たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

「好景気」と貧困 <ヤングケアラ- 高校生5%、家族をケア>を読みながら

2018-01-19 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180119 「好景気」と貧困 <ヤングケアラ- 高校生5%、家族をケア>を読みながら

 

トランプ政権誕生以来(たしかそれ以前から)ダウ工業株30種平均は一方的な右肩上がりで、至上最高値を更新続けています。経済成長率も上昇していて、貿易赤字の増大の問題が残るものの、アメリカ経済は絶好調のようにも見えます。今朝の毎日記事は<トランプ米政権1年「経済で成果」も貿易赤字拡大続く>とデータをあげて指摘しています。

 

同様に、日経平均株価も、一時的な反落があるものの、アメリカの株高などを受けて絶好調ですね。

 

とはいえ、トランプ政権を支持した白人ブルーカラーの雇用改善はさほど影響がないようですし、中産階級以下、とりわけ移民層などは経済的困窮がより厳しくなっているようです。

 

むろんわが国の現状も厳しさが伝わってきます。たしか昨日のNHKニュースで報じられていましたが、買い物をする場合、まず値段を気にする。当然ですが、それは高価なものでなく日用品についてでした。それが各地の普通の住民感覚ではないでしょうか。

 

ようやく賃上げ3%を経団連が明記しましたが、逆にわが国の労働者が大半を占める中小企業では無理という声もあがっているようです。

 

で、私自身のちょっとした体験でも、そのような感覚を感じます。地方の、とくに中心都市を除き、スーパーの店舗では、だいたい閑散としています。それに7時頃を過ぎると、さまざまな食べ物が2割引とか5割引になりますが、それを狙って買い物をする人が少なくないのです。

 

また私は自動車を運転するのがとても億劫です。それは地方でも多くが急いで運転している様子がうかがえ、のんびり運転できる雰囲気ではないのです。あちこちの仕事を掛け持っている人、家事と仕事を両立している人、訪問介護でしょうか、訪問先が離れていて時間の制約がある人、みなさん急いでいる様子が肌でわかります。私のように車間距離をあけようとしても、後ろにぴったりついて来る車が少なくないのです。それは男性、女性問わず、若い人、年配の人問わずです。余裕がないように感じられます。

 

トマス・ピケティが唱えた超格差社会の内実はどうか、まだよくわかりませんが、富は見えない手のどこかに集中し、貧困の拡大が構造的になっているように感じるのです。

 

他方で、リーマンショックで問題にされた金融工学手法や格付け評価の偽装は、アメリカの金融制度改革で改善されたのでしょうか。オバマ政権で次第に実効化されつつあったのが、トランプ政権による規制緩和(トランプが批判したウォール街の重鎮が政権に大勢入りましたね)で、雲散霧消になったように感じるのは私だけではないように思うのですが。

 

ともかく、現在のアメリカの驚異的な株高を支えているのは何でしょう。虚構のフィンティックが格付け偽装で支えられ、バブルがはじけたリーマンショックは改善されたと言えるのか、どうも検証されてないように思うのです。

 

現在のアメリカ株高の要因をきちんと論じている経済学者がいるのでしょうかね。アナリストでさえ、あまり論じていないように思うのですが、私の視野の狭さでわからないだけでしょうか。

 

トランプ政権の経済政策もあるのかわからない状態(たしかに法人税減税は成し遂げていますがどの程度の効果があるのか?)ですので、私にはアメリカも日本も上昇が止まらない株高で興奮冷めやらない印象ですが、砂上の楼閣のように見えるのです。

 

あるいはそれが21世紀の資本主義の実態で、ピケティさんが訴えた格差構造を具現化しているだけなのか、私にはわかりません。

 

前置きが長くなりましたが、昨夕の毎日記事<ヤングケアラ-高校生5%、家族をケア 介護や家事 大阪・歯科大調査>は、見えにくかった現実の隘路の一端を可視化してくれました。

 

反橋希美記者の取材で、<大阪の高校生の約20人に1人が、家族の介護や家事などの「ケア」を担っていることが、濱島淑恵・大阪歯科大准教授(社会福祉政策)らの研究グループによる調査で分かった。>とのこと。

 

結果は<別居中も含めた家族に介護や手伝い、精神的サポートを必要としている人がいる生徒は13%の664人で、約半数の325人が「自分がケアをしている」と回答。うちヤングケアラーとみなせるか議論のある、幼いきょうだいがいるという理由のみで「ケアをしている」と答えた生徒を除くと、全体の5%にあたる272人だった。>

 

で、ここで登場する<ヤングケアラー>という言葉初めて耳にしました。

解説では<一般社団法人日本ケアラー連盟(東京都)は「家族にケアを要する人がいる場合、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護などを行っている18歳未満の子」と定義。総務省の2012年の調査で30歳未満の介護者は約18万人だったが、10~20代が混在しており正確な数は分かっていない。>とのこと。

 

