たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

長寿と援助の在り方 <長寿リスク社会 検証・介護報酬改定/上 生活援助「乱用」に異論>を読んで

2017-08-30 | 医療・介護・後見

170830 長寿と援助の在り方 <長寿リスク社会 検証・介護報酬改定/上 生活援助「乱用」に異論>を読んで

 

久しぶりに電子内容証明郵便を使ったのですが、どんどんやり方が変わるため、なかなか新しいやり方が飲み込めません。高齢者の頭の体操としては少々きついです。20年近く前でしたか、このソフトの開設当初は簡単で便利でしたが、OSやワードもどんどん進化するので、それに追いつくために、ややこしくなってきたというのが私の印象です。

 

世の中、<毎日イノベーション・フォーラム AIやIoT、不可欠に 新技術で社会変える(その1)><AIやIoT、不可欠に 新技術で社会変える(その2止)>なんか読んでいますと、AIもIoTやらIoHなんてのもでてきて、ややこしやが増える一方です。便利にするということですが、はてさて高齢者や普通の頭脳の庶民には手が届かないものになるかもなんてことになりかねません。

 

で、電子内容証明郵便の作成で時間をとってしまい、もう6時半を回っています。それで今日も安直に、重い問題ですが、簡単に要約するべく、見出しの記事を取り上げることにしました。

 

財務省は危機に瀕した(もう破綻寸前?)といわれる財政赤字を削減するべく、福祉分野に大なたを振るかのように削減策を次々と出しているようです。今回は介護のうちの生活援助で、<「生活援助のみ」を昨年9月に90~101回利用した16自治体の21例が並んでいる。「月31回以上の利用者が6626人にのぼる」と「必要以上の提供」だと乱用を強調。1日の「報酬の上限設定」を提案した。財務省は「便利だから使うということではない」と削減案の意図を説明する。>

 

便利だから使うといっても月90回以上も利用したら、ちょっと使いすぎでは、過剰ではないかといわれると、この数字だけ見ればそうかと思ってしまいます。

 

便利で利用するということと、それが過剰だというのとは介護の実態をよくみて判断する必要があるというのが、記者斎藤義彦氏の視点かなと思うのです。

 

たしかに回数が月90回を超えると聞くとそんなに利用回数が必要なの、自分が動くのが面倒だから安いサービスを過剰に使っているんじゃないなんて疑問が湧くのも自然な感覚かもしれません。数字だけ見れば。でも一日3回食事などの世話が必要な人だと、当然な場合もあるでしょう。

 

記者は指摘します。<毎日新聞が16自治体に問い合わせ、人物の特性が判明した80~91歳の10例を見ると、8例が独居の認知症で、1例は早朝から夜まで働く息子と暮らす物忘れの激しい80代の女性だった。最大の101回だった北海道標茶(しべちゃ)町の女性(80)は山間部に住み、軽度の認知症で、元々の疾患のため自発行動が弱く、食事や衣服の着脱に促しが必要だ。町の特別養護老人ホームは100人待ち。町は「回数だけ問題にされるのは心外。やむをえない事例」と話す。>一人で自立して生活できない人がほとんどです。

 

別の例は「在宅介護の限界事例」です。<岩手県八幡平市などで作る盛岡北部行政事務組合管轄の認知症の男性(89)は、2人暮らしだった認知症の妻が入所し、介護していた息子の嫁も入院。精神的に不安定で向精神薬の服薬確認や3度の食事の準備で1日3回、月90回利用した。組合は「特別な事情がある」と話す。厚労省振興課は多くの例が「在宅介護の限界事例だ」と話す。>

 

その実態は施設不足の中、<生活援助で認知症の人が在宅で暮らせる良い例ではないか」と話す。>また<生活援助は利用者を安心させ、生きる意欲を引き出すことを理解すべきだ」と話す。>のであって、きわめて有効な代替策ではないかと思われるのです。

 

ちょっと話が変わりますが、ある施設の実態を探っていたら、施設建設費が何億円もかかっているのですが、それが全額助成金(ただし民間)でした。そんな助成金で施設を増やすより、在宅介護の費用に回すことの方がより効果的といえる場合がすくなくないのではと思うこともあります。

 

そして財務省の議論は砂上の楼閣ではないかと思われるのです。つまり限度額を超えるのはわずかか、ほとんどないのです。意味のない削減論ではないかと思うのです。

 

<財務省が示した例で個人が特定できた14例のうち11例の費用は「区分支給限度基準額」(限度額)以下だった。介護保険制度には元々、「利用に歯止めが利きにくい」(厚労省)ため、要介護度ごとに在宅サービス費用の限度額がある。これを超えた利用は自己負担だ。限度額は2000年の制度発足以来、消費税引き上げに伴い1度、上げられただけで、ほぼ据え置かれている。1人当たりの平均利用額は限度額の約32~65%。超過利用する人は全体の0.2~5%しかおらず乱用とは言い難い。神戸市などの3例は超過分を自己負担する。神戸市は「適切なケアプランに基づいている。本人が限度額を超え自己負担で使うのは自由」と話す。>

 

最後に、生活援助によって生きる意欲を引き出している例を記者は細かく描写していますので引用します(記事では最初ですが)。

 

<「ご飯、しっかり食べて。牛乳も飲んで」。静岡県三島市のアパート。ヘルパーの小林聖子さん(49)が促す。1人暮らしの飯田安夫さん(77)は「うるせえなあ」と笑いながら卵かけご飯を完食、牛乳も飲み干した。「愛のムチだわね」と小林さんも笑う。飯田さんは肺気腫で昨年入院。退院後、生きる意欲が湧かず、食事は残し、薬も飲まず、起き上がれず失禁も始まった。

