行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

8月31日。

2010年08月31日 20時20分09秒 | 日記

今日。。夕方うとうととしていました。

病院。嫌いな人が多いところです。
妹は、病院に入るだけで具合が悪くなるというくらい。長男もわりとそんな感じ。
三男は病院は別の意味で怖い場所。入院の経験がありますが、床が布地のようだったので怖くなかったらしい。。私は、父が大学病院に入院していた時にも、地下の食堂で食事をとるのが楽しかった。
それと、自販機でコーヒーを飲むのも好きだった。。^^
こんなたちなので、母の病室にいることも、泊まることも苦ではないです。
次男もそうかな。。

4人部屋の窓際。
人間模様を垣間見ることができます。
どの患者さんも、お年寄りで、経管栄養(鼻チュー)もしくは、胃ろう(直接胃から栄養)をしています。
その1人の女性。娘さんが朝に夕にやってきます。
ものすごい勢いでやってきます。
熱があって水枕をしていようが、透析後調子悪く寝ていようが、カーテンをジャーーーーっ! と閉め、ベットの高さ調節のためガンガンガンガンとハンドルを回します。
寝ている子も起きる勢いです。そして、両脇のサークルをガシャン! と下ろし始まるのです。
看護師さんが居ると若干静かに、いないと、実のお母さんだそうですが、その人に向って・・勿論理解していないと思われますが・・・
「こんな汚いパジャマなんか着てるんじゃねーよ。ほら!オムツもこんなに汚れてるじゃないか! ほらっ頭も綺麗にするよ、こんなんじゃだめじゃないか!」
って・・・・・

きっとね。疲れているんだと思う。
母親の姿をみて今までの苦労がストレスになって、違う形となって彼女を覆ってしまったんだと思う。
綺麗に着替えを済ませると、手を握るでもなく、自分は忙しいんだ、これからもどこどこへ行くんだ、間に合わせたんだと言い残して帰ってしまいます。
これ1回や2回じゃなくて毎回なんです。。
看護師さんがオムツを取り替えたばかりの状態でも気に入らずやり直す。
だからもう余計なことはしない言わない状態。

私もその時間は部屋を出ます。


今日。夕方。母のベッドの傍らでうつらうつらと船を漕いでいました。
そこに担当の看護師さんがやってきて、経管をします。。って。
えぇぇぇ・・いょいょだ。。
大丈夫かな・・ばあちゃん我慢できるかな・・・
ちょっと出ていてくださいね、と言われ、出ること数分。
大丈夫でしたよ。って。ホッとしました。。
明日の朝から少しづつ栄養を入れていくそうです。暫く胃が動いていなかったので、慣らすために点滴と同時進行。酸素吸入も今は6リッター、落ち着いてきたらマスクではなく管にしていくそうです。
まずは、明日胃に入れても戻さないでいられること。
そして、栄養を補給できて体調が安定できて、透析が充分にできることが目標になりました。
本当にこのまま順調にいきますように。
喋れるかどうかは、また別問題なのだそう。。
きっと話せるようになったら、叱られるなぁ。。もろもろ・・・

今朝。韮の花が咲いていました。



茗荷。

2010年08月29日 09時24分10秒 | 日記

毎年食べきれないほど採れる茗荷。
今年はこの暑さの中、ほんの一掴みだけ、しかもいまごろ採れました。
今朝見つけて、食べるには遅いくらいの感じなので写真を撮って遊んでみました。

 

母の様子は、少しづつ良くなってきています。
とは言え、あのもうだめと思った時を見ているせいか、決して良好ではなくても、落ち着いた気持ちで見られることが悲しいですが。
看護師さんの数時間おきの回診でも、肺から水を飛ばすような音は無くなっているといわれ、血圧も150くらいをキープし、熱も出たり下がったりしてはいますが、それだけ母の身体が頑張ろうとしている証拠だと私は思っています。

また、施設にいたにも関わらず、母を忘れないで見舞ってくださる方々に感謝の気持ちです。
意識が戻りつつある母ですから、口腔ケアをしようとすると嫌がるようになり、それをする私を睨むようなこともできるようになりました。

また今日も行ってきますね。。


朝がくる。

2010年08月28日 06時27分24秒 | 日記

今朝も穏やかに朝がやってきました。
この同じ朝を迎えることができました。先週の今頃は、母の枕元で必死に母へ呼びかけをしているところです。
何度母の生命力に救われたことでしょう。そしてその度に、私は母へその強さを忘れる愚か者と悔いるのです。

