たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

障害者介護に司法判断 <65歳で無償打ち切りは違法 障害者支援法の介護、岡山地裁>などを読みながら

2018-03-14 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180314 障害者介護に司法判断 <65歳で無償打ち切りは違法 障害者支援法の介護、岡山地裁>などを読みながら

 

ある裁判事件で和歌山市まで往復し、刑事事件の件で関係者といろいろ連絡していると、もう7時近くになりました。なんと時間が経つのが早いこと。光陰矢のごとしはさすがに言い過ぎですが、もう少しゆったりと時間をもちたいと思うのですが、なかなかそうもいかないこの頃です。高齢化の影響も受けているのかもしれません。いや、そんなことを理由にしてはいけませんね。

 

昨夕の毎日記事を見て、驚いてしまいました。<障害者介護65歳以上で打ち切り きょう初の司法判断 浅田さん「年齢で扱い異なるのは不平等」 地裁 /岡山>(ウェブ情報は今日付になっています)という見出しに、一体どういうことと思ってしまいました。

 

障害者に対するわが国の制度は縦割り行政の狭間で統合的な配慮がなされていないことを感じることがよくあります。それを杓子定規に行政運営していると、差別的扱いになることを考えられない行政当局の姿が浮き彫りになることが、最近の司法判断で時折見かけますが、今回も岡山地裁が異なる判断をしていれば、司法の正義がどこにあると問われることになったのではと思うのです。

 

本日午後4時すぎに配信された共同通信記事は簡潔ですので、その背景事情について毎日記事を引用しながら追っていきたいと思います。

 

原告は<脳性まひの浅田達雄さん(70)>毎日の高橋祐貴記者の取材に応じて話しています。<「重度障害者が人間らしく生きたいと願うのは、許されないことでしょうか」。岡山市内の自宅で、電動車椅子に座った浅田さんは机上の文字盤をゆっくりと指した。

浅田さんは手足などに重度のまひがあるが、1人暮らしをしながら原稿のパソコン入力など仕事もしてきた。>すごいですね。私の依頼者だった方にも交通事故で手足が不自由でもPCを巧みに動かし、手足の不自由な人用に改良した車両も運転したりできますが、いろんな不便を抱えています。その方を見ていると、浅田さんの大変さもある程度理解できます。

 

当然、一人だけで生活はできませんね。浅田さんも<年齢と共に家事や入浴など生活全般で介助が必要になり支援法に基づいて月249時間の介護を受けていた。低所得のため自己負担はなかった。>といのです。

 

<状況が一変したのは2013年2月。65歳の誕生日の3日前、支援法の介護サービスの打ち切りを伝える市の決定が突然届いた。>理由は次の事情によるのです。<同じサービスがある場合は「保険優先」という現行の社会保障制度の原則がある。支援法にも「介護保険で同様の給付を受けられる時は、自立支援給付を行わない」という趣旨の規定があり市は厳格に適用していた。>

 

<浅田さんの収入は月約15万円の遺族年金だけ><ボランティアによる支援では限界があり>結局、<翌月にやむなく介護保険の利用を申請した。>その結果<介護保険は原則1割の自己負担で月1万5000円が掛かる。>この負担は浅田さんの収入にとっては極めて大きいですね。

 

それで<浅田さんは13年9月に「障害者が高齢かどうかで扱いが異なるのは、法の下の平等を定めた憲法に違反する」と訴えて提訴した。>これに対し、<市は打ち切り処分を見直し、支援法による介護サービスを認めたが、時間が十分でなく、浅田さんは今も介護保険を利用している。浅田さんは「市は『支援法で決まっているから処分は正しい』と主張し続けた。弱い者いじめではないか」と訴える。>

 

このような問題は全国に起こっているわけで、<65歳に達した障害者を巡り、国は2007年に「一律に介護保険優先とはしない」と通知し、自治体に柔軟な対応を求めている。>

 

その結果、<自治体の運用改善が進み、岡山市は15年2月から個別事情に応じて支援法のサービス利用を継続できるよう方針転換し、千葉市なども改善した。>というわずかな前進があったようです。

 

障害者保護の精神が、高齢者ということで一括りに取り扱われ、負担強化になり、その精神がないがしろにされることを、なぜ行政は意識できないのでしょう。

 

むろん高齢化により手足が不自由になり、あるいは認知症状になることは、障害を抱えてきた人と、ある面では類似する側面があるかもしれません。しかし、単純に高齢者になったことを理由に機械的に介護負担を求める取り扱いに公平性や合理性があるとは思えません。

 

共同通信記事<65歳で無償打ち切りは違法 障害者支援法の介護、岡山地裁>では、<65歳を境として障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)に基づく無償の訪問介護が打ち切られ、介護保険の利用で一部の自己負担が生じたのは不当だとして、岡山市の脳性まひ患者浅田達雄さん(70)が市の決定取り消しなどを求めた訴訟の判決で、岡山地裁は14日、請求を認め、65歳時点にさかのぼって支援法に基づく給付を命じた。>とのこと。

