬼龍院中佐の自決により精神的ショックを受けた海斗は、ドクターの注射した薬により影憑きと化す。ドクターは影憑きと化した海斗に千本桜を切り倒させようとする。蹶起部隊兵士らは海斗を倒そうとするが、敵わない。
・しかし、鈴に小春が憑依し、海斗を止める。ドクターは80年前の姿となり、小春と共に旅立っていく。
・千本桜は枯れてしまうが、鳴子が千本桜の苗木を持って現れる。この苗木はドクターが千本桜を斬り倒した後の代替品として育てていたものである。
・大団円。
この劇の感想はただ一つ、「海斗くん駄目すぎる」という点に尽きます。
だってそうでしょう。鬼龍院中佐はその是非はともかくあくまで国家全体の為を思って行動したという事が出来ますし、海斗を排除しようとしたのも計画が外部に漏れることを防ごうとした結果であるといえます。海斗を最初に引き込もうとしたのは中佐の思想への共鳴を表明し、また育ての親・子のような関係であった海斗は賛同するだろうという考えからでしょう。しかし海斗はそうしなかった。その根拠となるのは「血塗られた平和は真の平和ではない」という「正論」です。
で、影憑きとなった陸を斬ってうじうじと悩む海斗。もう軍人として駄目ですね、これ。
しかしここでうじうじ悩む海斗くんの姿以上に重要なのは、ここで陸の存在意義が変質しているという事です。
東北、陸奥の出身である陸の存在は、この作品の中で地方の存在を感じさせる貴重な存在です。彼は劇の冒頭、「帝都と地方は全然違う」と未來に話します。長年続く冷害や旱魃による農業恐慌、農業を捨てて出稼ぎに出て来ても街は失業者にあふれており仕事にはありつけない。その状況に対して政府は何ら有効な対策を講じ得ていない…という現状が彼によって語られる訳です。ここから鬼龍院中佐の思想の必然性、大正維新の前提が出てくる。
しかしながら海斗くんがここでうじうじ悩んだことにより、彼の存在は結局「影憑になって海斗に斬られた」という終着点に収斂してしまう訳です。
そして極めつけは鳴子の夢が海斗を納得させてしまった点。
そもそも劇の冒頭で「帝都と地方は全然違う」と語られ、地方の窮状を救うための思想として大正維新思想が出て来ているのに、この夢の話によって海斗くんの頭の中から地方の話は完全に消えてしまいます。ここで理想とされているのはあくまでも地方を捨象した「帝都の平和」であり、「自らの周囲の平和」でしかありません。結局、海斗くんはこの「帝都の平和」を守る為、地方を救う為に敢えて「帝都の平和」を犠牲にしようとした鬼龍院中佐の意志を砕くのです。
しかもその後、鬼龍院中佐に「生きて罪を償ってください」「それでも生きていてほしいのです」と語る海斗くん。もう駄目ですこれ。
実際に劇を見ていただければわかると思いますが、この場面では完全に鬼龍院中佐の方が正論を語ってるでしょう。
結局、鬼龍院中佐は生き恥を晒すことは出来ないと自ら命を絶ちます。鬼龍院中佐こそ、この劇の本当の主人公であり、悲劇のヒーローであると言えるでしょう。
え? ドクター? なんのことかなあ。
最終的にドクターは救われ、海斗は「帝都の平和」を守れた。大団円のように見えますが、それは欺瞞に過ぎません。
地方の窮状は全く救われていません。蛤乃宮に象徴されるような、腐敗した政治も全く変わっていません。
結果として、海斗は「自らの周囲の平和」という非常に私的な願望によって、「国家の救済」という鬼龍院中佐の公的悲願を砕いたのです。
これを悲劇と言わずなんというのか。
少々とりとめのない内容となりましたが、今回はこんなところで。
劇中に登場する部隊の制服や、演出面などの考察についてはまた次の機会に論じることと致しましょう。
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