行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

ありがとうございました。

2009年12月31日 10時29分22秒 | 日記

追記あると思いますっ!

 

さてさて。追記です。
残り時間わずかとなりました。
ただいま、お赤飯を炊いているところです。

朝、煮物を作り、別にサトイモを煮て、少しづつ仕上がっていきました。
夜に食べようと思っているもの。
洗車もして気持ち良く新年をと思っていたら、急に空模様が怪しくなり。。。
雪っ。空は真っ二つに色が割れ、雪雲からあられまじりの雪が舞いました。
せっかくの洗車した車がポツポツととーっても目立つ汚れ方をしました。
┐( ̄  ̄)┌

母のところに行きました。
ある程度のことを済ませて夕方まで居ようって。
母は、今日の午前中が透析。疲れた様子で車椅子に乗っていました。
新しい洋服だよ、明日の元日に着よう、ね。と見せました。
お正月には新しい下着と新しい洋服を買ってもらったものです。。
暫くしてもどうも元気がない、スタッフが熱を測ってみると38度。
水枕をして、ベットに横に。
3時のおやつとお茶も、寝たままで食べさせました。
時間が過ぎていきます。
肩が痛くて右手が動かないと言ってきました。
熱があるから節々が痛いのか・・この肩の痛みで熱があるのか・・。
看護師が解熱剤を持ってきて飲ませてくれました。

義父の夕飯の時間は6時。
お刺身を買ってきてくれといわれているし、お蕎麦も茹でなくちゃ・・と時間を計算。
一旦、家に帰ってそれらを済ませてからまた母のところに来ようか。
母に夕飯を食べさせなくちゃ・・という気持ちが大きくなってきてはいても、義父のお刺身・お蕎麦・・と頭の中は堂々巡り。

スタッフは、大丈夫、熱のことも変わったことがあればすぐに連絡します。と言ってくれた。
母がなんと言うか、義父のために帰るとは言えない。
長男の用事ということにして、後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。

帰ってくると、義父はもう椅子に座って待っています。
焼酎で一杯やって、年越し蕎麦を食べて、一息つきました。

三男は私の居ないうちに出かけた様子。
次男もさきほど年越し蕎麦を食べて出かけ。
長男が今帰ってきたところ。。
夕飯やお風呂がまちまちで、立ったり座ったり。。

さて。もうすぐです。嫌なことは、今年に置いていきましょ。
心新たに、です。。
もうすぐ~、新年です!


まだ明日もありますが。

2009年12月30日 20時18分30秒 | 日記

心新たに。と。

気持ちはそうなんですが、年に何度もない朝寝坊をしてしまいました~っ!
義父には、年明けてもいないのにお餅を焼いて、すびばせん・・でした。

それからは、動ける場所から綺麗にしていこうと、換気扇まわりをやっつけ。
気になっていた電子レンジをやっつけました。
もうね。乗っている台もどかして、壁も台の背中もレンジの後ろも、中も~
(≧m≦) 当たり前ですが、気持ち良い。
ターンテーブルが見える~!

なんて書くと、また主婦として~のコメントがあるかひら。。。
ヾ(;´▽`A``アセアセ

そうなんですよね。
綺麗にしてみてやっぱり感じる気持ち。
自己満足ではあるけれど、綺麗になるから1から始まるようになる。
新年は心をまっさらにして始めること。綺麗なところから始めるとなんか気持ちの良いものですものね。
だけど、家の中がピッカピカか~? というとそうではなく。
見ないこと、見えないことにしようと思う場所も多々・・。
いっそのこと、全部処分すれば、ね。。でも、そんなことは出来ないし。。

まあ。これで良しっ! ( `▽´)ゞ

で。さきほど、焼きブタというか、煮ブタというか、切れない包丁でぼろぼろですが。


明日は、煮物する~。。御節料理は、評判が良くないのであまり作らない・買わない。
生ものは明日に。夜は年越しそばを。
母にも新しいカットソーを買ったので今年最後の訪問に行きます。