 ヘルパーが食事の準備や食べるのを促す「生活援助」を始めると、飯田さんは徐々に意欲を取り戻し食べられるようになった。現在、要介護1と認定され週5日程度、朝夕に生活援助を受ける。

 小林さんは朝9時に訪れるとエアコンが利いているかチェック。「夏は熱中症との闘いです」。冷凍していたご飯を温めて卵をかけて朝食に。薬を目の前で飲んでもらう。急いで買い物に行った後、昼食をテーブルに準備。着替えやベッドの様子、ごみの内容など生活ぶりや、携帯電話の充電も確認した。

 小林さんが所長を務める訪問介護事業所「ラ・サンテふよう」は、入院後、施設に短期滞在して食欲が低下、車椅子で「このまま死ぬかも」と話していた女性(89)を自宅に戻し、生活援助中心に食事で元気にさせ、自力で歩けるまで回復させた。「生活援助がなければ施設入所していた。ヘルパーが生活をマネジメントし、安心を与え意欲を持たせる生活援助は在宅生活の基盤だ」と話す。>

 

最後に一言。以前、コペンハーゲンで、在宅介護をしている人からヒアリングをしたりしたことがありますが、基本歩きとか自転車とかで回れる範囲だったと思います。そういう意味では、この在宅介護にこそ、コンパクトシティというか、コンパクトな在り方を真剣に検討してもらいたいと思うのです。

 

30分で引用ばかりのブログでした。今日はこれでおしまい。



 
 

自宅診療ナウ <ドキュメント 訪問診療の暑い夏1~8>を読んで

2017-08-17 | 医療・介護・後見

170817 自宅診療ナウ <ドキュメント 訪問診療の暑い夏1~8>を読んで

 

昔のお医者さんの面影というと、ビートルに乗って、思い革の鞄を持ち、威厳のある格好でやってくるおっかいない大人、というイメージが私のどこかに残っています。

 

戦後初期頃までは訪問診療がまだ田舎では結構あったのかなと思いながら、うっすらした記憶が生きています。幼い頃病弱だった私にはおっかない医師が必要だったのかもしれません。その後長く病院や診療所に行く機会がなく、訪問診療といったことも忘れてしまうようなこの頃です。

 

私が横須賀にいた頃関わったのは医師・看護師グループを中心とする終末期医療を自宅でという実践活動への支援でした。上記の私の危うい記憶を思い起こすこともありませんでした。

 

いま毎日朝刊で連載してる見出しの記事は、すでに8回になり、「訪問診療」という言葉がなにか身近に感じるようになりつつあります。まだ連載記事は続くようですが、ひとまずこれまでの掲載記事を読みながら、訪問診療の実態についてその切れ端を並べて、その将来を少し考えてみようかと思います。

 

と思ったら、最近、腕の痺れが少しでてきており、今日はとくに痛みが強くなる嫌な感じですので、少し手加減して、手短で簡潔にしたいと思います。

 

ドキュメント訪問診療の暑い夏/1(その1) 「虫の知らせ」命救う>では、主人公の<「たかせクリニック」(同大田区)の高瀬義昌医師(60)>について、<「医療のプロだが、同じ人間同士」との思いで、白衣は着ない>と紹介しています。

 

私は白衣が人と人との触れあいを遮断する、人を見ない医師を育てるという面があることを忘れてはいけないと思うのです。

 

訪問診療のスケジュールにない、介護施設に高瀬医師は一人で駆けつけました。そして<異変は、その背中をひと目見て感じた。>聴診器を取り出して診察した高瀬医師、<女性は感染症が疑われた。「キュウハンしますか?」。隣にいた施設長が「救急搬送」を依頼すべきか尋ねてきた。「した方が安全だね」  「虫の知らせ」でここに来た。>というのです。

 

そして<彼女のことは、病歴から処方した薬の効き具合まで頭に入っていた。天候の変化で自律神経や免疫力に影響を受けやすい。「だから、僕の頭の中では彼女に旗を立てていた」。命を救った「虫」の正体は、患者と向き合って得られた多くの「情報」なのかもしれない。車に戻ると「来てよかったあ」とつぶやき、座席に身を沈めた。>

 

これは大変な仕事です。そしてまさに医療の「現場」に終日対応しているのです。

 

続いて<訪問診療の暑い夏/1(その2止) 長い1日「おもしろい」>では、上記の救急搬送の後に向かった<集合住宅の一室。大柄の70代の男性がすり足で出迎えた。先に入った看護師が、血圧や酸素量を測りながら話し始めた。「お酒は飲んでらっしゃらない?」「4月から一滴も飲んでない。足が動かずに怖い目にあったから」。うれしい報告だ。

 ひと足遅れて、先生も話に加わる。最近、検査入院したらしい。「よく勇気を持って病院行ってくれたよ」。病気の正確な診断は治療の基本だが、悪い現実を受け入れたくなくて、病院から遠ざかる人もいる。だから「勇気」とねぎらったのだ。聴診器を当てた後は肩までもみ始めた。「だいじょぶ、優等生! また困ったことあったらすぐ言ってね」>

 

当然ながらまったく異なる環境で、患者の症状も異なります。でも高瀬医師は患者の生活全般を全身で受け止めて診療に当たっているように見えるのです。

 

<朝から13件の診療を終えるともう午後5時近かった。車を降りて出た言葉は「ああ、おもしろかった」。プロとしての達成感と、13人の人生を少しでも支えていることの喜び、だろうか。>いいですね。