私は健全な家庭では、18歳未満の子どもも、<大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護など>の一部を分担することは望ましいと考えています。学業優先とか、クラブ活動優先といった一本調子の教育のあり方に疑問を抱いています。それは子どもの頃から、家事も仕事も家族構成員全体で担う体験が必要だと感じているからです。その意味で、祖父母の介護の手伝いをすることは、それだけで望ましくないとの立場には立ちません。

 

しかし、それが唯一経済的余裕がないために、学業などを犠牲にして、場合によっては登校を制限されたり、修学旅行など団体活動に参加できないといったことであれば、本末転倒と思っています。

 

家事は基本で、それを共同に担う意識を養うことは大切です。それは研究社になろうと、企業戦士になろうと、前者を犠牲にして顧みない生き方は望ましいとはいえないと考えているからです。まして女性という立場、妻、母、娘という立場の人に押しつけるようなことこそ問題です。

 

しかしながら、今回の調査で現れた結果は、より実態調査が必要ですが、健全な家庭環境作りとは言えないおそれが十分あります。その意味では

<ヤングケアラーへの先進的支援で知られる英国では各自治体に実態把握の義務を課し、学校にケアラーが相談できる教員を設置するなどしている。濱島准教授は「ケアは『お手伝い』として見過ごされがちだが、大人が担うレベルの役割を負わされて勉強や課外活動がままならない子もいる。まずは国による大規模な実態調査が必要だ」と話す。>という指摘は行政としては真剣に対応してもらいたいです。


障がいと人間力 <大阪のホテル、障害者を積極雇用 特性見極め「重要な戦力」>などを読みながら

2018-01-11 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180111 障がいと人間力 <大阪のホテル、障害者を積極雇用 特性見極め「重要な戦力」>などを読みながら

 

今朝は何か違う感覚。外は銀世界でした。谷戸景観はいつも遠望できる高野は降雪で隠れ、狭い一隅が雪国のようでした。甍と白壁土蔵はこういった白銀によく似合います。実際の雪国の暮らしは厳しくて私のようにのんびりと眺めを楽しむどころではないのでしょう。

 

私の方はのんきなもので、早速インスタントなデジタルカメラでシャッターを切りました。手ぶれがひどく、結局、三脚を持ち出してようやくあまりぶれのない画像が得られました。とはいえ安物のカメラですので、シャープな画面は望めません。プロや写真愛好家の画像を見ることにしています。

 

この雪でようやく冬タイヤが活きるかなと勝手な思いが浮かびます。実家に帰る途中に降雪の多い箇所があり、そのためいつも冬タイヤに履き替えますが、今回は暖冬でまったく不要でした。今日が初めての利用機会となります。それほどの雪ではないのですが、坂道が結構あることから、はいていると安心です。

 

そういえばカナダの人は凍結した雪道でも猛スピードで走る人がいます。私の友人の義兄がそうでした。乗せてもらったのはいいのですが、結構怖い思いをしました。若い頃から凍結道路を走っているとなんでもないのでしょうけど、私のような雪道に不慣れだと、おっかなびっくりの運転です。といいながら、4回ほど車が横滑りして危ない思いもしましたが・・・

 

さて本題に移ります。昨日の毎日夕刊記事<特集ワイド・ニュースアップ大阪のホテル、障害者を積極雇用 特性見極め「重要な戦力」=編集局・桜井由紀治>はとても印象深い内容でした。

 

ホテルで障がい者が生き生きと働いている、それが写真からも窺えます。そんなすてきなホテルがあるのですね。法律の力とまではいえないでしょうけど、ホテル経営者の意識を、また職員や関係者の気持ちをたたえたい気持ちです。

 

記事は、改正障害者雇用促進法が本年4月に施行されることを踏まえて、その先駆け的な取り組みをしている企業、それも全国展開しているホテルを取り上げています。

<企業などに一定割合の障害者を雇うよう義務付ける法定雇用率が、4月から引き上げられ、精神障害者の雇用も義務付けられる。現行でも対応に苦慮する企業が多いなか、大阪市北区のリーガロイヤルホテルは障害者の積極雇用に乗り出した。注目されるのは、障害者を「重要な戦力」として経営戦略に位置づけている点だ。業界で先駆的な取り組みを始めた同ホテルの障害者就労現場を見た。>

 

障がい者の働きやすさを配慮することに企業、職員が努力していることがわかります。

<甘い香りが漂う調理部製菓課。発達障害のある近藤紗耶さん(32)は、数十個並ぶケーキにイチゴを慎重に乗せて仕上げていく。・・・ コミュニケーションを取るのが苦手で、友人もできなかった。・・・ 現在の職場の上司は、近藤さんの障害の特性を理解している。彼女が混乱しないよう一つ一つ指示を出す配慮をする。人間関係に悩んだ近藤さんだが、今は職場の同僚と楽しそうに昼食を取る。「働きやすい職場。このまま長く勤めたい」と笑顔を見せる。>

