流れ星への願いが効いたのか、昨日の母は体調は同じようであっても気持ちが違って見えました。
外に散歩に出て、2人して木陰で足だけ日向にあて、私は読書を。
なんて穏やかな気持ちの良い時間だったでしょう。。
その時、近くをリハビリで杖を使って歩く練習をしている女性が居ました。
それを見て母も、自分にも杖があればあのように歩ける。と言うんです。
びっくりです。。
歩けるの? 杖があれば歩けるの?
と何度も聞いてしまいました。
その都度、うん。うんと頷きます。
私が見ている母と実際は違っているんだろうか?
なんてことも思うほど。
それを受けて、近くにあるガーデンテーブルに手をついて数歩、伝い歩きをしてみてとお願いしました。
右足をおくることが難しそうでしたが、なんとか数歩運べました。
その日の朝のうちに、リハビリのスタッフと一緒にホールの中の手すりを使って片手は手を引いてもらって3mほどを何往復かしたらしいです。
母の部屋にある、リハビリテーションの実施計画書(10月分)を見ました。
新しいものです。
<歩行では寄りかかってしまう状態になりやすく、なかなかフリーの状態でバランスをとることは難しい。リハビリに対する意欲は高いが息切れ疲労感が出やすい>と記入されていました。
本人のリハビリに対する意欲の高さ。これは大事です。。
母の意欲が有る無しでは大きく違います。
杖を使えば歩けるようになる。そういう希望を持っていることが嬉しくなりました。
私達も外の散歩から帰り、母の昼食が終ってから、そのリハビリをしたという手すりで同じことをして見せてくれるというのでその場にいきました。
しかし、リハビリの方がいないのに怪我でもしたら・・と思い話とやってみるふりだけを見て、母に凄いね~、出来たんだね~と喜びあいました。
それをみて。
私は、母は私が思っているほど弱くはないんじゃないか・・?と思いました。
周りを見渡せば、痴呆の方ばかり。話相手にお互いがなれるほどの状態の人がいなくても、母はじっと我慢して耐えて、自分の生活の場として生きている。
あの空気の中で、精神状態を維持しているのは、母が強いからだろうと感じました。
痛い・苦しい・辛い・寂しいと私にのしかかってくるのは本当に些細なことなのかもしれない・・・・
母のそばで、私は読書をし、母は付いているテレビを見。
なんでもないことを続けて、自分の家にいるように、私が遊びにきているような、そんな普通の何もしない時間を過ごしました。
これができるんだから、できるだけ母の傍にいなくちゃと思いました。
長門さんが『亡くなるのを待っている』と言ったその言葉が身にしみてなりません・・・
長門さん。お疲れ様。
そして私はまだまだ母との時間を過ごしますょ。
流れ星のお願いが叶いましたね。。。
お母様は、本当に芯の強い方ですね。。
歩行の件でも、お母様が歩きたい、杖が有れば歩ける。。この気持ちが、とても大切だと思います。。
本人の、やる気が有れば、少しながらでも徐々にでもそれに近づいて行く事が出来ると思います。。
焦らない~~。。焦らない~~。。
私には、もう両親は居ませんから、今更何も出来ませんのよ。。
だから、baaaabaさんには、お母様がいらっしゃいますので、後悔が無いように、お母様との時間を作って下さいね。。
息抜きをしつつ、baaaabaさんの心に悔いが残らないように頑張って下さい。
私は1年半ほど前に母を急に亡くしました。
今でも、あまり親孝行出来なかったことを悔やんでいます。
はい。。母が若い頃をふと思い出します。
活発でなんでも興味があってやってみる、そういう母だったんだと。
自転車の後ろに私を乗せてはグングンスピードをあげてこぐ時は、怖かったです。
その母の性格。父の言うことはきちんときいて、好きな髪型・体系になりたいと言い。それでもやせられず。(≧m≦)
今も、「おじいさんのところにこんな体じゃいけない。」と気にしています。
正直なところ、杖だけで歩けるとは思っていないのですが、母のやる気だけは消してはいけないですものね。。
母も私も後悔のないように・・。
急に亡くなられたご家族の方達にとってみれば、こうして弱ってしまった自分の親と向かい合うのはある意味贅沢なことなのかもしれないです・・・。
亡くなってしまった方の無念さがありますもの、ね。
どんなに地位や名誉や財産があったとしても、誰も哀しみと苦悩を味わう「死」ですから、何もない私には後悔だけが残らないように、ですね。コメント、ありがとうございました。m(_ _"m)