女性は愚痴を言って、自分の気持ちに共感して欲しいのだと聞いたことがある。
別に、解決したくて解決方法を知りたいのではなく、ただ、
「まあ、それは辛いね」
「あなたの気持ち、分かるわ~」
「あなたがそんな気持ちになるのも仕方ないわ。それは相手が悪い」
「まあ、それはかわいそうに。あなたは悪くないわ。気の毒ね」
などと、慰めてもらいたい、自分を肯定してもらいたいのだと。
だとしたら、私はどちらかといえば男に近いかも。
気持ちがどうのより、解決したいから。どうしたら、解決できるかを考えたい。
で、人(両親なんだけど)がもめて、というより一方的に父が怒って、母がなんで怒られるか納得がいかないといってさらに腹を立てる。(父に言い返せず「我慢」(←これも怒り)して、私に愚痴る)
こんなに父の事を考えて一生懸命にやってるのに、何が気に入らないのか。自分では何もしない(できない?)くせに文句ばかり。私はいつも怒られて、自由がなく束縛されて、ず~っと我慢(←怒りをためること)してきたんだ。もう、何もしたくない。自由にさせて欲しい。等々、感情を抑えきれない。(自由にすればいいと思う)
母の話を聞きながら、それは苦しいだろう、腹を立てなければ楽なのになあ、気の毒だなあ(これ共感?)とは思うけれど、母の「怒り」には(もちろん父の「怒り」にも)共感?肯定?ができない。
ただ、二人とも、気持ちが楽になってもらいたい。おだやかな気持ちになれるといいなあと願う。
「そうそう、父があんなだから腹が立つよね」とか「父がいきなり怒るのが悪いんだ、だから腹が立って当然」とは、どうも言えない。言うと嘘になってしまう・・・。
「自分の腹が立つのは、人のせいではない」ということ。これは、どうしようもない事実。
これを言ってしまうから、薄情な娘になってしまうのかな?
「じゃあ、私が悪いってこと?」って、否定していることになる。どっちが良い悪いじゃないのです。
どっちも悪くない。
お互いに、相手が悪いと思っているから腹が立つわけで・・・。私も、なかなか上手く伝えられないところが、まだまだ修行が足りませんね。でも、「怒り」は否定せざるを得ない・・・。
なぜ父が怒り、なぜ母が怒るか。それはそれぞれの心、考え方に原因があるのです。人間だから腹が立ってしまうのは仕方がないけれど、それぞれの考え方を変えるだけで、怒りは治まっていくものなのです。怒りの原因は自分の考え方。怒りは人にも自分にも毒だから、なるべく早く、小さいうちに消した方がいい。
まあ、父は我が侭(&勝手な思い込み?)でまったく怒ることではないと思われることでいきなり怒る(普通に話せばいいのに)のですが、聞く耳をもたない人には、何も言えません。話し合いができない性分なので仕方がない。子どもじゃないので強く言うこともできない。父も腹が立つのは気の毒だけど、自業自得というかしょうがないね。そっとしておいて、できることをするかない。でも、別に怒鳴られたからと言って、こっちが腹を立てる必要ないじゃないですか。気の毒じゃないですか。
母も、(怒りの)雨が降ったら、傘をさすしかない。濡れないように避難すればいい。雨に向かって怒っても仕方ない。災難だけど、腹を立てることはない。(で、自己中の父から見れば怒りの原因は母)
まあ、要は、お互いに相手を思いやる気持ちがない、意見や感じ方や表現力など人はそれぞれちがうものだということが分かってないのですね。だから、相手を嫌う。気の毒だけどお互い様。そんなに嫌いなら離れてればいいのに、気にしなければいいのに。長い歴史があって、なかなかそうはいかないのでしょう。父に縛られている。というか、執着しているのはどっち?
・・・というわけで、母が父から解放されるために、
ipadを買ってあげることにいたしました (←これ言うのにずいぶんかかったね)
(あくまで母のため、母には必要だと思う。でも、自分も使うだろう、教えてあげなきゃね)
ipadで、いろんな人のブログを見たり、音楽を聴いたり、写真を見たり、面白そうな本を探してみたり・・・
新しいことに挑戦するのです。
私にではなく、母に必要であると判断したんだよ。ほんとだよ。(父はどうだろう?”やっちもねー”か?)
もっと、視野を広げれば、目を外を向ければ、楽しいことや面白いこと、学べることはあるはず。
人生、これからです。
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