 

障がい者を紹介するコンサル企業も重要な働きをしているようです。

<障害者雇用のコンサルタント会社「CtoB」(神戸市東灘区)の熊内弘次代表取締役からアドバイスを受け、社内に川西晃・人事チーム担当部長(現管理部長)をリーダーとするプロジェクトチーム(PT)を発足させた。PTが重視したのは、障害者の能力を引き出せる環境作りだ。社内の障害当事者や家族に障害者がいる社員もメンバーに加えた。障害者が担当する業務を各部署から切り出し、マニュアルも作った。配属先の部署には、障害の特性を説明して配慮するよう求めた。>

 

このプロジェクトは障がい者の雇用だけでなくその働き方で一般社員の意識改革にもつながるなど、次第に効果を上げているようです。

<庶務に配属された自閉症の男性(30)はこだわりが強く、掃除を完璧にこなさないと気が済まない。ラウンジの大理石の床を鏡のようにピカピカに磨いた。すると、以前は気に留めなかった一般社員にも変化が表れ、男性の働きぶりを見て自分たちも懸命に床を磨くようになった。>

 

またその障がいの特性にあった働き方や条件を提供することで、障がい者の能力が活性化するようです。

<購買チームで商品管理をする統合失調症の男性(42)は、食材などの出庫作業や必要な商品補充の業務をそつなくこなす。慣れてくると、出庫伝票入力も手伝うようになった。・・・

 男性は大学卒業後、・・・24歳の時・・・幻聴が表れ、一時大阪府内の実家で療養した。ホテル側は彼に対し、職場に慣れるまで週4日勤務にした。月1回、本人を交えて業務の振り返りをして、体調に変化がないか確認する。男性は「自分のペースで仕事ができる。電話応対などスキルアップを図りたい」と意欲を見せる。>

 

ホテル側は接客部門への障がい者の登用を企図しています。

<宿泊客が障害者のホテルマンからおもてなしを受ける。心のバリアフリーにもつながり、共生社会の実現に弾みがつくはずだ。そんな日が待ち遠しい。>

 

こういった取り組みは他の企業でもぜひ参考にしてもらいたいものです。

 

ところで、改正障害者雇用促進法<(障害者の雇用の促進等に関する法律の一部を改正する法律の略称)の概要>が示すとおり、上記のホテルが取り組んでいることを定めています。

 

厚労省はこの点、関係者への対応を詳細に定め、次のような指針・解釈を作っています。

・障害者差別禁止指針

・合理的配慮指針

解釈通知・障害者の雇用の促進等に関する法律の一部を改正する法律の施行について

合理的配慮指針事例集

 

いずれも上記ホテルが参考にしていてしかるべき内容です。後は意識の持ち方でしょう。

 

このような改正法の趣旨がどこまで企業の中で浸透しているかは、本年4月を待たず、これまでの取り組みが質されるのではないかと思います。後ろ向きに考えるのではなく、上記ホテルのように前向きに取り組んでもらいたいものです。

 

企業不正・不祥事が頻繁に発覚した昨年でしたが、今年は差別をなくす企業の評判を高めるニュースが増えることを希望したいです。

 

ところで、こういった取り組みは近代化・現代化の一つの表れかもしれません。元々、人は障がいやなんらかの欠陥に対して、それが存在することを前提に、人体組織も社会も成立していた、そうでないと存続できなかったのではないかと思うのです。縄文の時代から知的障がいも、身体障がいも、精神障がいも存在していたのではないかと思うのです。それでも共同体の中で家族の中で助け合っていたのではないでしょうか。

 

それは人体組織自体が、そういう構造・システムをもっていることとも関係するのではないでしょうか。なにか臓器に機能障害があっても代替する機能が働いたり、免疫作用で治癒することもあるのではないでしょうか。

 

障がい者と共に生きることは、人間本来の存在理由ではないかと思うのです。社会の中で競争が激化する中で障がい者を排斥したり、差別することが一方で拡大してきたように思います。それでも聖徳太子信仰のようなものは太子の平等思想・公平な取り扱いを思慕することで生まれたのではないかと思うのです。光明皇后の例もそうでしょう。

 

今回の改正法、その指針などは、改めて私たちが資本主義・自由主義の謳歌の中で忘れていた・あるいは失念しつつあった意識を覚醒するものではないかと思います。その意味で、ある種バイブル的な意味合いで学習することも必要かと思います。それは教育現場でも。

 

 


強制連行された男性は <花岡事件 賠償訴訟 16時間働き、寒くて飢えた・・>などを読んで

2017-11-29 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171129 強制連行された男性は <花岡事件 賠償訴訟 16時間働き、寒くて飢えた・・>などを読んで

 