世間では、100歳を越す方たちの生存確認がされずに生きたままでなんら処理されていない、というニュースを見るにつけ、何故? という思いしかありません。
言うにいえぬ事情もあるでしょう、本人のプライベートな部分もあったでしょう。
でも、消息を気にしない・生存を確認しない親族があるのでしょうか。
生まれる時と、逝くときは、周りの者たちの環境によって差は生じますが、その事実を受け入れることは最低限人間として当たり前のことだと思うんです。
一部では、年金を受け取り続けて詐欺罪となるという家族もいるようですね。
それだけ、近所や地域での繋がりも希薄だったのでしょうか。

それを思うと、こうして母の今は、哀しみはあれどごくごく自然のことと受け止められます。
自分の命を人に奪われたり、自分で消そうとしたり・・・
それが、病の上で、家族に心配をかけまいとして。また、家族に見放される前にと自分の意思を固めてしまう人・・・・
ある昔のネット上での知り合いが今闘病生活を強いられています。
※ ここで書くのは、彼女のブログにコメントをどうしても残せない・・から。

再婚をして幸せになるはずだった。
溺愛する息子と、やがて自分の両親と同居、しかし、父親が急逝されてから、母親と旦那さんが不仲なため別居になる。
その間も、病はどんどん進み、今の医学で手立てはなし。
キーボードを打つ指が全滅。1つの日記を書くのに2時間もの時間が必要だと。
私が母へ拒む人口呼吸器を彼女もまた、私と同年代でありながら装着の有無に悩んでいる。
瞼も重く、たとえ人口呼吸器を取り付けて息を続けていても、自分の意思を相手に伝えていけなくなる未来に、それは必要なのか・・? と。
家族の重荷になる自分の命の期限を自分で付ける。その期日を決定する日が迫られている。
その昔。ネット上で彼女の文才は素晴らしく、何十人というコミュニケーションの広場で活躍していました。
まさか・・数年でこんなことになろうだなんて誰が想像したでしょう。

ネットというこの箱から発信する個々の思いが文字になって全世界を飛び、心打たれる日記や、幸せを感じる写真や、感動する日々をつれづれに書き落とすこと。
自分をここで律することができる。顔も声も知らない方たちの励ましを受けながら、言葉の・文字の・力を受ける。
それが時として、理解の違い、思いの勘違い、嫉妬、怒り・・と感情は様々に変化していく。
昨日の友が今日は敵ということも何度か経験しました。
またそれが、顔を突き合わせていない者・架空としてしまうこのネット社会ですから、容易に相手を罵ることができる。こんなに言い放ってしまったらもう2度と顔など合わせられないだろうと思うことでも、言いきってしまう・・・
それがアラシというもの。自分のストレス発散のためか、正義感か。ろくに全ての記事を読んで相手を知り尽くした訳でもないのに、書き捨ててもう姿を見せない。
影でこっそり見ては、そのあたふたした姿をみて笑っているような・・・そんなネット社会でもある。

そんなありとあらゆることが起こる中でしか、今彼女は自分を制していられない。
コメントに励まされ、道しるべを見つけ出し、自分らしく生きようと頑張っている。
しかし・・・コメントを残したくても残せない私のような閲覧者もたくさんいるでしょう。
言葉が、薄っぺらに感じて・・・ 何を書こうが実際手を差し伸べられない。
痛みや苦しみを読んで分かったふうであっても、全く痛みは自分には感じられない。
それなのに、ただガンバレや、生きていこうなんて言えるだろうか・・・

それは・・・・目の前に居ても同じなのかもしれない・・・
人が受けている痛みを共有するなんてことはありえないのだから。
でも・・・私にはコメントを残すことはできない。

 

私のここにも、そうした思いで来てくださってる方々に、私は大きな声で、ありがとうとお返事させていただきます。
ありがとうございます!

シュウメイ菊も咲き出していますが、まだまだ暑いですね。
この年は忘れられない年になりそうです。


ばぁちゃんが笑った!

2010年08月26日 07時30分43秒 | 日記

訪問くださる皆さんには、心配と不安ばかりを感じてしまっているような日記ばかりですみません。
1日は24時間、誰しも同じ時間を過ごしているわけですが、この数日は早いようでまだ6日しか経っていないのか~・・などと思っています。

その時間。母と向き合い言葉かけをし、今までの諸々の感謝を言葉にして、また100万円溜まったら、私の家に引っ越そうと言っていた話しがウソになってしまったことを謝りました。
昼にかかわらず、夜中であろうと、母が目を開けて私を見つめているように思うときはいつでも手を握り、ずっと話していました。
それが・・・届くか届かないとしても。