 

次の<訪問診療の暑い夏/2 薬の種類、徐々に減らす>は、少し前このブログでも一部取り上げました。

 

今度はアパート。<神奈川県の川崎市内にある2Kのアパートに向かった。80代と70代の老夫婦は、最近訪問を始めた新患。狭い玄関で靴を脱ぎ、台所を通り、6畳間の布団にいた夫に声をかけて、奥の部屋のベッドに横たわる妻から診察にかかった。>

 

高齢者の薬の服用は過剰になっていることが少なくないですね。高瀬医師は<「いい話があんの。糖尿病はよくなった!」。12種類もの薬が出ており、見直しに着手する頃合いだ。まず三つの糖尿病薬、念のため一つ残して二つを消す。高脂血症薬も同様に減らせると判断した。後でクリニックから薬局にファクスを入れれば、2週間分の薬が届けられる。高血圧薬も四つあるけれど、食事の見直しなどでさらに減らせそう。でも、急にはやらない。相手の気持ちを考えて徐々にやっていく。>と患者の気持ちに寄り添いながら誘導していくのです。夫も同様です。

 

薬の適切な服用は年老いた患者には困難なことが少なくないでしょう。高瀬医師はその点もしっかり配慮。< 「じゃあ、ぼちぼち頑張ろう」。部屋を出て車に乗り込むと、夫婦を受け持つケアマネジャーにすぐ電話した。日々の生活を支える介護保険のサービスは、ケアマネが計画する。夫は脳梗塞(こうそく)の後遺症で歩けない。押しつけがましくないように「リハビリできるといいんだけどなあ」と提案する。ケアマネから新たな情報も入る。ヘルパーが促さないと薬を飲めないようだ。>

 

訪問診療は一人の医師・看護師ではできません。多様なサポートが必要です。その核となる一人がケアマネでしょう。

 

続いて<訪問診療の暑い夏/3 「独居で認知症」に挑む>では、認知症患者が相手。

 

状況は<1人暮らしの80代の女性を支えるため、医療や介護の専門職が集まり、親族も交え話し合う。その初顔合わせの日だ。電車が通ると、声はみな大きくなる。認知症だが本人には自覚はなく、病院に連れて行くのが難しい。訪問診療の出番だ。>

 

<「お国はどちらでしたっけ?」。先生はやさしく話しかけた。女性は散歩好きで、迷っては警察に保護される、その繰り返しだという。「入院するとドーンと悪くなる。できるだけ長くここでやれるようにしていきたい。よろしくお願いします」。大きく、はっきりと伝えた。

 6月末、午前8時。クリニックの開業時刻前なので、先生は自分で運転して女性宅に来た。急いだのは、女性が散歩に出てしまうからだ。これまでも何回か「空振り」していた。チャイムを押すと、ケアマネジャーがドアを開け、「前座を務めてました」と笑顔を見せた。よかった、今日は間に合った。あいさつしながら、クリニックのパンフレットを渡す。先生の顔写真が載っているのがミソ。「みかけた顔」になれば女性の気持ちがほぐれてくる。>

 

私も認知症の方、認知症になりかけの方、さまざまなタイプの方を、仕事上、対応してきました。まだらの場合、その方の不安な気持ちを理解しつつ、その動揺する言葉を否定しないで、丁寧に受け止めながら、話を聞いてきました。根気のいることでしょう。

 

高瀬医師の<体温を測る。順調かな……。そう思ったとたん、女性は不機嫌になる。「いったい、どういうことなの!」。カルテをとじた青いファイルを2度3度、左手でたたく。先生は「これはねえ、役所のね……」。こういう時は「役所」という言葉が有効だ。女性も納得してくれた。そのあと先生が「ヘルパーさんに、買い物行ってもらえば……」と言うと、また不機嫌に。「買い物は1人でやりますから。人にやってもらうのは嫌」。ケアマネが「そうそう、嫌なんですよねえ」と素早くフォローした。「善意」がそのまま通じないのが認知症ケースの難しさだが、挑みがいもある。>も参考になります。

 

今度はチーム連携です。<訪問診療の暑い夏/4 留守役、息の合った連携>では<クリニックの患者は400人弱。2週間に1回の訪問が基本だが、その間にも相談の電話は頻々と入る。すべてを先生につなぐことはできないから、看護師の「前さばき」は重要になる。新患が入れば、訪問診療の前に説明に出向き、日常生活の様子を聞き取る。患者が退院して在宅に戻る時の病院との打ち合わせも、看護師が先生の代打ちをすることが多い。>

 

介護施設、訪問介護事業者、疾病に応じた専門医や入院が必要な場合の病院など、など、いろいろな手配連絡が不可欠でしょう。医師一人でできることは限られます。いい仕事は多様な関係者との連携とチームワークによって成り立つのでしょう。

 

そして重要な主役の一人は家族です。<訪問診療の暑い夏/5 肩肘張らず遠距離介護>では<東京都大田区に1人で暮らす山口貴美子さん(96)宅には毎週金曜の夜、大阪から長男、省三さん(68)がやって来る。週末ごとの遠距離介護は2年目になった。>

 

長男さんは頑張っています。<7月1日土曜日の朝9時すぎ、開店直後のスーパーに省三さんが姿を見せた。コロッケを三つに焼き魚2品。野菜の煮物も忘れてはならない。買うものは決まっているから滞在時間は5分ほど。総菜19品、しめて4230円。毎週決まって、ここで1週間分の食べ物を調達する。それが長男の「土曜朝の日課」だ。>