性差別問題を起点に、最近著名人のセクハラやレイプに等しい卑劣な言動が話題になっています。慰安婦問題も、そのような世界の潮流や国連を構成するメンバーの変化もあってか、大きく取り上げられるようになった一因かもしれません。とはいえ、国連のレポートが正確な事実に基づいているかは疑問を感じています(残念ながら精査していませんので具体的な批判はできません)。他方で、朴裕河(パクユハ)著『帝国の慰安婦』は相当な合理性のある根拠に基づく指摘で、十分とまでは言えなくても相当の説得力をもっていると思います。

 

ところで、慰安婦という女性問題については性奴隷といったキーワードも常套用語として使われ、人権無視を特徴付けるかのように、韓国だけでなく欧米でも取り上げられているように思えます。そういった側面があったことについて具体的事実を踏まえて糾弾することは望ましいのですが、現在の議論は少々粋すぎているように感じています。

 

これに対し、まさに実際にも奴隷的扱いを強いられた男性の場合は、慰安婦問題と対比すると、中国という別の国でもありますが、さほど問題になっているような様子は窺えません。

 

ただ、今朝の毎日記事<花岡事件賠償訴訟 16時間働き、寒くて飢えた、仲間は殺された 94歳中国人証言「日本は強制連行、謝罪を」>は、遠藤浩二記者がその悲惨な実体の一面を簡潔にまとめていますが、その環境は女性の扱いより厳しいものだったのではないかと思われます。

 

「性奴隷」と一緒にするなとの批判がでるかもしれませんが、朴さんが指摘しているように、そういう女性はそれほどおおくなかったのではないかと思っています。むろん、好き好んで応募したとは思いませんが、戦時下で生活のため自由のない状況でやむなく過酷な条件を受け入れたのではないかと思うのです。それでもまだ中には軍人との間で心の通い合いもあった場合もありえましょう。

 

しかし、男性が強制連行された花岡事件では、そのようなことは一切なかったと思われます。花岡事件の概要は記事にまとめられていますので、引用します。

 

<戦時中の1942年、政府は労働力不足を補うため中国人労働者の国内移入を決定。約4万人が日本に連行され、35企業135カ所の炭鉱や港湾施設などで過酷な労働を強いられた。秋田県の花岡鉱山(旧鹿島組花岡出張所)では986人が働き、飢えや虐待による死者が相次いだ。中国人労働者らは45年6月30日に一斉蜂起し、日本人補導員らを殺害して逃走したが、憲兵隊などに鎮圧され、終戦までに419人が死亡したとされる。>

 

そしてその一部である<生存者と遺族計11人が鹿島(旧鹿島組)に損害賠償を求めて提訴。東京高裁で2000年11月、鹿島が11人を含む986人全員の解決を図るため5億円の基金を設立することで和解が成立した。>ということで、一定の決着が一旦つきました。

 

いま大阪地裁で提起されている訴訟は、<日本に強制連行され過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら17人が国に謝罪と1人当たり550万円の損害賠償を求めた訴訟>です。

 

その一人、<生存者で原告の李鉄垂さん(94)=河北省=が28日、大阪地裁で証言した。>

 

その内容は<李さんは中国共産党軍にいた1944年春、河北省で日本兵に捕まった。収容所生活の後、青島から鉄鉱石を運ぶ船で下関へ。8月、陸路で秋田に連行された。

 花岡鉱山では河川工事を命じられた。1日15~16時間働き、水に足がつかり凍傷になった。三度の食事はドングリの粉を使ったものだけで、食べる度に腹を下した。山で野草や木の葉を取って飢えをしのいだ。

 冬でも服は1枚。板の間で仲間と身を寄せ合って寝た。飢えや病気で死者が相次いだ。>それは日本人のシベリア抑留と比べても、強制連行の点でも、その環境の面でも、人間の尊厳を無視し、人権侵害が著しいものであったといえると思うのです。

 

そしてついに一斉蜂起になったのです。<一斉蜂起のきっかけは、日本人の現場監督による虐待だった。仲間の1人は日本人からおにぎりをもらったなどとして衆目の中で殴り殺され、もう1人は熱した鉄を体に押しつけられた。「これ以上我慢できなくなった」

 暴動後に労働者らは近くの山に逃げ込んだ。すぐに憲兵隊に囲まれ発砲を受け、李さんのこめかみには銃弾がかすめた傷痕が残る。警察官から爪の間に竹串を入れられるなどの拷問を受けたが、日本の敗戦で解放された。>

 

このときの遺骨の処理などもとても耐えがたいものです。一年前の記事<人・あきた

「花岡事件」散乱遺骨第一発見者の1人 佐藤和喜治さん /秋田>で、それを語っています。

 

<1950年の春。時折雪が舞うものの穏やかな日だった。その“現場”には知人の金一秀さんと行った。金さんは朝鮮半島の慶尚北道(現・韓国)出身だったが、花岡鉱山に強制連行された中国人が過酷な労働に抵抗して一斉蜂起した「花岡事件」の中国人殉難者の遺族代理を務めていた。その金さんが、まだ多くの遺骨が現場にある、と言う。花岡鉱山で死亡した400人以上という中国人の遺骨は進駐軍により母国へ送還されたが、多くの遺骨は野ざらし状態とうわさされていた。>