 

具体的な判断根拠については、明日の記事にでも期待しましょうか。重要な裁判例ですから、判例データベースにも搭載されると思われます。その時点で改めて検討してみたいと思います。

 

それにしても岡山県議でしたか、政務活動費をつかって調査旅行をやっていながら職員に報告書を書かすような、情けない議員活動と職員の杜撰な対応がまかり通っていることと対比すると、本件は岡山市の事例ではありますが、岡山県・市ともに襟を正して欲しいものです。

 

30分で済ましたせいで引用ばかりになりました。今日はこのへんでおしまい。ま他明日。


家庭内・性的虐待 <消えない傷 性的虐待に遭って1~5連載記事>を読みながら

2018-02-25 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180225 家庭内・性的虐待 <消えない傷 性的虐待に遭って1~5連載記事>を読みながら

 

人間の行いというものはわからないものだと思います。善人のような振る舞いをしている人が、組織内部ではパワハラ、あるいはセクハラをしていることもありますね。本人自身がその2重のような人格を自覚していない場合もあるのかもしれません。そういう悪行に抗議したり責任追及する道はいまなお狭い門ですね。アメリカで起こったMeToo運動自体、それを証明しているように思えます。

 

それが社会だ、それが人というものだという割り切り方もあるかもしれません。その悪行によって一生苦しみ地獄のような苦痛から離れられないでいる人に思いを抱けないことに問題があるように思うのです。とりわけ親子間・親族間といった家庭内で起こった場合は極めて深刻ですね。そのことを毎日連載記事<消えない傷 性的虐待に遭って>はかなりの程度リアルに迫っています。

 

少し話しが飛んでしまって申し訳ないですが、この話題を取りあげるのに躊躇しつつ、昨夜録画していた映画『チャイナタウン』を見て、私なりの視点で考えてみようかと思うようになりました。

 

実はこの映画、日本での封切りが75年ということですので、その頃映画館で見たのかもしれません。まったく内容もキャストも覚えていませんでした。ただ、私立探偵が何か水利権をめぐる不正を発見したり、殺人事件の真犯人を追い詰めるとか、サスペンスアクションとして優れた作品だったような記憶でしたので、再び見ることにしたのです。

 

私立探偵役がジャック・ニコルソンで、最近はユニークな老人役ばかりを好演していますが、彼の若々しい、それもしっかりした体格で、ま、やり手の私立探偵、あの作家レイモンド・チャンドラーが生み出したフィリップ・マーロウにぴったり(ハンフリー・ボガートが演じていますがあまり似合わないと思っています)でした。実はこのチャイナタウンもマーロウが活躍する内容だと勘違いしていたのです。

 

ともかく映画の内容をあれこれ書いていると本題に入れませんので、内容は省略して、最後の圧巻こそ、この中身の不条理を見事に表しているように思えました。それはLAで巨大な権力をもつ父親にレイプされ子どもを宿した娘が、その粗暴な父親から、自分と子どもを守るため、隠れ家で子どもを育てていましたが、父に発覚されることになり、さらに私立探偵の協力を得てチャイナタウンに一時避難しましたが、結局、父の一味に捕まりそうになり、逃れようとしたところ、誤って警官に射殺されるという酷い顛末でした。

 

あまりきちんとしたストーリーの説明になっていませんが、要はジョン・ヒューストン演じる父親が傲慢で、暴力的、市の水利権事業を私物化して、砂漠化した土地を安く買取り、その後にダム建設をさせて用水させて高価な土地に化けさせるような事業を行う悪徳業者です。さらに脱線しますが、これは1930年代のLAを舞台にしていますが、この暴力的で、家庭内虐待、場合によっては性的虐待が、いまなお起こっているように思えるのです。

 

それはいまアメリカで起こっている小学校から高校、大学内での銃乱射事件の増大について、トランプ大統領は、教師に銃の訓練をさせて銃を携帯させればいいというのですね。このような暴力的な解決しかないと、少なくとも相当数のアメリカ人が考えていること自体、私には家庭内暴力の温床となっていると思われるのです。むろん飛躍はありますが、言論による解決をという、言論の自由より、銃所持の自由に固執する態度を見る限り、アメリカ人という多くの人に、そのような懸念を感じています。

 

その意味では家庭内の性的虐待や暴力などに対して、アメリカではかなり早い時期から警察を含めて取り組んできたと思います。それくらい家庭内に深刻な問題があり、自分たちだけでは解決できなかったからでしょう。

 