 

母親は訪問診療・看護は受け入れるのですが、<介護サービスは受け入れない。「面倒みてもらうのは嫌だ」。何度勧めてもダメ。最後は土下座までして「イヤ」を貫いた。食事はどうするのか。宅配弁当を頼む手もあったが、ゴミ出しができない。そこで長男の登場となった。>こういう女性、明治(もういないでしょうね)大正生まれに多いのですよね。私の母親もそうでした。

 

長男さんの思いやりもいいなと思うのです。<家族構成を聞かれて「4人です」と答えていた母。父も弟も病気で亡くなってもういないのに。そういえば、家族用サイズの炊飯器いっぱいに、ご飯を炊いている。「お父ちゃんと弟の分も炊いてるんだな」。母は昔の世界に生きているようで、認知症の心配もある。「好きな時に寝て食べて、ゆっくりできる。今が母にとって最後のチャンスかなあ」>と。

 

その家族をも支えないと訪問診療は成り立たないのですね。<訪問診療の暑い夏/6 患者支える家族もみる>では、<「お母さん、夜眠れてる?」。6月末、東京都大田区の訪問診療医、高瀬義昌先生(60)の月2回の定例の訪問診療。区内の夫婦2人暮らしの家に来て、先生がまず話しかけたのは妻の方だった。患者の夫より先に。「少しは。……ワインを飲んでみたんですよ」「お母さん、飲むなら漢方(薬)がいい」。妻はあれっという顔になる。「先生、聞く相手が違います……」

 間違えたわけではない。「患者を支える家族もみる」が先生のポリシーなのだ。「お母さんが先に倒れちゃダメ。倒れたら、お父さんが大変だから」。そう言葉を重ねた。>

 

まさに訪問診療の醍醐味であり、医師の本領発揮でしょうか。

 

帰り際も見事です。<「お父さん、またねえ」。診療を終えると、先生は患者と握手する。親密さを伝えるのと同時に、最後にもう一度、手の震えや関節の硬さなど異変がないか感じ取りたいから。そして見送りの妻にも、車から一言を忘れない。「からだ大事に。奥様の方がね」>と。

 

いつは死を迎えるのですが、自宅が一番でしょう。<訪問診療の暑い夏/7 自宅で最期を迎える>で、みとりをこころ安らかな方法で行われています。

 

<東京都品川区の自宅で、昭子(てるこ)さんは息を引き取った。享年90。大腸がんだったが痛みは少なく、穏やかな最期だった。>

 

<みとりは、痛みを和らげたり体の状態に合わせた食事を考えたり、残りの人生を穏やかに過ごすのに主眼を置く。点滴など「生き続けさせる」措置はしない。ただ、家族にはつらい場合もある。何か食べたそうに見えるし、唇に食べ物が触れると口を動かすこともある。「それって、反射現象なんですよ」。訪問してくれる看護師とやり取りしながら、迷いのあった長男(65)も腹が決まった。

 「9人きょうだいで育った母は、ゆっくり食べたら自分の分がなくなるって、食べるのは速かった」。それが徐々に、何も口にしなくなった。<枯れるように死ぬ>。手渡された先生の自著にあった一文そのままに、午前2時過ぎ、命を閉じた。

 しらせを受けて駆けつけた看護師が昭子さんの体を清め、きれいな姿にしてくれた。そして、亡くなった後も数日間、家で過ごした。病院で亡くなると、人は「遺体」として扱われるが、自宅では少し違う。遺族はもちろん、お世話になったデイサービスのスタッフやご近所さんとのお別れの時間がたっぷり取れた。好きだったフラダンス用の純白のドレスを家族が着せ、見送った。>

 

今回の最後<訪問診療の暑い夏/8 父入院、動けない娘は>では、場所が、<トタンを壁に打ち付けた2階建ての貸家だ。>こういった場所も訪問診療では当然、重要な舞台となるのでしょう。

 

<古希をすぎた父と女性の部屋は散らかり放題だった。畳の床はたわんでいる。食べ物や薬のにおいが混じり合って室内に籠もっていた。確かに退院した父親が、ここですぐ生活するのは難しいだろう。>心配して毎日尋ねてきているという<兄だって仕事がある。>

 

訪問診療の生の現場は、まさにさまざまなヘルプが求められるのです。

 

<「介護保険を申請しようとしたけど、主治医が必要で……」。要介護認定の申請には主治医の意見書がいる。「俺がなってあげる」。先生が即座に請け合う。あとはケアマネジャーと、入院費など費用の相談に乗る人も必要だ。次の訪問先に向かう道すがら車内から親しい税理士に電話を入れ、入院に合わせて家に来てもらうことにした。父親の退院を延ばすよう病院にも掛け合わないと。クリニックの看護師に電話を入れて指示する。

 女性の世話をしていた母親は、数年前に他界した。福祉サービスの手続きもせず、なぜ彼女がふせりがちなのかわからない。障害のある子どもを親がひとりで抱え込むと、その親が倒れた時に困ってしまう。福祉のサービスはいくつもあるが、助けを求めなければ声は届かない。>

 

最後はやはりさすがですね。

 

<訪問の最後には写真撮影をする。「記念写真」ではない。撮っておいてカルテに貼っておけば、クリニックの誰が来ても、患者や家族の顔、その時々の状況がわかる。女性と兄、税理士と先生がうまく納まるよう斜めに<隊列>を組んで並んだ。「救助隊!」。先生がおどけると女性が噴き出し、みんなもつられて笑った。>

 