呼び出された時の診断した医師は、もう数日はもたないとの話。
透析の医師の診断は、血圧が安定して充分に透析ができれば、肺に溜まった水分も引けると前向きでした。
その通り、昨日の透析も無事終了しました。
心肥大も顕著ですが、63%だった心臓比が58%にまで小さくなりました。
そして、透析の医師から思っても見なかった言葉が。。

「鼻から管を通して栄養を補給しましょう。そして透析を完璧にできるよう体力をつけていきましょう。」
って!
看護師さんたちも母の寿命は僅か・・という雰囲気いっぱいでした。
私が泊まっている時にも、1人の看護師さんは、本心で私への配慮として、
「死んだら眠れないですよ。」と。
一瞬、あちらもしまった! と思ったでしょうが、それも受け止めました。

そして何より、昨日の夕方。
隣のベッドのお爺さんへ、食事の介助にあたられた看護師さんが、食器ののったトレーを落としそうになって、凄い音がしたんです。
私はびっくりして、エェ━━━━━━Σヾ(゜Д゜)ノ━━━━━━ !!!!
ってな顔をしたんです。
その顔を見ていた母が、声を出して笑ったんです!!!
あはははは~とか、わっはっはっという笑いではありませんが、酸素を吸っているその口で息とともに、声がもれ、顔がくしゃくしゃに笑っているんです。。
私は、その表情で、笑った~笑った~
可笑しいね~、びっくりしたね~と話しかけると、そのままの表情で瞳は優しいものでした。
看護師さんにもすぐに知らせるとその母を見て、喜んでくれました。。

これから、またどんな波がくるかわかりません。
一進一退・一喜一憂していくでしょう。
諦めない! なんて言いません。
根性で快復させる! とも言いません。思いません。
ただ、母の傍にいます。
寂しんぼ病の母が、こんなにみんなが居てくれて言葉かけしてくれて、手を握ってくれるならもう少しみんなのところにいたいと思ったのでしょう。。
母が母の命を全うするのをちゃんとこの目で見届ける、それだけです。

誰にもある24時間。私も悲しんでいるだけではなく、笑ったり幸せを感じたりしている時間もあります。
日記として言葉に残したものだけが、印象深くあると悲しいブログとして塗りつぶすようですものね。
今日も母のところに行きます。。
仕事は今は良いや~!

母の車椅子に付けていたもの。
透析室の方たちからのプレゼント。。今は私のバックに。。



記録。

2010年08月25日 06時40分51秒 | 日記

土曜日の早朝の医師の説明では、数日持たないというものでした。
しかし、母は月曜日の透析も無事乗り越えました。
血圧が下がったら・呼吸が止まったら、中止ということでしたが、血圧も下がることなく終了。
その母に拍手です。
しかし、以前として瞳孔の動きは鈍く反応もなく、手の握り返しもまったくありません。
いつか気がついた時は見えるところにいようと母のそばから離れず付き添っています。
息子たちも土日の休みにはそれぞれが交代の話し合いをしたかのように入れ替わり立ち代り、都合をつけて見舞ってくれました。
夜間にも次男が少し寝ろよと、バイクできてくれ、2時間ほどの仮眠をとりながら、母の寝息に集中していました。

昨日、火曜日。
母は、痰のからんだ苦しい息使いから少しだけ楽なったような呼吸にかわりました。
口腔ケアのキットを買い、母の舌や口の中を綺麗にし、乾燥を和らげる塗り薬をつけたのが良かったのか、舌がデロデロと音をたてて震えることもなくなりました。
かといって、決して楽になったわけではありませんが・・・
呼びかけに反応をしてくれたので昨夜は少し私の気持ちも楽になり、家にもどってぐっすりと休みました。
息子たちも本当に良く手伝ってくれて、洗濯物を夜洗って干していくと、次の日には取り込むもの、畳むものと分担していてくれます。ありがとう。
仕事も、残業を割いて、病院まで駆けつけて私に時間を与えてくれます。


今は、もう、母が穏やかでいられるようにすることのみです。
母の胃の中はもう何日も空っぽです。肺炎の症状も少し緩和したといえ、心臓は60%にまで肥大しています。
今日も透析があります。無事に乗り切れて病室に戻りますように。

人口呼吸器も血圧を上げる薬もしないと決めたけど、いつまでも母の手をさすって握っていたい。
お母ちゃんと呼びかけていたい。

 

気持ちをおちつかせるためにカメラを持ちました。

義父が、初めて私に労いの言葉をかけてくれました。
主人が始めて病室に入って、意識の無い母に、お久しぶりと言った時は、???でした・・・けど。
力丸も体力低下とともに、後ろ足に怪我をしたのか腫れ上がっています・・・・
コメント欄は閉じます。
心配して来ていただいて感謝です。ありがとうございます。