 

遺骨発見の様子は痛ましいです。<その廃虚の黒土の地面の至るところがチョークをまいたように白くなっている。手に取って分かった。人骨だった。二人で拾い集めると両手で持ちきれないほどになった。>あちこちに<白い人骨が散乱していた。>

 

事件は終戦の日の2ヶ月も前です。遺骨を散乱するに任せてしまう、日本人の対応は遺骨を大事にするという気持ちになにか差別意識が少なくとも戦時中にはあったのでしょうか。いや、現在でも、そういった敵視したとき人の心は変わってしまうのかもしれません。

 

今日はまた遠くまでドライブして帰ってきたので少々疲れてしまいました。この辺でおしまいです。また明日


性差をめぐる新傾向 <成人誌排除><性犯罪意識の変化><議場に赤ん坊><GPIFのESG投資>などから少し考えてみる

2017-11-23 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171123 性差をめぐる新傾向 <成人誌排除><性犯罪意識の変化><議場に赤ん坊><GPIFESG投資>などから少し考えてみる

 

タイトルの話題に移る前に、座間9人殺害事件が少しひっかかるので、とりあげます。この事件で被害者に一人男性がいますが、白石容疑者の供述だと、狙ったのは若い女性ばかりで、男性は想定外のようです。彼は事件直前には若い女性をだまして性風俗店で働かして職業安定法違反容疑で逮捕されています。

 

白石容疑者のこの一連の行為の背景には、女性を、しかも若年の女性を蔑視するようななにかを感じてしまいます。甘い言葉をかけて誘惑すれば自分の自由になるといったものを感じます。でもそういう意識に類似するものは、わが国一部(あるいはかなりの部分)で長い間醸成されてきたのではないかと思うこともあります。ここまでは序論です。

 

男女の平等を掲げた憲法が成立した後も、長年にわたりわが国では女性を劣位におく社会制度が続いてきたように思います。とりわけ性風俗や性表現の世界では、むろん女性や表現者の中には表現の自由として保障されて良い場合もあるでしょうけど、わが国では適切な配慮に欠けてきたのではないかと思うのです。

 

性風俗店は、生ぬるい規制の中で、存続し続けています。男性がサービスするというのはあまり聞いたことがありませんので(ゲイなどのサービスは別にして)、むろん女性のみがその商品として扱われてきました。そんな状況で、とくに未成年や若い女性は格好の餌食になってきたのではないでしょうか。いやいや、最近の少女は大人顔負けするほど自主的積極的という見方も一部正鵠を射ているかもしれませんが、例外でしょう。

 

性表現のあり方も昔に比べれば厳しくなり、電車広告やさまざまな情報媒体でも制限が厳しくなり、公開の場で見にしなくても良い状態が増えてきたとは思います。

 

しかし欧米社会を垣間見ると、わいせつに近い表現媒体はまず子どもや一般市民の目が届くような場所で見かけることはないように思います。わが国のようにある種みだらな画像や活字がまだまだ氾濫しているように思えます。最近電車に乗る機会がほとんどないので、どうだかしりませんが、電車の中でそういった内容の雑誌を平気で広げて読んでいるような人は、日本以外では先進国で見かけないのではないでしょうか。

 

そして本題に入ります。昨夕の毎日記事<ミニストップ成人雑誌、置きません 来年から全店で 千葉市で1カ月先行>と、ようやくコンビニが英断を下してくれました。

 

<コンビニエンスストア大手のミニストップ(本社・千葉市)は21日、来月1日から千葉市内の全43店舗で成人向け雑誌の販売を中止し、来年1月1日からは全国の全2245店舗で実施すると発表した。記者会見した藤本明裕社長は「誰でも安心して使える店づくりをする」と述べた。>

 

そうです、だれでも安心して使える店、さらにいえば、公共の空間はそうであって欲しいわけですので、こういった意識を広げてもらいたいものです。

 

ただ他のコンビニは二の足を踏んだようですから、まだまだ壁が高そうです。<千葉市は昨年度、子供への配慮や2020年東京五輪・パラリンピック開催で外国人旅行客が増えるのを踏まえ、有害図書の表紙の一部をフィルムで隠す実証実験の実施を決定し、同社を含むコンビニ4社に協力を要請。結局、4社とも「作業負担が大きい」といった理由で難色を示し、市は実施を断念した。>

 

しかし、ミニストップ社は、<利用客から「子供の目線で困る」との声もあったことから検討を進め、取り扱いそのものを中止すべきだとの結論に至ったという。同社によると、働く女性の増加で近年は女性利用客が増える傾向にあるという。>そうです、子どもの目線や女性利用客への配慮が必要でしょう。男性でも不愉快な思いをします。あの一画は。

 