なんだかんだといいながら、痛みを少し忘れて、高瀬医師の思いに乗り移ったようで、最後まで読んで、引用させていただきました。指先がびりびりしてきました。危ない状況。

 

今日はこれでおしまい。


これからの薬剤師 <地域密着 サポート薬局>などを読みながら

2017-08-12 | 医療・介護・後見

170812 これからの薬剤師 <地域密着 サポート薬局>などを読みながら

 

昨夜というか今朝は気持ちのいい朝を迎えることができました。まいえば、涼しいの一言です。いや、ちょっと寒さを感じるほどでした。それで温度計を見たのですが、25度かとおもったら27度ですから、決して低くない。湿度も70%以上だったと思います。最近、こういった数値はすぐ忘れてしまうのです。大事なことはメモしないといけません。認知症予備軍になりつつあるといったら、仕事になりませんが、メモをしっかりとる方が仕事の正確性を高めることは確かですので、心がけています。

 

それとメールが便利ですね。東京で仕事をしていた20年くらい前から私の依頼者層はだいたいメール愛用者でしたので、これですぐ連絡していましたから、ファックス時代に比べ即応性や大量の図面や写真の送信が格段によくなりました。

 

話題を元に戻して、温度も湿度も高いのになぜ涼しいのか、これが不思議です。風も微風程度でひんやりした風とはいえないのです。わが家がある谷地形とその底を流れる河、背後の広大な森のおかげでしょうか。これはいつか解明できればと思うのですが・・・

 

いまその20年前くらいの事件記録を少しずつ整理しつつあるのですが、なかなか進みません。それで今日も夕方過ぎにこのブログを書く時間になったと気づき、しばらく悩んだ末、見出しの薬局、薬剤師を今日のテーマにしたのです。

 

薬局、薬剤師と聞かれても、医師の処方箋を持って薬局に行き、薬剤師から簡単な説明を受けて薬をもらうという、なんとなく機械的な作業を思い浮かべてしまいます。市販の薬だと、スーパーマーケット内にある薬局というかその区画で、こういう症状だけどちょうどいい風邪薬をくださいといった簡単な会話で似たような薬から選ぶ程度でしょうか。

 

そんなイメージですから、楽天でしたか、薬をネットで販売することを協力に推し進め、ようやく認められたのでしたか。厚労省の平成262月付け<一般用医薬品のインターネット販売について>はネット販売できる医薬品とか、その方法などをわかりやすく解説しています。

 

当然ながら、一般に見かける(いや私がそう見てしまっている偏見かもしれませんが)薬局・薬剤師は、このままだと医師の処方箋による調剤をする以外、将来的には必要なくなるのではと一瞬、思うこともないではありません。

 

でも、薬剤師は本来、薬の専門家です。医師以上に専門的知見を有している場合も少なくないように思うのです。私のかつての依頼者でありよき相談相手であったAさんは元製薬メーカーの研究所所長でしたが、彼は医師は薬のことをまったくわかっていないとよく愚痴をこぼしていました。それはともかく法的にも次のような規定があることをあまり知られてないかもしれません。

 

医師法では医師の業務を割合詳細に規定していますが、22条では、「医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投与する必要があると認めた場合には、患者又は現にその看護に当っている者に対して処方せんを交付しなければならない。」と定めています。

 

そして薬剤師法は全体でも33条しかなく割合簡単ですが、23条で「薬剤師は、医師、歯科医師又は獣医師の処方せんによらなければ、販売又は授与の目的で調剤してはならない。」と医師依存の業務構造になっています。

 

ここで私が指摘したいのは24条です。「薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師又は獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない。」と医師の処方に機械的に従うのではなく、薬剤の専門家として、疑義がないか独自にチェックする役割を任されているのです。

 

当然と言えば、当然ですが、それを的確に行っている薬剤師こそ、本来の役割を果たしているといえるでしょうし、患者を的確に継続的に見ていれば(この見るは観察などさまざまな要素を含んだものだと思うのです)、処方薬剤の複合効果や累積効果などにより、禁忌ないしはそのおそれに気づくこともあると思われるのです。

 

それには単に窓口での簡単な会話ではそのような的確な判断をすることは容易でないことは当然でしょう。

 

私が首都圏に住んでいたとき、日常的に頼りにしていた薬局・薬剤師がいました。彼はまだ若かったですが、研究熱心で、私の生活なども詳しく聞いてくれ、親身になって対応して、適切な薬を提供してくれました。漢方薬もあったと思います。むろん処方箋がないので、調剤まではしてもらっていませんが、彼のような薬剤師なら通っていく気持ちになります。

 

市販の医薬品だと、別に薬剤師は必要ないと考える人もいるかもしれません。しかし、さまざまな病気を抱えている人の場合などは、現在服用している薬の影響を踏まえたうえで、市販医薬品の選択も検討される必要があるのではないかと思うのです。いや、慢性的な病気を抱えている人は、何種類といったレベルでなく何十種類といった薬を処方されている場合もあると思います。

 

その場合、その処方どおりに服用することが簡単ではないと思います。いや、それ以上に、処方が過剰になっているおそれもあるでしょう。その副作用によって健康を悪化させているかもしれません。

 

いろいろ書いてきましたが、要は、見出しの記事にある「健康サポート薬局」は将来の方向性を示すものではないかと期待しています。

 

いま毎日朝刊連載の<ドキュメント 訪問診療の暑い夏>は、医師、看護師、ケアマネなど介護職などがチームを組んで在宅医療・介護に取り組んでいる大変な様子をリアルに活写しています。その中で<2 薬の種類、徐々に減らす>では、多種多量の薬が放置されている現状が明らかにされています。