ではわが国はなかったのか。む、これは難しい問題ですが、渡辺京二著『逝きしの世の面影』では、異邦人の目で両親とも子どもをかわいがる姿がリアルに描写されています。たぶん多くはそうだったのだと思います。明治期の西欧化によるストレスや、戦後の経済成長のストレスなどがない時代は、性的虐待はさほどなかったのではないかと思っています。むろん古代から人身売買があったわけですから、とりわけ厳しい経済的条件の下にあった両親の場合子どもを物のように扱った人もいたと思いますが、性的虐待まではあまりなかったのではと推測します。

 

家庭内の性的虐待は、もしかしたら明治時代に提唱された大家族主義、過度に父親の権限を認めた、あるいは勘違いした家制度の誤った理解で増大したのかもしれません。

 

戦前の古い戸籍の中に、複雑な人間模様が記載されていますが、私生児といった言葉も、婚姻できなかった男女の間の子だけでなく、そういった親族間で生まれた子も含まれていたように思うのです。むろんそこに二人の真摯な合意があればそれはそれで、たとえば中大兄皇子が妹と恋仲だったと言われるように、昔からあることですので、私なんかはあまりどうこういうつもりはありません。しかし、通常は、親子や伯父姪といった関係は戦前のわが国では明確な支配服従に近い関係にあったように思われます。その場合は平等な関係での合意が成立しないもので、いかなる性的接触も許容されないでしょう。

 

ところが、すでに家制度がなくなったにもかかわらず、わが国では常に年齢が話題となり、長幼が意識されます。長男次男とか、長女次女とか。伯父と叔父とか。欧米ではファーストネームを呼び、あるいはブラザー、シスターと呼ぶだけで、エルダーをつけないように思います。私が親しくした家族もそうでした。狭い範囲の経験ですが、わが国にはまだ若い人の間にもそのような意識が残っているように思えます。

 

むろん年齢差を意識してもいいですし、性差も意識しても良いですが、それが婚姻し夫婦となった途端、家に嫁いだ「嫁」と呼ばれたり、子どもは自分の稼ぎで育てているといった意識になる人もいます。

 

毎日記事は、詳細に「消えない傷」をどうケアしていくか、その傷をどう癒やしてかいふくさせていくかという点でとても有益な情報を提供しています。私自身、とても参考になりました。それは末尾にタイトルだけ掲げておきますので、参考にしていただければと思うのです。

 

他方で、私が饒舌に一つの見方を書いたのは、その原因をなくすことこそ、予防策こそ、最も有効な方法だと思うからです。それは関係する人ならだれも思っているでしょう。ただ、その方策が見えていないのでしょうか。

 

連載3で指摘しているように、保護者の父らは無意識に(むろんそういう事実を認めない場合が多いと思いますが)性的虐待を行っている場合もあるでしょう。他方で、児童ポルノを含め、いま世の中はポルノを賛美ないし助長するような情報が満ちあふれています。これまた取り締まりが追いつかない状態ですね。

 

学校現場で、早い段階からこの問題を取りあげ、父親などの言動に問題があれば異議を言うことが大事だと言うこと、それこそ子どものけんりであることを学ぶ機会の提供を真剣に考える必要を感じます。この危うい性的誘惑情報が氾濫して、しかも家制度の残滓を抱えた男性がいまなお相当数いる状態を看過できないように思うのです。

 

児童に対する虐待については、保護者に原因があることが多いわけですが、性的虐待については、他の外部に現れる身体的虐待や、経済的虐待、遺棄などはそれなりにわかりやすいのに対し、性的虐待についてはより難しいことが毎日記事でも指摘されています。

 

最も卑劣な行為をしているにもかかわらず、見逃されているおそれが少なくない点に私たちも注意する必要があるのでしょう。

 

今回は連載記事のタイトルだけ上げておきます。

消えない傷性的虐待に遭って 第3章/1 風呂は恐怖の時間

消えない傷 性的虐待に遭って 第3章/2 改正刑法でも「救われない」

消えない傷 性的虐待に遭って 第3章/3 罪の意識ない加害親

消えない傷 性的虐待に遭って 第3章/4 「少し変な話」は大事なサイン

消えない傷 性的虐待に遭って 第3章/5止 回復を後押し、自助グループ

 

とりとめもない話しとなりましたが、この記事の内容自体は重要な情報が含まれていて、一度は読んでおく必要があるように思うのです。

 

本日はこれにておしまい。また明日。


DV・セクハラを考える <婦人保護事業、現場求める「新たな法整備」>と<記者の目 世界に広がる#MeToo>などを読みながらふと思う

2018-02-09 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180209 DV・セクハラを考える <婦人保護事業、現場求める「新たな法整備」>と<記者の目 世界に広がる#MeToo>などを読みながらふと思う

 