<販売中止の対象は「各都道府県が条例で18歳未満への販売を禁止した雑誌類(有害図書)」>は、子どもの健やかな心の成長にも影響することがわかっているのに、なぜこういう商法が許容されているのか、コンビニも含め同様の店舗はしっかり考えてもらいたいです。

 

女性を商品として扱う、それが当たり前と心の底に根付かせてしまう危険があるでしょう。むろんネットの方がもっとひどいでしょうから、その対策が急がれることは確かでしょう。

 

次に、今朝の毎日記事<メディア時評性犯罪への意識は変わった=甘糟りり子・作家>は、性犯罪で被害者となる女性の意識が変わってきた可能性を示唆するものです。今回の刑法改正で男性も被害者になる強制性交等罪が新たに設けられましたが、男性被害者の例はアメリカに比べ希でしょうね。そういえば、映画Disclosureでは女性上司によるパワハラが一つのテーマでしたが、まさに強制制性交罪の事例ですね。

 

甘糟氏は、<今年5月、若い女性がカメラに顔をさらし、実名でレイプ被害を告発した時は驚いた。気軽に「同じ女性として」などとは言えない。あえて言うなら、同じ人間として、その勇気にショックを受けた。>という、女性がレイプされたことを公開の場で告発することの難しさを、女性側を含む社会がそういう意識を作り出していることを示していますね。

 

たしか80年代でしたか、映画The Accused(告発の行方)を見たとき、改めてレイプ事件って女性は大変だなと思いました。ただ、被害女性を演じたジョディ・フォスターはすばらしい演技でした。

 

私自身その前に一件だけやむを得ず引き受けた弁護事件があり、被告人の被害者が嘘を言っているという弁解を裏付けるべくいろいろ調査したことがあります。被害者の立場を尊重(被害事実を明らかにしないで)しつ関係者に聞き取りすることの難しさを感じました。で、その事件では調査の結果、被告人の弁解は信頼できないことから、さらなる調査を要求する被告人と協議して辞任しましたが。それ以降レイプ事件は扱ったことがありません。

 

で、甘糟氏の意見は、伊藤詩織さんが、東京地検の不起訴処分に対し検査審査会に審査申し立て、不起訴相当の議決となり、こんどは民事訴訟を提起したということ、また記者会見で実名でレイプを告発したことについて、朝日と産経だけが短く取り上げ、他は取り上げていないことに、疑義を示しています。

 

<「不起訴相当」となったことで彼女の会見を無視するのであれば、せっかく性的な犯罪や嫌がらせをタブー視せず、現実を知って考えようと変わった世間の意識を帳消しにしてしまう。彼女の言い分がそのまま真実かどうかはわからないとしても。無実を主張している男性側の声も取材して、一連の流れを把握し、紙面で伝えることこそ新聞の役割ではないだろうか。>

 

そうですね、多くのレイプ事件では、見知らぬ同士なら別ですが、知り合いだと(それが多い)、結構強制制の立証が難しいわけですね。二人以外だれもいないのが普通ですから。それだけでなく、パワハラの複雑性を含め男女関係の微妙な関係があると、立証が容易でないことは確かです。それを顔をさらして告発した勇気ある女性について、刑事上は不起訴相当となったとしても、民事訴訟で当事者が対質(相互に尋問)するなど、立証方法によっては真実がより明確になることもあるわけですから、甘糟氏の意見ももっともでしょう。

 

で、今朝からニュース報道されていた熊本市議の話題<議場に赤ちゃん「子育て女性も活躍できる場に」>については、新橋でしたか路上で意見を聞いていましたが、賛成4割、反対6割でした。意外と賛成が多いと感じましたが、新橋駅(私が昔通い慣れた場所)周辺の環境も影響するのでしょうか、これを東京、まして全国の意識とするとどうかと思います。

 

<22日に開会した熊本市議会の定例会で、緒方夕佳(ゆうか)市議(42)が生後7カ月の長男を抱いて議場に入場したため開会が40分遅れる混乱があった。議員や職員以外が議場に入ることは規則で禁じられているが、緒方市議は「子育て中の女性も活躍できる市議会であってほしかった」と説明した。>

 

面白いなと思ったのは、説得しているのは男性議員(かれらが担当だったのでしょうか)ばかりで、それにしても女性議員はほんのわずかでしたね。あのパワハラ暴言の女性議員は見かけませんでしたが、熊本市議会も興味深いですね。たしか熊本の女性は強いとも聞いていますが。

 

ところで、欧米の情報もニュースで流していましたが、結構欧米の議会では赤ん坊を抱いたまま議場に入場する女性議員が見られるのですね。乳を飲ませながら発言している女性議員もしました。これがどの程度一般的なのか、このニュースだけではなんともいえません。

 

ただ、私が90年代半ば、カナダのいくつかの市議会を相当数傍聴していましたが、裁判官の女性比率がかなり高いのと比較して、さほど高くない印象でした。

 