 

<東京都大田区の訪問診療医、高瀬義昌先生(60)は、・・川崎市内にある2Kのアパートに向かった。80代と70代の老夫婦は、最近訪問を始めた新患。・・「いい話があんの。糖尿病はよくなった!」。12種類もの薬が出ており、見直しに着手する頃合いだ。まず三つの糖尿病薬、念のため一つ残して二つを消す。高脂血症薬も同様に減らせると判断した。後でクリニックから薬局にファクスを入れれば、2週間分の薬が届けられる。高血圧薬も四つあるけれど、食事の見直しなどでさらに減らせそう。でも、急にはやらない。相手の気持ちを考えて徐々にやっていく。>と過剰な薬服用に気づいても細やかな配慮を示します。

 

<看護師が「お薬いっぱいあったよね?」と水を向けると、タンスから出てくる出てくる、薬の袋。「飲み残し」は珍しくないが、よく見ると、「朝食後」と書いた袋に違う種類の薬が入っていたりする。「訪問服薬指導してもらおう」。薬剤師が1回で飲む数種類の薬を1包にまとめ、日付ごとに朝・昼・晩用に「お薬ポケット」に収めてくれる。

 高齢者に関する医療で、いま注目は「多剤併用」の問題だ。厚生労働省が本腰を入れる前から、先生は指摘してきた。6種類以上の薬を飲むと意識障害や肝機能障害などが出やすくなるとの研究結果がある。>

 

私も訪問診療を続けている医師を知っていますが、終日ですし、病院や医院での診療と異なり大変です。知り合いの医師はとっくに高瀬医師より高齢になっているので、体力的にもきついでしょう。今後もこのような訪問診療は必要とされますが、少数の医師・看護師のチームだけに頼っていくのでは成り立たないでしょう。

 

完全な代替機能とはいえませんが、薬剤師も、上記のような問題は訪問すれば、すぐに問題視して、対応することができるでしょう。

 

さて見出し記事では<健康サポート薬局は、かかりつけ薬剤師がおり、地域住民の健康促進を積極的に支援する機能をもつ薬局のこと。国の医薬品医療機器法に基づき、昨年10月から届け出が始まった。>とあります。

 

<具体的にはどんな薬局か。東京都台東区浅草の下町にある「ケイ薬局」をのぞいた。玄関には「健康サポート薬局」の大きな文字が見える。待合室には高血圧、糖尿病予防など各種健康冊子が置かれ、壁にはいろいろな食品に含まれるビタミン・ミネラルの一覧表、塩分摂取の目安が分かる張り紙もある。現在、4人の薬剤師が約360人の患者を受け持つ。介護の相談にも応じるおむつフィッターや管理栄養士もいて、食事や健康食品の指導、介護の活用法なども教える。災害時には安否の確認も行う。>

 

より具体的な業務としては<薬局長の宮原富士子さんは約100人の患者を受け持ち、夜中でも電話相談に応じる。患者の家まで出掛けて薬を届けたり、病状を尋ねたりすることも。他県に嫁いだ女性から「年老いた私の親をよろしくね」と気軽に頼まれ、状況をまめに報告することさえある。「健康サポート薬局は地域住民の健康を支援する情報拠点。自分より年老いた周囲の人たちの面倒を最後まで見るという気持ちと覚悟でやっている」と宮原さん。>

 

こういった薬局ができれば、ネット通販の対象となる医薬品はネットで購入すればよく、薬局は独自の地域密着型の患者サポートを担う一員として強力な助っ人になり得ると期待しています。

 

<厚生労働省によると、健康サポート薬局は全国約5万7000の薬局のうち、398カ所(6月末時点)と少ないが、大手薬局チェーンも参入しており、今後さらに増えていきそうだ。>ということで、経済的メリットもないようですから、まだ進捗率は低いですが、上記の厚労省が問題にする事態の改善になりうるとしたら、より患者側も薬局にアクセスしやすくなるのではないかと思うのです。

 

参考までに厚労省の<薬局・薬剤師に関する情報 かかりつけ薬剤師・薬局について>を引用しますが、この中の<患者のための薬局ビジョン~「門前」から「かかりつけ」、そして「地域」へ~>や<地域包括ケアシステムにおいて薬剤師・薬局が参画している好事例集>は、薬局・薬剤師の皆さんにも新たな方向性として取り組んでもらいたいと期待するものです。

 

今日はこの辺で終わりとします。


前向きに見る <どう変わる医療と介護 2018年度・・・>などを読みながら

2017-07-05 | 医療・介護・後見

170705 前向きに見る <どう変わる医療と介護 2018年度・・・>などを読みながら

 

朝起きて野鳥の声を聞いていたかと思うと、いつの間にか日中の仕事が続き、もう夕方というより630分目前です。

 

いなかでのんびりのはずが、どうもいきません。時間があっという間に過ぎていきます。この繰り返しで年をとるのも早くなるのでしょうか。そしてあっという間に天寿を迎え昇天するのが最高かもしれません。

 

とはいえ、世の中、医療だ、介護だと話題沸騰です。今朝の毎日記事<どう変わる医療と介護2018年度 同時報酬改定 複数サービス、柔軟に提供>では、<「看多機)」>なるなんとも奇妙な言葉も登場、事態は年々歳々、日々変化を続けており、ま、追いつく必要もないですが、少しつきあいたいと思います。

 

この奇妙な言葉について、毎日記事は<認知症や中重度の要介護高齢者が、住み慣れた地域で生活できる介護保険サービスとして注目されているのが「看護小規模多機能型居宅介護」。通称「看多機(かんたき)」だ。>というのです。