午後の打合せの前に、法テラスから電話があり、以前受けた案件についての照会でした。一瞬、名前を聞いて聞き覚えがあるものの、どうだったか忘れていて、ファイルを見ると2回相談を受け、法テラスでは3回無料相談できることを説明して、連絡を待っていたということがわかりました。本来は各相談ごとに相談票を法テラスに送ればいいのですが、依頼があった段階で一緒に送ろうと思って忘れていたため、法テラスから事件の進行具合について問い合わせがあったのです。

 

私もこれまで一つの案件で3回も無料相談を受けたことがなかったので、相談者の本気度も気になるところでした。

 

とはいえ、案件はDV事件で、ある意味、DV法に基づく対応が求められる事案でしたが、いろいろな事情があって、相談者が躊躇されていて、また、2度目の相談で事実関係を確認しているとDVの中身も曖昧さが残っていたため、慎重な判断が求められるかなと思っていました。

 

そういう前置きはこの程度にして、本題については、毎日朝刊に2つの記事があり、いずれも興味をそそられました。

 

ひとつはDV保護策に関連する<くらしナビ・ライフスタイル婦人保護事業、現場求める「新たな法整備」 時代に合った女性支援を>です。もう一つはセクハラに関連して世界中を席巻しているMeTooです。<記者の目世界に広がる#MeToo 小さな声を積み上げよう=中村かさね(統合デジタル取材センター)

 

前者の記事では、<DV(ドメスティックバイオレンス)、性虐待などの暴力被害や貧困、障害--。生きづらさを抱える女性を支える「婦人保護事業」について、支援現場から「現行制度ではニーズに対応しきれない」と新たな法整備を求める声が高まっている。事業は1956年に制定された売春防止法を根拠とするが、60年以上経てもほとんど骨格は見直されていない。課題を探った。【反橋希美】>と「婦人保護事業」の実体と課題に迫っています。

 

当該施設について、<関西地方にある婦人保護施設を訪ねた。静かな住宅街で幹線道路から奥まった場所にあり、一見してそうと分からない。>

 

<この施設には、社会的な自立に向けて中長期的に支援する「措置入所」のほか、DVなどの暴力被害者やその子どもの「一時保護」の二つの機能がある。>としつつ、

<この施設では、措置入所者の約9割が暴力被害者で、6割弱に何らかの障害がある。ただ定員に対する利用率は4割に満たず、施設長は「社会状況を見れば、支援を必要とする人はたくさんいるはずなのに届いていない」と訴える。>と課題の一つをあげています。

 

このような実態について<婦人保護施設は婦人保護事業の実施機関の一つで、現在39都道府県に47カ所ある。厚生労働省の2015年度の調査によると、措置入所の利用率の平均値は26%。婦人相談所だけに入所措置を決める権限が限定されている▽福祉窓口に存在が知られていない▽一部施設は老朽化しており使いにくい▽職員不足で、これ以上入所者を受け入れる余力がない--などの事情が指摘される。>

 

施設の保護機能が機能していないことが明らかとなっています。

 

ところで、上記の貧弱な実態の背景として、記事では根拠規定が売春防止法である点を指摘しています。

 

たしかに、この施設の法的根拠が売春防止法であり、それが内閣府男女共同参画局のホームページで、<配偶者からの暴力全般に関する相談窓口>として、<婦人相談所>も<婦人保護施設>も紹介されていますが、根拠法として売春防止法を明記しています。配偶者暴力防止法を一緒にあげていますが、この内閣府の感覚に異常さを通り越して、DVに対する差別意識ないしは誤った家族観が潜んでいるのではないかと、感じざるを得ないのです。

 

売春防止法が機能する社会的事実と、配偶者暴力防止法が機能する社会的事実は、大きく異なりますし、後者はあくまでプライベートな閉鎖的関係で受ける一方的な被害者であり、その保護です。それを同じ相談所、施設で取り扱うこと自体、到底、適切な対応とは言えないでしょう。

 

改正の動きがようやく動き出したようです。<全婦連は16年春、幅広い女性のニーズに合わせるための新法「女性自立支援法(仮称)」の骨子をまとめ、昨年3月には厚労省に婦人保護事業の抜本的見直しと新法整備を求める要望書を提出。>と。

 

また与党や厚労省も検討に入ったようですが、上記に内閣府のスタンスを見る限り、見通しが暗い状態です。それはなぜか、それこそその背景事情に食い込む必要があるでしょう。

 

私は、四半世紀前ころ、売春防止法違反事件をいくつか継続的に担当していました。いずれも組織的な団体による外国人が行うものでした。日本人女性の場合もあるでしょうけど、数としては当時でも少なかったように思います。その外国人はいずれも若く、農村から女衒のような人に売られてきた人ばかりでした。むろん自らの意思で売春を行っていたわけでなく、気の毒な人たちでした。彼女たちの保護は、それぞれの国がしっかり対応する必要があると思いますし、実際、強制送還となり、わが国の婦人保護施設に入所することはなかったです。毎日記事にもあるように、わが国の施設に入所する売春防止法対象者はわずかです。その施設利用の目的も異なるわけですから、一緒にすること自体、早期に解消・改善すべきでしょう。むろん売春防止法の施設利用自体、早急にやめるべきでしょう。

