まずは無事故で完了しました。
我が家の四十九日は、朝9時から開眼供養からはじまりました。
勿論その前には、統一地方選挙・投票所へ向かい投票を終え、お墓の掃除をしました。
主人・・またのたまわく。
「綺麗じゃないじゃないか」
( ̄‐ ̄*)
あのね。石なんて水で濡らしたときは綺麗なの。
一瞬なのよ。
砂埃が付いて乾いた時は、おんなじなのっ。
まあ気が済むまでやってくんなまし。
11時からの法事が始まりました。
親戚の皆さん、家族みんなで焼香をし、お坊さんのお話を聞いたのちお墓へ。
(*≧m≦*)
墓石。いつもと変わらず。
これで分ったでしょうか、ね。いや、わからんね。
11時半過ぎには、清めの宴のお店からの迎えのバスが到着。
お団子を口に入れながら皆さんバスに乗り込みました。
このお店の予約を取るのはなかなか難しいらしいです。人気なんです。。^^
何故予約できたかというと、『仏滅』だったからでーす。
知らんがな。お坊さんの都合で26日になったんだもの。。
さて。皆さんに食事をしていただいている間に、引き物に頂戴していた飲み物(箱でいただいて)やら果物やらは等分して用意。
2時間ほどの時間もあっという間でした。
引き物を手渡しながら皆さんにお礼を言い、バスで各ご自宅へ送ってもらいました。
私たちは、皆さんへの挨拶も家に寄ってもらってお茶を差し上げることもできず、礼服から着替えていそいそとラパンへ乗り込みました。
留守を長男・次男に頼むといざや、東京へ。
4号バイパスを使うことにしました。
高速道路はあまり好きじゃありません。
最近、運転中に右足の指が攣ることがあって・・・・・
私の選ぶ道で行きました。
通夜式は夕方6時。私たち(私・主人・の弟さん・妹さん)4人も無事間に合いました。
ささっと着替えて、歩いて斎場まで。
式は、テレビで見るような感じ。
田舎で通常私たちが執り行ったり行ったり見たりするのとは違いました。
また宗派も違うのか初めて聞く読経でした。一時間・・・長っ。
一族・親戚は皆叔父さんの棺の傍に腰掛けますが、その他の方たちが椅子に座ることはなく、焼香が済むとそのまま帰っていきました。
2階が控え室と食事のできるようになっていて、7テーブルが近親者で埋まりました。
こういうところ。。。
歩いて叔父さん宅へ戻りました。
近しい親類の方たちがところ狭しと上がりこみ、まだまだ清めは終わりません。
成人を過ぎた孫たちも着替えを自宅で済ませたあと戻ってきては清め・・清め・・・終わることなく・・・・
私たちは泊まる宿を用意してもらい、チェックインのため23時にはタクシーに乗りました。
ホテルはツインルーム。寝るだけです。
8階。。
もし、こんな下町で地震がきたら・・とメンタルの弱い私は眠れず。重ねて主人のいびきで眠れず・・・
だんだん窓のカーテンの隙間から入る朝日に起きるサインを貰い、4時半起床。
シャワーを浴びて、ホテルの近くのコンビニでサンドイッチと野菜ジュースを購入。
テレビを付けて、食べる。主人まだ起きず・・・
告別式は午前11時から。
それに間に合うように、9時頃亀戸駅へ。電車で3つ。
初体~験。。
駅からも路地を歩いて叔父さん宅へ。
同じお坊さんが衣を替えて読経。
告別式初七日法要が終わり、バスにて荒川区の町谷火葬場まで30分ほど。。
着いてみるとびっ・・・くりっ。
大きい火葬場でした。
12機あるらしく、3階建て。
私たちの使う火葬場とは雲泥の差です。
あちらで読経・こちらで整列、あそこで泣き声・・・・が繰り返されています。
荼毘される時間も短く50分ほどしか待ちませんでした。
係りの方が、釜から引き出した骨を手際よく集めたかと思ったら、骨壷へ入れる場所まで一瞬で移動。
私たちのほうが遅い・・という。
そして2人一組で骨を骨壷へいれていく・・・
小さなひ孫ちゃんたちが、じいじが居ないと泣いていました。
またバスに乗り叔父さんの居ない家へ戻りました。
私の家に自転車で来てしまう叔母さんも、兄弟の死を所々で理解しつつも2人の息子さんに連れ立ってスカイツリーへと行きました。
息子さんたちは、「スカイツリーのことも忘れるだろうけどね・・」となんて親孝行で優しいんでしょう。
無事に告別式も終わり、私たちはまたラパンに乗り込み静かな田舎へと帰ってきました。
家の庭に牡丹が咲いていました。
スマホ写真。。
帰ってから、我が家の法事での支払いを済ませ、欠席された方へ引き物をお届けし。
ゆっくりできたのは、夜8時過ぎました。。
お疲れ様。留守番の次男も仕事から帰った長男も、みんなみんなお疲れ様。。
Tちゃんも。。
今朝こんなかっこうで寝ていました。
平常な日々バンザイ。。
内職が始まります。。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