鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

埋もれた軍歌・その12 五来欣造教授作詞の歌

2012-12-17 21:29:01 | 軍歌
今回ご紹介するのは、「早稲田大学新聞」昭和13年1月1日付のコラムに掲載された歌です。
早稲田大学新聞は大正11年創刊の由緒ある学生新聞ですが、現在は革マル派に乗っ取られて…ま、そんなことは宜しい。
短いコラムなので歌詞を含めて全文ご紹介することにします。


(一)インド鉄鎖にうめき
 支那搾取に悩む
 聞けや人の子が
 天地に喚く声

(二)西に伊太利怒り
 東に日本立つ
 おのれ吸血鬼
 打倒さでをくべきか

(三)誇る紳士の仮面
 はぎとりや偽善国
 抜けやこの剣
 かざせや破邪の剣

(四)見かけ倒しの民よ
 そろばん玉の国
 鉄のこのこぶし
 振へば一すくみ

(五)西に月蔭消えて
 東に日は昇る
 植ゑよ桜花
 世界のすみずみに

「兎に角英国の行動は怪しからん 僕はネ、あの…四百四州…の節に合はせて五万の学生に歌はせるために」と五来教授が頃日御披露に及んだのがこれ
 早速外務省に持参に及ぶと「飛んでもない」との一言、それではといふのでポリドールへ持ち込み東海林太郎にでも歌はせようと意気ごんでゐるが
この一詩果たしてレコード会社の陥落に成功したかどうか



文中に「五来教授」として登場するのがこの歌の作詞者である五来欣造教授。大正7年から昭和19年に亡くなるまで早稲田大学で政治学教授を務めた人物です。また文学者と言う一面も持っており、五来素川や斬馬剣禅といったペンネームで本を出しているほか、昭和11年に作詞した『黒羽小唄』は作曲大村能章、歌手美ち奴、振り付け石坂呉峯でテイチクレコードから実際に発売されました。作詞家としては一応実績がある訳です。一方でこの先生、昭和13年にはヒットラー総統の『我が闘争』を完成させたり、翌昭和14年に勝野金政と共同で『滅共読本』を著わしたり…と、かなりオモシロイ人物でもあります。特に昭和13年11月23日付「早稲田大学新聞」の記事「ヒツトラー『我が闘争』の翻譯 五来教授感激の労作」では

「この書は単に政治、経済、外交の方針を打ちたてたばかりでなく、民族理論を究めドイツ民族の理念を喝破したもので独逸では各戸に一冊づつ必ず備へられてをり英米でも三万部から出版されてゐます、この書は理論的な精密さとか何とかといふ前にまづ燃ゆるが如きヒ総統の情熱がそのまゝ行間にあふれてゐて僕はこれを読んでひどく感激し是非とも自分の手で訳したいと思ひ立つたものでした」

という非常にアツい言葉を寄せています。五来教授が情熱を注いだ『我が闘争』の翻譯は現在どこで見ることができるんでしょうか。私、気になります!

それはさておき、この歌の話ですね。
ぶっちゃけ、あまりいい詞には見えません。内容も過激だし、そりゃ外務省も「飛んでもない」と言うはずです。
ポリドールからレコードが出された様子もありませんし、多分そのままお蔵入りになってしまったんじゃないでしょうか。
ただし「元寇」のメロディーに合わせて歌うことが想定されていることはこのコラムから読み取れるので、これは立派な歌です。
元々の文章にはルビは振ってありませんが、メロディに合わせることを考えれば「打倒さで」は「たおさで」、「桜花」は「さくらばな」と読むべきでしょう。

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