 

ここには女性に対する差別意識がなお、根強く残っていることが影響しているかもしれません。いやそうではないかと思うのです。(むろん女性が男性にDVすることはありますが、いくら草食男性が増えたとは言え、まだ割合的には希有というか少ないことは間違いないでしょう。)

 

それがわかりやすいのがセクハラの潜在的汎用性というか強固な実態でしょう。次の中村かさね記者の「記者の目」はセクハラの根強さ、それに異議を述べられない暗黙の社会秩序が少しだけ赤裸々になったといえるでしょう。

 

<#MeTooが米国で台頭した昨年10月、くしくもフリージャーナリストの伊藤詩織さん(28)が、元TBS記者から性暴力を受けたとして日本外国特派員協会で記者会見した。そこで彼女が口にした言葉が忘れられない。「自分の中で唯一クリアだったのはこれ(自分の体験)が真実であり、自分でそれにふたをしてしまったら、真実を伝える仕事であるジャーナリストとしてもう働けないと思った」>

 

伊藤さんのように発言しようと思うことさえ、意識できない、意識したとしてもためらい我慢するのが、わが国だけでなく、女性進出の先進地である欧米でも相当の程度であるわけですから、わが国においては、深刻な実態が隠れたままであると思われます。

 

実のところ、田舎で暮らしていると、ときどきそのような言動を見かけることがあります。知り合いであれば、後で注意しますが、ほとんどが無意識のうちに、加害者意識も、被害者意識も、薄れた状態で、行われているように思うのです。

 

私のところに相談に来る女性側は、たいてい、長い間その苦痛に耐えてきたというのです。ま、これは家庭内DVですが、それは職場や社会でも異なる男性から受けてもいるのです。

 

なぜ人は、ときとして人を差別して、支配者のように振る舞うのでしょうか。多くは普通の善人といわれ、信頼度も高い人ですが、ときに(あるいは一方で)そのような言動が行われているのです。

 

この問題は人間心理、あるいは社会構造なり、より丁寧な議論が必要だと思います。法的な制度だけでは解決できない問題ですが、法制度がその改善に向かって一歩も二歩も進める手段でもあるでしょう。

 

ところで、そんなことを考えて少しウェブ情報を検索していたら、見覚えのある名前にぶつかりました。どうやら研修所の同期でたぶん知っている人ではないかと思うのですが、卒業して長いので、判然としません。ともかく鋭い指摘をした論文を書かれていて、参考になりましたので、<「権利のための闘い-DV・セクハラをめぐる法と裁判」 小島妙子>を取りあげておきます。

 

小島さんの言葉の中で、とくに共感したのは次の部分です。セクハラ・DVについて<その本質は「いじめ」であり,「同一集団内(学校,職場,家庭,地域,社会等生活や活動の場を共有する人間の集合体)において,優 位にある者が劣位にある者に対して,主観的・客観的にかかわりなく,一方 的・一時的もしくは継続的に,身体的・精神的・社会的苦痛を与えるもの」 である。>

 

ま、そのほか、この分野では相当活躍されているようで(私が最近関わるようになったビギナーとはだいぶ違います)、蘊蓄のある指摘をされていて、参考になります。

 

そろそろ一時間が過ぎましたので、頃合いの良い時間となりました。また明日。


だれもが快適に <くらしナビ・ライフスタイル UD、みんなのために>を読みながら

2018-01-27 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180127 だれもが快適に <くらしナビ・ライフスタイル UD、みんなのために>を読みながら

 

資本の論理は一言では言えないのでしょうけど、大多数が欲しいものサービスを大量に提供することで、安価に多くの需要に応え、その結果資本が自己増殖する、そして先達者が資本利益を独り占めするため次々とあらたな商品サービス・システムを生み出していくといった風な印象をもっています。

 

その結果は当然、一定の規格に合わない少数者の利益はどうしても無視ないし軽視されることになるのでしょう。むろん資本主義を補完する役割を持つ社会福祉思想はそういった少数の利益をカバーするために、一歩も二歩も遅れた位置で、その少数者の利益のために機能し、公的補助をバックに、事業化も一定限度で進んでいくのでしょう。

 

このような構造は、遅くとも明治政府が近代化の名の下に、西欧資本主義を導入した時点から問題構造を抱えていたように思うのです。それは「維新」といった魅力的な言葉の裏表かもしれません。

 

視覚障害のある方、聴覚障害のある方、さまざまな身体障がいのある方、知的障がいのある方、精神障害のある方、その他資本主義経済として邁進する中で、長い間無視ないし軽視された人たちに対し、次第にその生活を支援するために法整備や事業整備が亀の歩きのようにわずかずつ進んできたように思います。