今、テレビでレコード大賞をやってる。。
大晦日に、じゃなくなったのね。
昔。父は懐メロを12チャンネルで見たい。私は、レコ大を見たい。
さっき過去の受賞者が放送されていて、あれはこれは~と説明していると三男がうるさい~というので、口元ほころばせるだけでにやにや見ておりました。
リアルタイムでは、三男より子供だった私が父の懐メロとチャンネル回しあいながら見ていたのよね。
岡春夫が、田端義男が。こまどり姉妹が。なんて言いながらね。。
どうして芸能人はハゲないんだ・・? とか。ね。
そんな時も母は、テレビの前には座っていなかったのよね。
時代は、昭和から平成。
娘だった私から母親になった私。そして息子たち。
時が流れるのは早いです。。

 

今年。gooにやってきて、ご縁のできた皆さんに温かいコメントを頂きありがとうございました。
初めのうちは、猫もかぶっておりましたが、母のことや家のことでのぼやきが多いこの日記にお付き合いくださいましてありがとうございました。
写真は、gooに来る前にもアップしたものですが、ここでも今年の思い出の写真として皆さんに見ていただきたいと思
います。

クリックしていただくとその時の季節がわかります。。
(早朝・遊水地で行われたバルーンフェスティバルです。)


お墓参りと、ご挨拶、と白髪染め。。

2009年12月28日 07時46分28秒 | 日記

こちら、メロンパンのようですが・・・
クリックしていただくと、○○○になりま~す。。

 

さてさて。
27日の日曜日にも、予定がびっちりでした。
まずは、秋の彼岸に行ったきりの父の墓前に参りました。
前の晩から長男が一緒に行ってくれるというので、私はルンルン気分です。
ラパンにて、朝9時過ぎに出発~
もうこの年の瀬にお墓参りされる方も少なく、途中の道路も混んでなくスムーズに到着。1時間の楽しいドライブ。
お墓を清め、途中で買った花を散らし、香を焚き。長男2人で今年の報告とまた来る約束をして帰路へ。
帰り道には、いつもの父の妹宅へ。
隣り合うお墓を私が行けないのを了解していただき、いつも綺麗にしていてくださるお礼に。

お昼には家に戻ることができ、軽い昼食の後、近所のお爺さんが入院されたということで病院へお見舞いに。
お爺さんの名前を言い間違えて、あたふたしましたが無事にお顔を見ることができました。
息苦しそうにしていましたが、私に大きな声で「ありがとう」と言ってくださいました。

その後、買い物を少しだけして一旦家に戻り、白髪を染めようと美容院へ。。
何ヶ月も自分で買ったもので染めていては、見えないところが真っ白でした。
1ヶ月に1cmも伸びていくのですがら、もう手に負えません。
耳の上からだいたい白髪・・・・泣けちゃいます・・・
背中まで伸びた髪も少し軽くすいてもらい、段をつけて少しは軽やかに。
重々しい気持ちも払いのけ~