大学では、女性が赤ん坊ではないですが、幼子を連れて授業を聴講するのはさほど珍しいことではなかったと思います。最初はびっくりしましたが、慣れるとなんでもない感じですね。ただ、赤ん坊だと泣き出したらどうしようとか思うのですが、これも社会における共生と思えば自然に受け入れることができるのかもしれません。

 

ただ、お乳をあげるのは男性にはできないですが、ミルクを飲ますことはできるのですから、男性もまた赤ん坊の世話を担うのは当然です。この女性議員の夫はどうしているのでしょうとつい思ってしまいました。女性だけに背負わされている不公正がわが国の中で女性の自立が容易でない一因だと思っています。議場での赤ん坊同席も重要ですが、それ以上に男女が子どもの世話を同等に担うことを確立する方がもっと大事ではないかと思っています。

 

むろん、赤ん坊の世話は母親が向いているということもありますが、それももしかしたら偏見かもしれません。基本は夫婦がその能力・条件などに応じて個々の家庭の特性に合わして分担するのが望ましいのではないでしょうか。

 

最後に、昨夜の日経プラスでしたか、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の高橋理事長がゲストで呼ばれて、その年金投資の推移と取り組みを話題にしていました。

 

記憶で書くので不正確な数字になりますが、高橋氏によると、年金基金が投資を始めて緩やかに収益を伸ばしてきて、これまでに累積60兆円の利益を生み出しているとのこと。そのうち、配当利益が半分の30兆円ほどで、確実な収益(配当は本来景況に影響しますが、一定の配当を実施できる企業に投資ができてきたということでしょうか)を得ているとのことでした。つまり、最近の株高による株式価格の増加によって投資利益を得ている部分は半分程度とのことでしょう。

 

それはすばらしいことです。でも本当に企業の業績増大が株高を引っ張って言っているのかは、神のみぞ知ると思っています。

 

最後に、高橋氏が現在GPIFで取り組んでいるのは<ESG投資>ということです。私がこの言葉を知ったのは2000年代初頭ですが、わが国ではそのような投資スタイルのかけらもない時代が長く続いていました。欧米食に比べ、極端に低いレベルにあります。ただ、世界トップとも表される投資資金をもつGPIFがこの目標を掲げるのであれば、今後日本の投資市場も期待できるかもしれないと思っています。

 

それでこのEnvironmentESocialS, GovernanceGですが、ここでとりあげるのはSの女性の活躍への投資です。長いものには巻かれろ式の日本企業ですので、GPIFがしっかり着実にこの方向を進めば、5年後、10年後はかなり明るい未来になることを期待できるかな、と今日のところは思っています。女性が活躍しないと、社会も家庭も元気がでないでしょう。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 


専門家とセクハラ <BS1ワールドニュース・フランスでの医療機関でのセクハラ報道>を垣間見て一言

2017-11-18 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

171118 専門家とセクハラ <BS1ワールドニュース・フランスでの医療機関でのセクハラ報道>を垣間見て一言

 

最近なぜか寝付きが悪くなり、うつらうつらしていて、朝も雨だとまったく目が覚めません。人間の体調は一定でないので、回復するまで付き合うしかありません。

 

普段は8時のニュースを見ることはないのですが、今朝はつい見てしまいました。BS1ワールドニュースです。いつもは6時台のを見ているのです。このニュースは世界各国の大きな話題から小さな話題織り交ぜ、なかなかよくできています。

 

で今朝は途中からですが、ひょいと気になるニュースについ立ち止まって見てしまいました。フランスの放送で、手術室内の密室空間で行われているセクハラが取り上げられていました。医師による患者に対するセクハラや、医学部教授などによる研修生などに対するセクハラはこれまでも報道で取り上げられることがあったと思います。

 

しかし、手術室といった空間は、人の命を預かり、緊張感に包まれ、厳粛な環境とのイメージがどうしても浮かんでくるのが普通ではないかと思います。ところが、そうでない場合もあることが報道されていたのです。しかも女性の立場が尊重されているといわれるフランスでです。これは少し驚きつつも、やはりという気持ちでした。

 

詳細なセクハラの内容が報道されたかは、途中から見た段階ではなかったので、はっきりしません。でも看護師や研修生、さらに指導を受ける若い医師など、相当数が手術台を囲んで、執刀医の下、チームワークよろしく厳粛に行われている場合ばかりでないことが明らかにされていました。医師の不愉快な発言や接触に対して、異議や苦情を述べることは容易でないとの発言が女性看護師などから出ていたかと思います。

 

手術室内の出来事はほんとにわかりませんね。最近は可視化されて電磁記録として残される場合が増えていると思いますが、手術の手技や患者の侵食部位以外となると、撮影対象外でしょうし、発言となると細かく拾えないことが考えられますね。

 