 

それは私たちの意識もいつの間にかそれが当たり前になってしまっているように思います。

 

今朝の毎日記事<くらしナビ・ライフスタイルUD、みんなのために>で、曹美河記者が伝える内容を読みながら、ふと以上のような感想をもってしまいました。

 

<UD(ユニバーサルデザイン)>はいつ頃から耳にするようになったのでしょうか。かなり前のような記憶がしています。記事では<米国のバリアフリー建築の専門家、ロナルド・メイス氏が、1980年代に最初に提唱したとされる。>そうですね、私も80年代に耳にしたり、そのようなデザインをどこかで体験したような記憶があります。

 

ところがいまそれが話題になっています。

<2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて、誰もが使いやすい「ユニバーサルデザイン(UD)」に関心が高まっている。しかし、この言葉を耳にしても、自分には関係がないと思っている人もいるだろう。私たち一人一人にできることを考えたい。>と。

 

だいたいわが国では、UDという言葉どころか、そういったデザインも意識も長く片隅におかれてきたように思います。それ自体を恥ずかしく思う意識すら醸成されなかったのですね。私は維新以前では違っていたのではとか、あるいは戦前でも違っていたのではとか、思ったりします。

 

<UDを「障がい者や高齢者のためのもの」と考えるのは誤解だ。本来は、年齢・性別・能力・環境にかかわらず、できるだけ多くの人が使いやすいように考慮して、製品やサービス、環境をデザインすること。社会を構成する全ての人に関わる考え方なのだ。>

 

たしかにそれがより正しい理解なのかもしれません。バリアフリーといった極めて対象を制限し、その機能改善も限定的で、しかもハードを重視しているため、他の人は我関せずという意識をさらに固定化させた印象すらあります。90年代このバリアフリーの設備が先端的な地域で導入されたとき、そういう不安を感じていましたが、わかりやすい反面、多くの人の理解を得にくい状況をつくった可能性があります。

 

UDの提唱者はより自然な発想で誰にでも役立つデザインを唱えたのですね。

<ポリオの後遺症があったメイス氏は車椅子ユーザーだった。バリアフリーは、多数派向けに作られた社会環境から、特定の「社会的弱者」にとって使いにくい障壁(バリアー)を取り除く(フリー)という考え方。これに対しメイス氏は、そもそも最初から「みんな」が使いやすいデザインを目指そうと考えた。>

 

具体例が紹介されています。

<例えば鉄道駅。階段脇に設置された車椅子専用の昇降機はバリアフリーではあるが、UDとは言えない。つえをつく高齢者、妊婦、ベビーカーユーザーは使えないためだ。多くの人にとって便利なエレベーターの方が、よりユニバーサルと言える。ホームの転落防止柵や外国人にも分かりやすい案内表示、乗降しやすいノンステップバスも例として挙げられ、さらなる普及が急務となっている。>

 

あの車椅子専用昇降機は、まさに日本的意識・技能の産物でしょうか。そこにはバリアフリーの対象を車椅子の方だけといった発想、意識を前提としていて、それ以外の弱者というか、社会生活でなんらかの制約を感じたり受けている人の立場は無視されていますね。むろん予算の問題もあるでしょうけど、こういった予算を審議したり立案する議員・官僚に国民の声を幅広く聞く土壌がなかったといえるかもしれません。車椅子議員がこういった福祉行政を推進した功績は大と思いますが、他のさまざまな弱者に対する意識がその分、十分でなかったように思います。それはその議員だけの問題でなく、他の議員・官僚なりがUD思想をしっかり意識して活動していなかったことに問題があったように思います。

 

80年代から90年代には、LRTなど、電車もバスも、ノンステップが当たり前になっていたのが欧米の状況ではなかったでしょうか。

 

むろんUDも資本主義社会において市場化、事業化の成否が鍵です。わが国ではその意識が長く生まれてこなかったため、そのような事業化の試みもきっと提案段階で却下されてきたのかもしれません。

 

とはいえ、最近は新たな動きが出ていますね。

<関根さんは「UDにこそ技術革新の芽があります」と指摘する。曲がるストローは、入院患者や体が不自由な人も飲みやすいようにデザインされた。視覚障害者が利用する音声読み上げ機能はスマートフォンに内蔵されると高齢者を中心に大ヒットした。ニーズの強い人に配慮することで、多くの人にとって便利なものを生み出した例だ。>

 

たしかに<音声読み込み機能>は最近知ったのですが、間違ってどこかをクリックしたら突然、ニュース内容が音声で流れました。音声入力も、昔と比べ認識力は格段に向上しています。こういったスマホのアプリ機能は視覚障害や聴覚障害の方には有用だと思います。

 