その後前々からの約束ごとをして、夕飯の買い物をして帰宅。
なんと7時半を過ぎてしまいました。。。
主人が日中蕎麦を打っていたので義父はそれが夕飯でした。

そして、夜。のんびりと↑の写真のアイスを食べたのでした。。

家の周辺に、「オナガ」がまたやって来ました。。
綺麗なこのような鳥です。
カメラに納める日は来るでしょうか~

マウス画です。。


26日の記録。

2009年12月27日 01時08分15秒 | 日記

今日は、班内の方の告別式。
昨日の通夜には主人がお手伝いで出席。

この町に主人の両親と同居するために越してきたのは18年前。
早かったですね。。
振り返れば・・ということですが、その渦中には様々なことがありました。
そのここでの出発とでもいう、ご挨拶の日になったある夏の日。
班長さんを中心に夏祭りのあと、慰労会のようなものでバーベキュー大会がありました。
班長宅の庭にバーベキューの用意が準備され賑やかなひと時。
長男5歳、次男3歳、三男1歳。主人はもともとの地元で顔見知りの方たちに囲まれでいましたが、私はその嫁として挨拶を交わしここで私の第二の人生が始まったわけです。
長男が背丈より若干高いテーブルにしこたま額をぶつけました。
泣きもせずいたのですが、そこのご主人がにこやかに優しく声を掛けてくださいました。
その時の記憶は今でもはっきりと覚えています。
その方が、70歳というお年で逝かれてしまわれました。
娘さんお2人がいらっしゃったようで始めてお会いしました。
また昨今、近所の方たちともこういう場でしか顔を合わせないという時間の無い日々を過ごしているなぁという思いがありました。

ご近所。班内は16軒。
家族がそれぞれに旅立ったり、独立したり、老夫婦であったりと各家庭の状況は様々で、ちょっと前までのように3日間2人で出るという形からはゆるやかになりました。
また自宅で葬儀を出す当時を思い起こすと、喪主・家族もそうですが、手伝いとして出る者も大変な思いをしました。
それでも、自宅からお見送りのできる形が本来の姿なのでしょうね。
ついこの前までは、地元のガス屋さんから台所用品一式を借り庭先にテントを張り、お給仕。
朝・昼・晩と食事の用意をし、お供えするものを作り、お寺・お墓に使うもの全てを手作りしていました。
それぞれに役目があり、終始滞りなくみんなの手で進めていました。
故人は、それらの知恵や地域の慣わしを心得ていて、スムーズに事が運ぶようにと尽力もされていました
今日、私ともう1人のご婦人は、火葬場まで着いていくお花係りでした。
以前は時間内、清めの席作り・給仕をし、そこでの会計も頼まれていたのですが、ただ同席するだけでした。)

しかし、奥様はそれを喜ばしく思って居なかったようで、今回のお別れを新聞には出さずに・・とのことでした。
たくさんの役をこなし、たくさんの人たちをお世話し、また関わりを持った方たちがいらしたでしょうが、奥様はその方たちの顔を見ても分からないから挨拶ができない・したくないという理由のようでした。
御通夜は、親族と班内という寂しいものだったとは、昨日の班内の人の感想でした。
今日で永遠のお別れです。
どれだけたくさんの人たちのために働いたか・・とか、どれたけの方たちとともに時間を過ごしお世話になったかとか、それに対して頭を下げることは億劫なことではないと思うのですが・・・
奥さんには奥さんの理由があるのでしょう
そう思うとただの班内である私なども涙が止まりませんでした。
亡くなってしまえば終ってしまうんだなぁという思いになりました。

そして、ふいっと、今生きている時は、いつでも会えるだろうって思っている人にも、本当に死んでしまったら会えなくなる、どうしているかも分からなくなるんだなって。
縁のあった人たちと、いつかまた会えるんじゃないか、何も話さなくても顔を見て笑顔になれば心が通うんじゃないか・・ということも、死んでしまったら終ってしまう。
感謝している気持ちも、あの時はごめんなさい・・も、言えるときに、また言える機会を作って持って、人の心に尽くしていかなくてはいけないなぁと感じる1日でした。

また、今日はびっくりすることに、高校の同級生に行き会いました。
故人の親族として斎場に入ってきた彼女を一目見るなり私は名前まで思い出しました。^^
が彼女は、私が旧姓をいっても記憶無しということでした。。
全く高校の頃のことが記憶にないらしく、私を忘れているということだけじゃなく、誰に会っても思い出すことがないと言ってました。。

初七日・四十九日等々、ご家族の方たちはしばらく忙しいでしょう。

家庭があれば、何度も経験することですが、別れはいつかは来るものですょね。
そのさよならがいつ来るかわからない。
だから、毎日、感謝しなくちゃいけないですね・・。
感謝しなくちゃいけない人がいても出来ないのがまた凡夫の所以。。

記録として。