 

<訪問看護だけでなく「通い」「泊まり」など複数のサービスを柔軟に組み合わせて使え、医療的なケアが必要な人にも対応できる。>手軽でフットワークがよく普通の人には最も自宅感覚を味わえるいい感じに聞こえます。

 

実際の看多機の様子が次のように表現されています。

<川崎市の住宅街にある民家風の看多機「ナーシングホーム岡上」。政夫さん(仮名、74歳)は個室のベッドに横になり、胃に穴を開けて管で栄養を送る「胃ろう」で昼食をとりながら読書していた。政夫さんの要介護度は最も重い「5」。脳梗塞(こうそく)の後遺症で半身にまひがあり、糖尿病のためインスリン投与も必要だ。腎不全で人工透析のため週3日通院もしている。

 妻(68)と2人暮らし。政夫さんは約3年前に1年間、脳梗塞で入院。退院後は自宅での暮らしを強く望んだ。妻が介助を担い、妻の仕事がある週3日はホームへ通い日中を過ごす。宿泊は月2回、自宅への訪問看護も月1回利用し妻の負担減を図る。「やっぱり自宅はいい。ホームは家みたいな雰囲気。職員との会話も楽しい」>というのです。

 

しかも費用はお手頃。<看多機は、「訪問介護」「通い」「泊まり」のサービスを備え2006年に始まった「小規模多機能型居宅介護(小多機)」に「訪問看護」を加えたサービスだ。12年に「複合型サービス」としてスタート、15年度に名称を変更した。看多機の基本的な月額利用料は要介護度ごとに定額で、1割負担だと1万2341円(要介護1)~3万1141円(同5)となる。>

 

いい感じですが、<しかし看護師など人材確保が難しく、広がっていない。>とのこと。

<課題は「泊まり」「通い」を受け入れる事業所の整備と効率的な運営、看護師の人材確保。横浜市では17年度中に21カ所の整備を計画したが、14カ所にとどまる見通し。担当者は「看護師不足で事業者から手が挙がらない」と話す。>

 

この看護師不足の要因について、<日本看護協会の斎藤訓子副会長は「看護職員の8割は病院や診療所で働く。在宅に関わる看護師の育成が必要だ。また看護師を基準より手厚くして医療依存度の高い人のケアをする事業所を報酬で評価することも求められる」と指摘する。>つまりは、介護分野での看護師の報酬評価が低いようです。

 

<「地域密着型サービス」は、「小多機」「看多機」のほか、24時間対応の「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」▽認知症のグループホーム▽29人以下の小規模特別養護老人ホーム--などがある。>それぞれの地域の実情に応じて配分を決めるのが望ましいでしょう。ところが、<しかし、小多機が全国で4984カ所(昨年4月時点)なのに比べると、看多機は看護職員の確保が必要なこともあってその10分の1にも満たない。また市区町村への周知も十分でないことや、経営の難しさも背景にあるようだ。>とのこと。

 

<同時改定の議論では、看護師などの配置基準や人員確保のあり方について検討される見込み。>ということですが、この記事で取り上げられたような議論がなされそうな雰囲気に見えないのですが、どうでしょう。

 

<、看多機については、みとりまでの対応の評価についても議論されそうだ。>ということですが、それは多くの看護師にとって一定の覚悟というか心構えがないと、厳しいのではないでしょうか。以前、終末期医療として自宅での看取りをする活動に参加していましたが、むろん医師に加えて看護師が主力に活動していましたが、まだまだ少数でした。

 

いま毎日朝刊で連載中の浅田次郎著「おもかげ」は意識喪失状態で臨死に近い患者に対する看護師の心遣いのある仕草・言葉がふんだんにでてきますが、こんな看護師の人がベッドサイドにいたら、私も病院で最後を迎えるのもいいかなと、心変わりしてしまいそうです。

 

病院は嫌いですが、看護師さんのちょっとした気遣いがあると、とても気持ちはれやかになる、場合によってはそれで元気になる?ということもあるんではと思うことも、若い頃はありました。都内でもいろいろな病院で診察・治療を受けましたが、T病院の看護師はだいたいにおいてすてきでしたね。それは昔の話ですが。

 

さてくだらない脇道をしてしまいましたが、もう一つの記事を紹介したいと思います。<私の社会保障論 社会保障の持続可能性=千葉大予防医学センター教授・近藤克則>です。

 

日本は人口減社会で後期高齢者が増大する状況です。このことにどう対応するか、唯一絶対の回答はないでしょう。

 

ただ近藤氏が指摘するように、<後期高齢者が増えると、医療・介護ニーズが量的に増えるだけでなく、質的にも変化する。入院・入所者の増加に加え、高齢者の1人暮らしや高齢夫婦のみの世帯の増加に伴う、虚弱層の生活支援ニーズ、健康層を含む介護予防ニーズなどが増大する。>ことは確かでしょうね。

 

<持続可能性を高めるために「社会保障の見直し」>をどうするかについては、いろいろな見方があるとして、

 

<財源の話を脇に置き、給付や医療・介護サービス提供の側面に話を限定すると、給付見直し=抑制すればサービスの水準が下がり不幸な人が出る。>

<社会保障制度のうち、保健、医療、福祉、年金などの間での配分を変える方法である。>

 

で近藤氏は、<討すべきは事後的な対策から予防的なものへのシフトである。

 