最近は、たいていの講演会場に手話通訳の方が脇に立って、一生懸命手話で講演内容を表現しています。ただ、一般の講演なら内容も伝わると思いますが、少し専門的になると、どこまで伝わっているのか心配になることがあります。もう10年以上前ですが、日弁連のシンポでも、手話通訳は常にお願いしていましたが、さらに速記官に依頼してタイピングしたPCの内容がスクリーンに投影する方式をとったことがあります。内容が相当専門的でしたが、原稿の概要とかを渡していたこともあり、的確に表現されていました。

 

聴覚障害や視覚障害のある方が、こういった会議に参加できる最低限度の準備が少しずつ増えてきましたが、音声認識アプリなどがあれば、より安価にだれでもが使えるわけですから、期待したいツールですね。

 

UDの商品や建築・まちづくりのデザインは次第に普及していくと思います。しかし、問題は私たちの意識が変わらないと、意味がありませんね。

 

ある取り組みが紹介されています。

<「ハード(設備)はなかなか変えられなくても、ハート(心)は今すぐ変えられます。段差をなくすのは難しくても、段差を乗り越えるためのサポート方法は学べます」>

 

それは<「ユニバーサルマナー検定」>というもの。

<検定は日本ユニバーサルマナー協会が主催し、UDコンサルティングを手がける「ミライロ」(大阪市)が運営。障がいのある社員による講義や、足腰の弱った高齢者の状態を疑似体験する実技研修もあり、多様なニーズを理解して「今すぐできるサポート」を身につけることを目指す。座学のみの3級、実技と試験が必要な2級、それぞれ認定証が発行される。>

 

その具体的な方法は気遣いのマナーを身につけるものです。

<ミライロが考えるユニバーサルマナーとは、自分と違う多様な人々の視点に立って行動すること。岸田さんは「目の前の人は、障がい者や高齢者である前に一人の人間。例えば車椅子ユーザーでも必要としているサポートは一人一人違います」と強調する。押してほしい人もいれば、できるだけ自分でこぎたい人もいる。「まずはひと言『お手伝いできることはありますか』と声をかけ、ニーズを聞くことが大切です」>

 

これを読んで、以前このブログでも取りあげたフランス人イブ・ジネスト氏が提唱する「ユマニシュード」を思い出しました。

 

もっぱら認知症の患者を対象に、人としての接し方を通じて、その人がもっている人間力の回復を生み出す方法です。それは認知症にかぎらずあらゆる疾病の方にもあてはまる方法です。

 

相手の方をその方の立場でしっかりと見つめる。話しかける。それは自分が相手に対し行う一つ一つの所作をその順番に、事前に行うのです。相手の方に機械的な扱っていないことを理解してもらうのです。また触れることを大事にします。それは掴むことを禁じることでもあるのです。相手の方が動けないとき、どうしても掴んでしまいますが、そうではなく触れて、相手の方の自らの動きを誘って、その動きを支えるというのです。そして歩くことを大事にします。車椅子の方でも、ジネストさんが働きかけると自分で歩き出そうとするのです。これは介助者も驚き涙ぐむほどでした。人は秘められた力を死ぬまで持ち続けることができるのを、この人は障がいがあり、この機能は使えないと勝手に考えて、そういう前提で機械的に介助者なりの感覚でやることが問題になるわけですね。

 

いかに相手の気持ちにそうか、それはやはり私たちも学ぶ必要があるように思うのです。

という私も認知症の母にわずかの期間ですが、ジネストさんのような方法で接する努力をしました。むずかしいですね。一朝一夕にできることではないです。

 

そんなことを考えさせてくれたUD報道でした。また別の機会にも取りあげたいと思います。


障害と不幸と差別 <NHKおはよう日本 相模原障害者施設事件被告との面接報道等>を見ながら

2018-01-25 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180125 障害と不幸と差別 <NHKおはよう日本 相模原障害者施設事件被告との面接報道等>を見ながら

 

今朝は、この冬初めてといってよいほど、外は銀世界。朝目覚めたとき寒さを感じたので、少しは冷えたかなと思いましたが、見事に道路もどこも白雪で覆われていました。といっても数㎝程度ですので、スノータイヤはまたしても必要がない程度。とはいえ安心なので坂道も普段通りに運転してきました。

 

温暖化どころか、短期的な間氷期という意見もあるとか・・・そういえば映画“The Day After Tomorrow”では突然の氷河期がやってきて極寒の北アメリカを描いていました。気象変動現象ですから、その一環としてはありうる想定で、トランプ氏のように温暖化はフェイクだといった議論の根拠にはなり得ないでしょう。

 

ところで、今朝のNHKおはよう日本では、横濱拘置所が突然、報道されました。昔なんども通ったところで懐かしい?感覚を覚えつつも、内容が深刻な物でしたので、NHK記者の熱心な取り組みに感心してしばらく見ていました。

 