話は飛びますが、かなり昔、都立病医師による手術および術後管理に医療過誤があるとして訴訟提起したことがありますが、当時の看護記録にしても十分でなく、適切な管理ができていたか疑いありました。その中で、ある若い看護師が止めたという情報を入手したのです。その看護師がなにか情報を知っているはずだと、追求しようとしたのですが、できませんでした。その頃でしたか、映画The Verdict(評決)が放映されていたのを見た記憶で、主人公のポールニューマン演じる荒くれ弁護士が医療過誤訴訟で、窮地に陥ったとき、退職した看護師の行き先を突き止め夜間に電話で医師のミスを確認する場面がありました。これは無茶な弁護活動と思いましたが、それにより逆転勝訴になったのです。私もそれぐらい貪欲さが必要かと思いましたが、ま、無理かなと思いつつ、なにか溜飲を下げたような気もしました。

 

要は、手術室内は密室で、医師を含めた人の行いは一部しか記録されません。患者に対する措置も適正とは限らず、それを身近に体験する看護師は医師の指揮下にあって反論できません。セクハラとは関係ありませんが、そういう主従関係は先輩医師と後輩医師、看護師との間で厳然としてあるわけで、男女間で言えばセクハラ・パワハラが生じうる隙というか、土壌は油断すると形成されやすいかもしれません。

 

こういう風に医師という専門家を批判的に見ていますが、それは医師に限りません。専門家と称される職業人には優越的地位にあることから、昔からあった男尊女卑の感覚を振り払えない感覚の人がいまなお相当数生き残っていると思います(もしかしたら私の意識の中にも)。

 

この点、弁護士はというと、たとえば日弁連が平成20年12月18日理事会議決で<セクシュアル・ハラスメントの防止に関する指針>を発表しているとおり、問題を抱えていることは否定できません。

 

私が若い頃、まだ女性弁護士はわずかで、多くはすぐに結婚すると見られたりして、一人前の弁護士として扱われない傾向があったと思います。また、事務所の中では女性事務員がほとんどでしたが、ある種の閉鎖空間ですから、弁護士の言動は法律を熟知している装いで「正義」の旗を振るうわけですから、現在のセクハラもかなり平気でやられていたのではないかと思います。

 

驚いたことに、今でもそういう弁護士が一部にいることが、法律関係の労組からの申出で指摘されることがあります。驚くほどのことではないのでしょうかね。日弁連や各単位会が本気で取り組まないと、旧態依然の体質が是正されていないと、フランスで報道された医師のように、外国のニュースの種になるかもしれません。

 

ただ、そうはいってもセクハラとは何か、場合によってよくわからないこともあります。厚労省のパンフ<職場におけるセクシュアルハラスメント対策を事業主の義務とする>では、はっきりいって誠実な人でもよくわからないように思います。女性側が過度に反応することもありますし、誤認・誤解することもあることは、たとえば電車などでの痴漢事件で起こる話です。

 

で、日弁連の上記指針は参考になるかと思うのです。ご承知の方は別に詳細を知る必要はないのですが、意外とこの識別基準的なものが理解できていない人もいるので(これも変わりうるものです)、少し長くなりますが、引用しておきます。

 

具体的な部分だけ取り上げます。

 

<セクシャル・ハラスメントになり得る言動として、例えば、次のような言動 が挙げられる。

(1)    性的な内容の発言

性的な関係を強要すること。

身体的特徴や容姿の良し悪しなどを話題にすること。

性的な冗談を交わすこと。

性的な経験や性生活について質問すること。

性的な噂を立てたり、性的なからかいの対象とすること。

(2)   性的な行動

性的な写真や記事が載っている雑誌等を広げて読んだり、パソコンの画面 に卑わいな写真を映し出したりすること。

体を執拗に眺めること。

食事やデートに執拗に誘うこと。

性的な内容の電話をかけたり 性的な内容の手紙や電子メールを送ること。

体に不必要に接触すること。

トイレや更衣室等を覗くこと。

カラオケでのデュエットを強要すること。

(3)   性別により差別するもの

「男のくせに 「女のくせに」等の発言をすること。

「男の子、女の子 「おまえ、僕、坊や、お嬢さん 「おじさん、おばさん」、「じじい、ばばあ」等と他人を失礼な呼び方で呼ぶこと。

不必要に、語頭に「男の、女の」等性別を付けること。  

体調が悪そうな女性に「今日は生理日か 」「もう更年期か」等ということ。

酒席等において、女性の座席を男性の隣に指定したり、お酌やダンスを強要すること。 性別による役割分担を課すこと。

 

「李下に冠を正さず」というのがこの場合適切かはともかく、セクハラに限らずパワハラと第三者から疑惑の目で見られないように、常日頃、言動に慎重でありたいものです。すべての人に分け隔てなく、誠実であれば、そういう問題も生じないかもしれません。聖徳太子の言葉だとなんでしょうね。いますぐに的確なものが浮かびませんが、太子像を思い浮かべれば、自然、差別的扱いができなくなるでしょうし、和をもって貴しとなるのでしょうね。

 

今日はこの辺でおしまい。