そのうち、<疾病予防が進めば、病気になる人が減り、入院医療費などは減少するだろう。しかし、より長生きする期間の年金が必要になり、その間、のみ続ける高血圧の薬代などの医療費や、寝たきり期間が延びれば介護費用も増える。社会保障費用の総額でみると、抑制できるかどうかは、実は状況次第である。>というのです。

 

他方で、<介護予防は、一石四鳥の社会保障の持続可能性向上策である。死亡する間際まで要介護状態にならない人が増えれば、介護費用は抑制可能である。また、家族の介護離職問題も回避でき、就労を継続できる人が増えれば、その人たちの所得税や社会保険料分の財源確保につながる。>とこちらに軍配を上げています。

 

実際そうでしょう。<さらに介護の専門人材が38万人不足するという問題の緩和にもつながる。何よりも、寝たきりや認知症になるより、元気な高齢期を楽しむ方が本人にとって良い。>介護のやっかいにならないで、天寿を全うできれば言うことなしではないでしょうか。

 

私の母親のように介護の世話になってからでは遅いですが、それでも介護施設に入らず、自宅で頑張っています。私自身、気持ちは介護の世話にならないように、近藤氏のご高説に賛同して、介護予防に心がけ、死は瞬間に迎えたい、あるいは自ら準備して死を迎えたいと思うのです。

 

良寛さんは孤高の人生を歩みましたが、最後はいろんな人の助けを借りたようです。無理をしすぎたのでしょう。私にはそんな無理をするほどの能力も体力もないですので、せいぜい疾病予防と介護予防で、事後対策の医療・介護の世話にならず、天寿を全うしたいと思うのです。これってかなり無理な話でしょうかね。人生一度の経験ですので、小さな挑戦ですが、試してみたいですね。

 

これで30分くらいでしょうか。引用ばかりですが、いい意見は大事にしたいと思います。

この辺で終わりとします。


言行一致の美 <今週の本棚 藻谷浩介・評 『最強の地域医療』=村上智彦・著>を読んで

2017-07-02 | 医療・介護・後見

170702 言行一致の美 <今週の本棚藻谷浩介・評 『最強の地域医療』=村上智彦・著>を読んで

 

今日の毎日記事で、どうしてもブログで書いておきたかったのがこの見出しの書評です。藻谷氏は時折TVなどでお見かけし、わかりやすい解説と、その内容に結構共感できる方だと思っています。

 

その藻谷氏の書評で取り上げられた村上智彦氏の生き方、著作は、心を打たれました。見出しに「静かに天寿を全うできる社会へ」とありましたが、「天寿」ってなんだろうと思ったのです。人には天寿といった場合いろいろな考えや思いがあると思うのです。

 

ここで指摘されている内容は、私の思いと通じるものがあり、また、理想に近い村上氏の自信の生き方であり、最後ではないかとも思ったのです。

 

村上氏は、<薬剤師からスタートし、志して過疎地の医師となった著者は、やがて孤軍奮闘の限界を知り、岩見沢や旭川を拠点に、「自分を消去しても動く」民間組織を構築し、後進を育てていたからである。過疎地の高齢者に必要なのは「キュア(治療)よりも、ケア(介護・療養)と予防医療」だとの信念から、地域ぐるみで高齢者の生活を支える仕組みを、社会起業家として追求した後半生だった。>

 

なぜ過疎地を選んだか、それはわかりませんが、治療よりケアと予防医療が必要という信念は、場合よっては過疎地だけではないのではと思うのです。

 

その村上氏の実践は著書で具体的に語られているようですが、<著者が終始闘ってきた相手は、「人は(自分も)必ず死ぬ」ということを忘れ、子孫に膨大な借金を残すことを厭(いと)わずに、目先のキュアへの莫大(ばくだい)な公費投入を求め続ける高齢者たちと、その投票によって選ばれ動く自治体関係者、ということになるだろう。>

 

重い病気や突然の死は誰しも恐ろしいと藻谷氏が指摘した後、<前代未聞の長寿社会・日本で、もっと怖いのは、自分だけでは身の回りの用を足せなくなっても十分にケアされず、おざなりの処置を受けることはあっても誰にも必要とされるわけではなく、自分自身の生を失ったまま死を待つことだ。>

 

<自分だけでは身の回りの用を足せなく>なることはいずれやってくる、そのことにどう対応するか、それは常に心しておかないといけないと思うのです。と同時に、そのような事態にならないよう、どう配慮したらよいかについて、できるだけ準備することも大事でしょう。医療なり福祉がどうも現在の状態への対応に追われてて先を読めなくなっているように思うのです。私たちも行政に頼ってばかり、制度に頼ってばかりではすまない状況に来ていることを認識する必要を感じています。

 

藻谷氏は<高齢者医療福祉のシステムを、病気を治すこと中心から、自分の生を全うして死ぬこと中心へと、転換しなければならない。>というのです。それこそが村上氏が自分の寿命を削ってでも成し遂げようとしたものではないでしょうか。

 

西欧流に<「安楽死導入」だとか「延命治療の打ち切り」だとかの極論に走る必要はない。>

 

<地域ぐるみでケアと予防医療の体制を構築することができれば、誰の命も粗末にされない、皆が静かに天寿を全うできる社会は構築できるのだ。>というのです。

 

藻谷氏は村上氏について<自身の死を2か月後に控えながらその影は微塵(みじん)も感じさせず、生への希望、地域の未来への希望を込めて本書を刊行した著者に、心からの敬意と、哀悼の意を表したい。>といかにその死を惜しみつつも、その生き方をたたえているか、私も感動しました。

 

私には無理だと今は思っていますが、できればこういう生き方、死に方をしてみたいと思うのです。