取材対象は、あの相模原障害者施設事件(相模原市の知的障害者施設で重度障害者19人を殺害し、27人を負傷させた)の被告人です。かれは障がい者は不幸を生み出すとか、死んでも良いと事件前後から公言してきました。このことについて、反論ばかりか賛成するような意見もネットで拡散されたようで、社会的な反響は大きかったと思います。

 

記者は、事件後1年半を経過した中で、これまで手紙のやりとりを通じて、被告人の真意を問いただそうとしましたが、手紙でははっきりせず、何回かの面会申し入れの結果、ようやく拘置所での面会を果たして、直接彼の声を、話しを確認したレポートでした。

 

彼の答えは、同じでした。亡くなった方、深い傷を負った方や遺族・家族の方に対して、反省の気持ちを確認しましたが、彼には自分が正当なことをした意識に変わりがなく、そのような気持ちは示すことがなかったそうです。

 

ある意味、いま問題になっている優生思想が彼の心を支配しているようでした。それを報道することの是非も、NHKで検討したのでしょうけど、そのこと自体は議論されませんでした。

 

彼がなぜそのような考えになったかを聞いたところ、彼は施設内の風呂で溺れそうになった障がい者を必死に助け出したのですが、家族からはなんのねぎらいの言葉もなく、無視されてしまったことから、本人は意思疎通できないし、家族も助かって良かったとは思わないと、考えたことから、障がい者に対する気持ちが変わったようです。

 

その意味では、従来の優生思想が国家からの押しつけであったり強制的な意識付けであったのと違い、彼の中でそのような意識を醸成させたものがあったことが窺えます。

 

しかし、彼の回答をそのまま受け止められるかは疑問が残ります。だいたいその溺れそうになった事件でも、家族の対応といってもすべてがそうだったかはわかりませんし、たまたま安否を確認してきた家族の一時的な感情だったかもしれません。

 

障がい者の家族でも一人一人違います。すべてが同じ気持ちで接しているわけではありませんし、心を込めて接している人でも時に折れることもあるでしょう。そこから、一方的に障がい者は不幸を生み出すとか、死んでもいいといった結論は容易に生まれるものではないはずです。

 

以前にも書きましたが、もう少し彼の家庭環境や育った環境、精神的な障害の有無・程度をも検討する必要があるように思うのです。

 

他方で、記者が彼に、あなたの子どもにそういう障害の子が生まれたら同じ気持ちですかとか、どうですかといったような質問をしたら、彼は一瞬黙って、答えはなかったそうです。

 

優生思想の意識は、通常、自分や家族は、違うというところから生まれるのかもしれません。ナチスでいえば、ユダヤ人は異なる民族だから、自分や家族は一緒ではないと差別化が容易なのかもしれません。しかし、民族は遡ってみれば、突然変異で、それぞれの民族が生まれたのでしょうか。すべて交流・雑婚が濃淡はあってもあるのではないかと思うのです。とりわけ日本人の血統の純潔さなんてものは私には到底理解できません。

 

また知的障がいや精神障がい、視覚・聴覚・発語その他の障がいも、なんの必然もないように思うのです。私たちの生命は偶然に誕生し、偶然の中で死を迎えるように思うのです。それぞれの個体は、神様?でもないわけですから、完全無比な人は存在しないと思うのです。

 

ま、いえば欠陥だらけの人間が社会に存在しているからこそ、ある意味で努力というものが生まれ、挫折に耐え、苦労をして、なんらかのわずかな幸せを求めるのではないでしょうか。幸せは、個々がそう思うことで、どのような逆境に遭っても生まれるもので、ちょっと気を許すと手のひらに貯めた水のように指の間からこぼれ落ちてしまうものではないでしょうか。

 

障がいの子どもを抱えた女性が登場していましたが、障がいの子が生まれたから、不幸になるのではなく、その子への思いを尽くせない、愛せない自分に気づいたとき不幸と感じるかもしれないように思えました。彼女は、障がいのある子とともに、すがすがしい笑顔で人生への希望に満ちているように見えました。むろん苦労は日々、終日、あるでしょう。

 

でも苦労しない人生には幸せはやってこないのではないかと思うのです。はじめから幸せだけの人生はありえないように思います。

 

昨夕の毎日記事<優生思想に「反論」の半生 望まぬ不妊手術受けた女性 故佐々木千津子さん=学芸部・反橋希美>も、旧優生保護法の下、半強制的に不妊手術を受けながらも、自分の個性を、その意思を常に大切にして生きた女性が語られています。

 

また、同様に施設で個人の自由な意思が尊重されない、あるいは一方的に決めつけられる生活を送った女性の話も貴重です。

 

優生保護法の解説は<質問なるほドリ旧優生保護法って何? 同意なしで不妊手術可能 日本は補償応じず=回答・遠藤大志>が参考になると思います。